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リビングラボを日本で実施する?じゃぁ...。

最近、「リビングラボ」のことを知りたいと、日本から多くの人たちがデンマークにいらっしゃる。私の見解は、こちらにまとめてあるけれども、イノベーションを生み出す場という認識は、多くの方が共通して持ってくれているようです。ただ、数日のイノベーションの場の見学でリビングラボの本質を学び、デザインシンキングのようなプロセスや手法を学んで持って帰れると思っているように見受けられるのが正直なところ悩ましい。現地の視察や訪問ディスカッションを通した学習の成果として、「教育委員会ではなく、先生方に裁量権があるんですね」とか「皆が意見を言う平等社会なんですね」とか、要所要所でイノベーションのエコシステムが機能するために大切な点は確認してくれる。訪問される方々はその辺りの日本との違いに驚嘆して理解した気になってくれていたり、また逆に、明確な指針やプロセスや定義や唯一の正解を手にすることができずに帰国することになるがゆえに消化不良なんだろうなと思わさせる顔つきの人たちもいる。

部分を見てわかった気になっている人たちには、その要素がわかったからと言って日本にそう簡単に導入することができるわけではないことをどのように伝えるか、解決策虎の巻を求めて明確な図解やプロセスを期待する人たちには、そもそも「米国系デザインシンキングとは違うんだよ」ということをどうやってわかってもらえるのか、私自身も霧の中を手探りで動き回っている気分で、自分でもすっきりしない説明を先方に伝えていた。

このモヤモヤ感は、私の中でしばらく続いていた。ところが、先日、偶然の引き合わせで、プロジェクトをご一緒するようになった須永先生の著作「デザインの知恵」を読んでいて、目の前の霧がさっと晴れた。ちょっと長いが引用したい。

78P  …そして少しずつわかってきたのが、…デザインは、これまで私が確信してきたものとは異なる成り立ちをしているということだ。…デザインが拠って立つ基礎は「社会とデモクラシー」なのだ。つまり彼らやその親たちがこれまで努力してつくってきた「社会」がまずもってそこにある。その社会を「より善くする」ことに使う知恵と技が「デザイン」なのだ。…彼らのデザインの問い「その社会とはなんだ」「誰がそこにいるんだ」「そこにどんな営みがあるんだ」「そういう社会を”より善くする”とはどういうことだ」などが、必然的なことに思えてきた。
こうした理解によってこれまで自分がやってきた「デザイン」が一気に相対化された。確信してきたデザインとは、最初に新たに作り出す人工物があり、その人工物をその外部環境である人間と社会に適合させることだった。そこに立てるデザインの問いは、必然的に「その『人工物』とはなんだ」「その『外部環境』とはなんだ」「そこに生み出すべき『適合』とはなんだ」「いかにその『適合』をつくり出すのか」となる。このデザインが拠って立つのは「産業と資本」という基礎であったことに改めて気づいたのである。基礎とすべきは「産業と資本」か、それとも「社会とデモクラシー」か。どちらのデザインもあるし、どちらかが間違っているというものでもない。しかし、今私たちの社会が必要としているのは「社会とデモクラシー」という基礎に拠って立つデザインであるに違いない。…使いやすさのためのデザインと言わず「デモクラシーをデザインしている」と語る言葉に、私のデザイン観は揺すぶられ大きく広げられた。その言葉の根幹をなす「デザインよりも前に、まずもって社会がある」という北欧に育つデザインの思想は、その後の私の教育と研究、そしてデザインの実践に大きな力を与え続けている。

デンマークでは、リビングラボと親和性の高い社会的なインフラが根付いている。そのインフラがあるからこそリビングラボが生まれ、活用されてきたとも言える。そしてそれらをわざわざリビングラボと呼ぶ所以は、自然発生的というよりは、インフラの上に意識的に作られたイノベーションの仕組み、仕掛けがあるからに他ならない。リビングラボは社会に根付くインフラがあるから機能する。そして、意識的に作られたリビングラボの仕掛けが、インフラと相乗効果をもたらして、エコシステムが構成されている。

意識的に作られる仕掛けは学ぶことができるから「リビングラボ」を学ぶことはできるだろう。しかしながら、実際にリビングラボを社会で生かそうと考えると、鍵となるのは可視化するのが難しいマインドセットの方である。マインドセットを学ぶのは、簡単なことではないし、長期視点な状況に基づく学びJean Lave とEtienne Wengerの言うSituated learning(英語日本語)が欠かせない。新しいマインドセット、新しい考え方や物の見方は、1週間デンマークにいたからと言って獲得できるものではない。周囲の行動の仕方や対応の仕方を見つつ、真似しながら学び、自分が課題に直面した時にトライアンドエラーで試してみて、自分の血肉にすることが必要だ。今まで10年間続けてきた参加型デザインやデザインゲームといった単なるデザインの方法論ばかりでなくて、リビングラボに関心を持つようになった理由はここにある。社会に根付いたより良いITシステムをデザインし導入するといったユーザビリティ視点ばかりでなく、長期的により良いエコシステムを創っていくことが大切だと思うに至ったからだ。

リビングラボを日本で展開する際に、北欧からの移植ではなく、日本に合ったリビングラボの形を模索していくことが大切だけれども、デンマークとコラボする意味はここにあると思っている。デンマークとのコラボによって、デンマークでは幼稚園の時点から社会に組み込まれているような学習の仕組みを組み込んでいくことができる。一緒に参加する日本側は「こんなやり方もあるんだ」とか’「こんな風にやってもいいんだ」ということが腹落ちするようになるんじゃないかと考えている。初めは違和感があったとしても、実践するうちに実際に効果がある方法であることが見えてくるんじゃないかと思う。そうなれば、日本流のリビングラボの構築に一筋の光が見えてくるかもしれない。

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