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アバター実験4:分身ロボットカフェに行ってきた

ずっと行きたいと思っていた分身ロボットカフェに行ってきた。知り合いの研究者のプロジェクト書籍などでアバターが身近になる社会が描かれるようになり、アバター共生社会ってどんなものなんだろうと気になりだしたことがきっかけだ。

現実社会でも、アバター関連でいくつか興味のある場所やアクティビティが出てきたのだが、分身ロボットカフェはその一つである。アバターの可能性を見出したり、アバターが社会に進出しているということを見聞きするたびに、実際に自分で体験しなくてはと思いつづけていた。今回は、あえて「ロボットはなんだか気持ち悪くて好きになれない」と公言する友人美奈ちゃんを連れて行ってきた。

行ってきたのはこちら、「分身ロボットカフェ DAWN Ver. β」。日本橋のビルの一階にあるアクセスもよい場所。ウェブサイトには、次のように紹介されている。

当カフェは外出困難者である従業員が分身ロボット『OriHime』&『OriHime-D』を遠隔操作しサービスを提供している新しいカフェです。

分身ロボットカフェ DAWN Ver. β

「分身ロボット」という名前からして、すでに面白い。単なるアバターじゃなくて、「私の分身がそこにいる」ということを主張している理由は、「開発者のご挨拶」からからも明らかなのだが、外に出たくても出られない、人と交流したくてもできない、社会に貢献したくてもできないという「わたし」の代わりとしてのアバターだから「分身」なのだ。

日本橋について、ナビに従いカフェを探していたら、美奈ちゃんがこれじゃない?って指さした先にあったのは、なんだかおしゃれなカフェの入り口だった。こんな普通にエレガントカフェじゃなわけないよ、と思いつつ看板を見たらきちんと「分身ロボットカフェ DAWN Ver. β」と書いてあった。自分の無意識の先入観に衝撃を受け、消え入りそうな思いを抱えながら平気そうな顔してカフェに入った。

入り口を入ると、ピンクや緑を貴重とした春っぽい雰囲気があちらこちらから漂ってくる。天井からはTeam Labのような雰囲気の漂う桜のオーナメントが飾ってあり、元気な青々とした生命を感じさせる植物もあちこちに置いてある。奥の大画面に映し出されている自然の風景が周囲のオーナメントにマッチして自然観をより強化している。

入り口で予約していることを伝えるとすぐにカフェ(以降「OriHimeカフェ」)に案内された。カフェ利用の他にも、選択肢があって、私たちが選んだカフェは、カフェダイナー(食事ができる)と呼ばれている。選択肢は、他に、バリスタエリア(遠隔でコーヒーを作って提供)、カフェラウンジの合計3種であるが、初めてよくわからなかったので、とりあえずお食事テーブル(ダイナー)を事前に予約してみていた。私たちみたいにカップルできている人もいれば一人で来ている人もいる。ラウンジエリアには仕事らしいことをしている個人客もいた。テーブルに案内されるときに、きょろきょろしながら歩いたわけだが、ロボットがあちこちにいるので、それだけで面白い。

私の席から見える風景。OriHime -Dが通る道がわかる。

各テーブルにOriHimeが設置されているのでテーブルの数だけOriHimeが並んでいる。それだけでも、相当な数だが、120CMほどの高さの『OriHime-D』も2台ほど動き回っていて、それなりのロボット感があたりに漂っている。ちょっと遠慮してロボットたちを横目で見ながら席に着いた。そんな感想を、美奈ちゃんに話したら、「遠慮というよりジロジロみていたよ」と言われた。相手が人間だったらやらないことをロボットだとやっている。気付かないうちに気が大きくなるのかもしれない。

OriHimeーDは、店内を動き回る。テーブルに設置されているのはOriHimeだ。

カフェも分身ロボットOriHimeも皆が春の桜の装いだ。ロボットに命を感じて着飾ってみせてしまう傾向は、特に日本に多いようだが、そんな日本的な感覚を改めて感じたりしていた。私自身、自律ロボットに生命を感じるのは馬鹿馬鹿しいと思いがちな人だけれども、実際に相手(ロボット)がまるで生きているかのように扱う人間の行動や心理は、今までのロボット実験で実感してきたし、科学的にも今まで数多く報告されている。

さらに、今回のように分身ロボットの背後に生身の人間が控えていることが明確に示される場合、生命を少しでも感じさせるようなロボットに親しみを感じることは、もしかしたら、そして、これからは今まで以上に増加していくのかもしれない。そして、そんな人間の分身であるロボットが、その背後にいる人の特徴を出すために、分身ロボットを自分のカラーに装っていくことは少しもおかしくない気がしてくる。

席に通されると、案内してくれた店内の方が「今日のサービスはMoonさんが担当します」と紹介してくれた。そこから、ワクワク・ドキドキのインタラクション時間が始まった。テーブルの横に設置されているロボットに身を乗り出しながら話しかけ、何がメニューにあるのかMoonさんに聞いてみて初めて、ロボットの横に置かれているタブレットにようやく気づいた。

担当してくれたパイロット(分身ロボットの本身)の方は、岡山に住んでいるというMoonさんだ。Moonさんの自己紹介から会話が始まり、遠隔でメニュー画面を操作しているMoonさんのアドバイスをうけつつ、タブレットで食事や飲み物の注文をした。

そして、しばらくおしゃべりしましょうとMoonさんに誘導されつつ、ぎこちなく会話を開始した。カフェでサービスしてくれる人と会話することなんて、ほとんど私はないわけで、なにから話したらいいのか正直わからない。隣にいる美奈ちゃんは、ニコニコしているが、全身から「私に振らないでくれ!」というメッセージがダダ漏れだ。こんな状況でも話し慣れているのかもしれないMoonさんは、そんな私の態度に気づいたのかどうなのか、静かに会話を始めてくれた。会話の内容は、Moonさんの自己紹介に始まり、カフェの説明や新しい実験(シェイク・サーバー)の紹介などもあり、たわいのない会話が繰り広げられた。しばらくして、ちょっと慣れてきた私の方からも、簡単な自己紹介や操作をどのようにしているのかといった話を持ちかけてみた。

15分ぐらいたっただろうか、注文した食事が店内の生身の店員さんから届けられ、飲み物は想定通り『OriHime-D』で届けられた。自分で取らなくちゃいけないということは知っていたから、特に違和感を感じずに、パイロットの人とお話しし、セルフで『OriHime-D』が持っているトレイから飲み物を受け取り、食事を開始した。お食事も飲み物も注文したものは、どれも美味しい。サービスコストはかかっているだろうけれども、食材費を削っている印象は全く受けず、想定外に食事が美味しくて驚いたことも付け加えておこう。

食事を食べながら、テーブル担当のMoonさんともおしゃべりを継続する。岡山のおすすめを聞いて岡山に行きたくなったり、私の方からは、デンマークは車椅子でも移動しやすいですよという話をしたりしてみた。Moonさんはパリの美術館などにも行ってみたいと言っていたので、ちょっと対抗意識を燃やしてデンマークのルイジアナバリアフリーだし景色いいよ、と紹介したりした。パリに行きたいという気持ちはとてもわかる。ルーブルオルセーの車椅子対応はどうなんだろうと思いつつ、早く海外旅行が普通に行けるような世界に戻ってもらいたいものだと考えを馳せていた。

他にも、今実験中という「シェイクバー」も試してみた。遠隔のパイロットが、ミルク・チョコシェイクのレバーを操作し、ストローの入れ物を操作し、サービスするというもの。お客である私は、こぼれないように「ちょっと余裕をもって」ストップと声をかけてくださいと依頼された。お客の私がコップを取り、レバーの下にコップを据えて、適度な量まで注がれた時に「ストップ」と声をかけた。何色のストローがいいですか?と聞かれたので、赤のストローをもらいます、というと赤の箱が開いた。OriHimeを介した遠隔対話だけでなく、遠隔操作の実験だ。

分身カフェは特別の場

分身カフェは、特別な場だ。分身カフェでは、普段、カフェで働いている人とは話さないことをたくさん話す。普通のカフェでは、店員さんは自己紹介はしないだろうし、おしゃべりに30分付き合ってくれるカフェのバイトさんもいないだろう。

分身カフェは、「30分、(ほぼ)見ず知らずの他人とアバターを通して話をする」というコンテキストがあり、その前提の元、お客は、分身カフェという場に行く。私たちの席の向こう側には、まるでお友達と話すようにパイロットの人と話していて、どうやらリピーターのようだ。きっと、一度話して気が合って、食事のついでにおしゃべりしに来ようと思たんだろう。アバター共生社会の未来の片鱗も見た気がした。

そして私はぎこちなかった

私の場合、カフェでパイロットさんたちとの、ぎこちない会話が始まり続いた。「ぎこちない」のは、パイロットや通信の問題というよりは、いくつか別の問題があったからみたいだ。そこには、相手がどう思うかなとか、適切な会話トピックとはなんだろうかと、どうしても必要以上に配慮し、考え、忖度してしまっていた私がいたから。

一つ目は私個人の問題。パイロットの方々にとって人と交流することは緊張することであるに違いない。そして、どちらかというと、私も緊張していた。正直、私は会話が苦手だ。私自身も会話が続かない、会話のネタに困るということは日常生活でよくあることで、おしゃべりは得意ではない。そもそも今回のような分身カフェのコンテキストは、多くの場合お互い初対面だ。だから、背景がわからない新しい人との会話である。私にとって、新しい人との会話は、どのような内容が適切か話しながらすり合わせないといけないので、ハードルが高い。さらに、特に共通点があって出会う場ではないために、余計にハードルが高く感じる。

二つ目は会話の内容の問題。私は、身近に車椅子を使って生活している人を身近に知らない。だから、どこまで聞いていいのかわからない。同時に、通常外に出ることに困難を感じてる人が、アバターに仲介されて人と話すということをどのように感じているのかなど、関心はあって聞きたい気持ちもたくさんある。でもその関心は、私の興味本位での一方的な関心にすぎないなんだろうか、と考え始めてしまう。そうすると、失礼になったり傷つけたりしたくないからという考えが先に立ってしまって、会話が続かなくなる。
「デンマークに行ってみたいんです」と言われた時に、飛行機にのってデンマークまで来ることもできるはず!とお薦めしたかったけれども、もし、飛行機に乗るのも困難な車椅子生活だったらとか、必要以上に期待値を高めるのは良くないのではないかとか、話しながら色々と考え、言葉が途絶えてしまった。

三つ目はロボットとの会話の問題。相手には私が見えているが、相手からは見えないということは、少々ストレスだ。こちらを見てくれているのか(Gazeの問題)、聞こえているのか(表情や相槌の問題)などの小さなメッセージが伝わらないことが意外と不安にさせることを知った。向こう側で操作してくれるので、ちょっとした反応はある。目は輝いているし、頷いてくれたり、こちらに首を向けたり、手を動かして喜んでくれたりする。だが、自分が思っていた以上に、これはとても予想外なことに、相手の小さなコミュニケーションのボディーランゲージは、メッセージとして重要なんだなと思わされた。少し間があいてしまった時、次に再度話しかけようとおもった時、本当に、アバターの向こう側にいるのかわからず、自分から話しかけにくいということもあった。私からは相手の表情が見えないので、質問した後に、質問についてどう思っているのかわからず、少しの間が開くだけで「変な質問をしたかも」と不安になった。

また、一人だけ同じ場所にいない、という当然なことも気になった。皆がオンラインにいる場合や、皆が顔を合わせている場合はまだ良いのかもしれない。今そこにいる人を無視して他の人と会話をするということは、日常生活ではタブー(もしくは意図的ないじめ)であろうし、全員がオンラインにいる場合は、その辺りの配慮もされたりする。

ただ、今回は、我々2人が物理的にカフェにいて、一人がアバターを介して会話に参加しているという状況である。これは、意外と重要な違いで、同席していた美奈ちゃんとの会話の時には、悪意なくアバターの存在を普通に忘れてしまう。アバターのアウェアネスが低いがゆえだ。はたして、そんな時には、パイロットの方々は置いていかれる気になってしまうんだろうか。

普通に会話をしている場合、同じ場所にいるにもかかわらず、いないものとして扱われたり、放っておかれるということは、精神的にな苦痛だし、そのような立場に置かれればそれなりに衝撃に違いないと思う。仮に、相手は通常のカフェの店員さんと考えるのならば、常時会話していなくても良いがゆえに、「カフェ」という場では通常許される。はたして、この特別なコンテキストにある「分身カフェ」では、それは許されるのだろうか。

Moonさんは、声を聞いて若そうだと思っていたけれども、なんと19歳だった。そのような年齢などの情報も、アバターからはほとんど感じられない。将来のアバター共生社会では、アバター操作をする場合、その背後にいる人が年齢詐称しても良いと思う。年齢なんて交流するときに影響を与えなくてもいい特徴だ。同時に、一見、大して重要そうではない視覚・聴覚情報でも、実は会話をするときには重要な要素になっていることもあることを忘れてはいけない。「結構働いています」というMoonさんの発言は、30代なのか10代なのかでその意味合いが大きく変わるだろう。

アバターの操作者が見えないこと、アバターを仲介させてコミュニケーションをすることで良いことももちろんある。自分の顔を見せたくないとき(寝起きなどもあるだろうし体長や顔色が悪い場合など)、他人と話すことに苦手意識を持っている時、アバターを操作する時には、別の人格や外見に憑依して、「健康で元気で美しい自分」「活発な自分」「背が高い自分」などのようにを装えることは利点だし、そんな社会になっていい。平野啓一郎さんの「本心」で描かれていた世界もそんな社会で活躍する人が出てくる。

遠隔の人とのコミュニケーションは、もっと近くなる

今回、1時間強の間に、東京、神奈川、福岡、岡山に住んでいるパイロットの方々と交流したが、「シェイクバー」以外は、技術的課題や遠隔であることで会話に困難を感じることはなかった。「シェイクバー」は、音声の遅延があり、会話が成立しないことがあった。だが、遠隔操作はうまくいっていたし、そのほかは、特に遅延なども感じない。時折、テクニカルな問題で会話が途切れたりしたものの、それは普通の生活でもあることと言える範囲内だ。物理的にどこにいようが、通信が平常ならば、東京でも福岡でもデンマークでも、アバターを介した会話は、もう現実のものになっていると言っていい。

アバターコミュニケーションはもうちょっと難しい

でも人間の心理や感覚は、まだまだ追いついていない。私の心はあたふたしっぱなしだったし、最後に美奈ちゃんに感想を聞いたら、「意味や意義はわかるけれども難しいね」の一言で終わってしまった。美奈ちゃんは、ロボットはまだまだ感覚的に受け付けないらしい。

ロボットは感覚的に好きになれない人はまだまだそれなりにいるだろうし、興味を持っている私も、うまい社会におけるテクノロジのデザインが不可欠だということを改めて感じた数時間だった。

桜満開の日本橋で


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