【保育者の心の叫び】
保育園の1日のスケジュールは、年間、月間、週、1日、個人と綿密に指導計画を立て、その計画を元に進めていますよね。
計画の中に園行事が組み込まれているので、行事が近づいてくると、体力だけでなく心の余裕も無くなってきませんか?
計画通りに進まない原因の一つは、勃発的に起こる子どもたちの喧嘩ではないですか?
そんな保育者の焦りとは関係なく、子ども同士の喧嘩って日常茶飯事に起こりますよね。
全員の子どもの姿を1から10まで側で把握できていることが理想なのですが、現実的には不可能ですし、発展してから喧嘩が起こっていることに気づくことが多いのではないでしょうか?
また、子どもの年齢が上がるほど、保育士一人が集団で見る子どもの人数が増えるので、いくら子どもの姿を把握しようとしても、どうしても限界があります。
なので、活動中や一つのトラブルに対応している時に、見られていない場所でトラブルが起きることに不思議はありません。
喧嘩の対応にも、じっくり時間をかけたいと思いながらも、計画通りに活動を進めなくてはと気持ちが焦り、「できるだけ素早く解決したい!」という気持ちになるのも当然のことだと思います。
この時に、
【早く喧嘩を終息させたいと言う気持ちから、ついつい裁判官になっていませんか?】
「ごめんね」と謝り、謝られた側は「いいよ」という形で終息できると、喧嘩の対応ができたと思いがちになっていませんか?
自分が悪いと思っていないのに「ごめんね」と強制的に言わされることで傷ついたり、
「ごめんね」と言えば、その場から逃れるので言葉を発している子が居たとしたら...
形ばかりの解決法になんの意味もないと疑問を持っている人は結構いると思います。
大人の都合で子どもの心は育ちませんよね。心を育むには、長く根気が必要です。
心を育む時間が取れないような計画ならば、やることに追われ過ぎているのかもしれませんね。
“子どもたちの心を育む”ためには、保育者が一人で見る人数や園の行事も本当に必要なのか?の見直しが必要だと、感じている保育者も多いのではないでしょうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?