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あなたの知らない千と千尋 第3回「車に関する謎 車中編(その2)」

千尋を乗せた車の窓から、濃い緑に包まれた山が見えてきました。その向こうに、山を切り拓いて造設された家並みが登場します。急な坂の上に突然現れた家々。これから千尋たちが引っ越す新しい家がその中にあります。

画面に道路標識が出てきます。国道21号線。そのまま行くと「中岡」、右折すると「とちの木」と書いてあります。実際の国道21号線は岐阜瑞浪市から米原市に至る道です。ネットでは、車の窓から見える店などは八王子付近に実際にあることから国道20号線、甲州街道の富士見付近がモデルと言われています。

さて、千尋を乗せた車は右にウインカーを出します。正面には『グリーンヒルとちの木 二㎞』という看板が出てきます。地名になっている「とちの木」は、沢山実のなる木という意味で「十千」とも書くことがあるほど秋には実が成る木です。ツバキの実によく似た「とちの実」は古くから栄養価の高い食料として重宝されました。飢饉の際の保存食としても重宝され、江戸時代には森林伐採の際も、とちの木の勝手な伐採を禁じた藩もあったそうです。
とちの実は、縄文時代の遺跡からも出土しています。つまり「とちの木」という地名からは、とちの木が生育していて、縄文時代から人が住んでいた場所だと想像できます。栄養価の高いとちの実はアクが強くそのままでは食べられません。縄文中期以降アク抜き技術が確立し重要な食材になり、特に中部地方の縄文遺跡からは、とちの実がたくさん出土しています。ん?中部地方。岐阜も中部地方です。国道21号の意味は、とちの実を示唆しているのかもしれません。長野県茅野市棚畑遺跡から出土した、国宝にもなっている有名な「縄文のビーナス」という土偶も、とちの実を精霊化して作られたものではないかと言われています。

つまり、とちの木は食をつかさどる精霊のいる場所なのです。しかし、千尋たちが向かっている場所の木は伐採され土地は削られ、新興住宅地が建設されました。とちの木の精霊は、そんな人間をどう見ているのでしょうか。この映画は、色々な角度から、私たちに自然と人間の向き合い方や共存を問いかけてきます。


そして、グリーンヒルに向かって車が坂道を登っていく場面で『千と千尋の神隠し』というタイトルバックが出ます。

次の画面には、青空にそびえる杉の老木が登場します。絵は木の上から下の方に移っていきます。その木のてっぺんあたりの枝は大きく折れています。太い幹の根元には鳥居が立てかけられています。まさにご神木。神の宿っている木です。その証拠は、てっぺんの折れている枝です。なぜ枝が折れているのでしょうか。この木に雷が落ちたからです。雷は「神鳴り」とも書き、神々のなせる業と考えられてきました。それゆえ、雷の落ちた木は、神が下りた木なのでご神木となります。これを神奈備(カムナビ)と言います。この神奈備こそ、神の住まう神域であり、この世と神の世界の境界線であり、結界であり、人が簡単に足を踏み入れてはいけない場所なのです。それが映画の中では道路で示されています。ご神木までの道は舗装路で、ご神木の前からは未舗装の道になります。ここから先は別の世界だということがちゃんと描かれているのです。

その異界へと千尋たちの車は進んでいきます。その車の車種がここではっきりします。「アウディA4クアトロ」です。実際、宮崎駿監督の愛車だそうです。映画の中で走る車の音やドアを閉める音など、本物の音を収録したそうです。こだわってますねぇ。左ハンドルで四輪駆動。しかもアンチロックブレーキシステムが付いている高級車。千尋の父は、一戸建ての家を買い外車に乗るお金持ちです。バブル崩壊後に公開されたこの映画は、明らかにバブルに浮かれた日本人を揶揄している場面が多くあります。


問題は、なぜここまで本編と関係ないアウディを見せようとしているのかです。監督の好きな車とかではない深い意味が隠されています。アウディはドイツの自動車メーカーです。エンブレムは「フォーシルバーリングス」と呼ばれる四つの輪を組み合わせたものです。もともとメルセデスベンツで工場長を務めたホルヒという人物が独立し、アウディと名乗り高性能・高品質の自動車を作り始めました。しかし、第一次世界大戦後の不況に会い、アメリカの大手自動車メーカーに対抗するため、ドイツの中堅自動車メーカーのアウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーの四社が合同したのが現在のアウディです。四社の良いところを生かして最高の車を作るという意味から四つのリングが重なったエンブレムが造られました。それがこのフォーシルバーリングスです。そして、アウディという言葉は、ラテン語で「耳を傾けて聞く」という意味です。

映画では異界に入っていくときエンブレムが強調されています。四つの輪が意味するのは、千尋と父と母。そしてもう一つは神であり自然です。残念ながら、今、この四つは離れ離れになっています。なぜ離れているか。アウディしていないからです。それぞれの声に耳を傾け聞いていないからです。車の中での千尋たちの会話をもう一度振り返ってみてください。父と母、そして千尋、さらに神や自然の声を聴いていないことが分かります。お互いの声に耳を傾けて心を兼ね合えば、最高の家庭、最高の世の中を作ることができる。これがこの映画のメッセージです。物語が進むにつれて、千尋は色々人の声に耳を傾け成長していきます。フォーシルバーリングスこそ、宮崎駿監督が伝えたかったことなのではないでしょうか。


どうですか皆さん。深読みしすぎでしょうか。
映画が始まって、まだ僅か一二〇秒です。この短い時間の中に、どれだけの情報が込められているのか。宮崎駿監督の仕事のすごさを感じます。

さあ、物語はいよいよ魔界へと突入していきます。次回もぜひお楽しみに。

to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.50」より

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