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公立小中教員に若手指導ポスト新設へ

近年、若手教員の多くが早期で退職し新世代の人数確保と育成の強化という意味で新ポストとして新たな役職を増やそうという取り組みだ。
私事にはなるのだが私の両親は公立の小中学校の教員であった。家庭内でそれなりに教育現場の話を聞くことがあったのだが、今になって思うことは、意外と内側から見るよりも外側から客観的にみて構造を改善した方が最適な問題解決ができるのではなかと思った。
一般企業でもOJTや教育係など流行りと言えば流行りで、送らばせながら公共事業においてもそういった制度を活用しようという事だろう。しかし、私からすれば形だけの非常にとんちんかんな施策であると感じている。
まず、この記事で対象となる教育ポストは教員経験8年以上で30歳以上という条件があるが新人のフォロー係としては年齢が離れすぎている。


ただそのようなことは大きな問題ではなく、私が一番根本的な問題だと感じていることは、教育すべきは新卒ではなく、未だに平成・昭和の考えが抜けるままバカみたいなアナログ教育を施し、大した仕事もしないのにふんぞり返って「社会とは」「教育とは」などお偉そうに語っているベテラン世代である。若手の早期退職を防ぐことと、世代交代がうまくいくような人材を育てることの解決方法が若手の育成ではないことは当たり前のことで、そのことが分かっていない時点で、このポストを作ろうなどど歌っている機関(教育委員会や役所)はクソだ。
若手がすぐに辞めることも、世代が育たないことも若い世代を鍛えて解決するもではなく、鍛える側の技術や人間性が磨かれていないこと。公共機関の構造を改善していくこと。つまり、育成する側と組織を運営する側の教育が必要だということだ。私は紹介で優秀になるスキルとして単純な仕事においての技術と社会人的常識の二つを鍛える必要があると思っている。そして、そのうち会社の上司から学べることは前者だけで、技術というものは学ばずとも長期間繰り返したり同じ環境にいることで自然と身についてしまうのである。特に教員などは特殊なスキルが必要なわけではないので幸か不幸か長く続ければそれなりに誰でもモノになるのである。
つまり、技術に対しての教育係などはほぼ不要である。問題なのは後者で、教員になるには全員大学を卒業しなければならず、大学でぬるま湯につかった四年間では社会に出て役立つ能力や常識は身につかない。
ただし、今社会人として働いているほとんどのおじさんおばさんたちも人間性としては身に着けることなく育ってきているので学んだり教えてもらうことができず、最終的に諦めるか、避難するという選択を今の若手のほとんどが取っているのが今の現状である。その残念な状況を改善するために、すでに上司となってふんぞり返っている阿呆な考えしかもっていない老害たちを変えていき、若手を教育できる人格者を増やす必要がある。


そのうえで労働環境の改善と業務に関してはフローを確認できるサポート係程度で十分だ。今の若手が感じている違和感は上の世代との考えのギャップと疎外感だ。何もわからず入社した新人に対して常識がないような物言いをされてしまったり、困った時に助けてくれなかったり。ふつう困っている新人がいれば共感してフォローして信頼を得ながら育てていくものだ。信頼もしていないただのおじさんおばさんにいくら正論を言われても全く刺さらない。そのことが分かっていないこと自体が非常識で社会人を何年やっていようと、どれだけ技術があろうと初心に戻って教育に関して学ぶべきである。ただ、私が見るにこんな簡単なことにさえ気づいていない老害たちが指揮を執っている業界に明るい未来はない。今の時代を生きる若者は老害が思っているより賢いし行動力がある。若者を教育する前に自分自身が見放されないように危機感をもって業務に臨んだ方が良いであろうというのが私の見解だ。

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