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インド旅行記 ー はらいそ通信 - vol.7

『 自らをよりどころとして
  他人をよりどころとせず
  法をよりどころとして
  他のものをよりどころとせずにあれ 』

お釈迦さまは、晩年、最後の旅をする中で商業都市ヴァイシャーリーを訪れた。

この地をお釈尊さまは何度も訪れ、時には長く逗留された懐かしい土地だった。その思い出深い土地で、お釈迦さまは発病した。余命の短いことを悟ったお釈迦さまは旅を共にしてきた弟子のアーナンダに有名な法話をしたという。 それが「法をよりどころにせよ」という言葉だった。

さらにお釈迦さまは

『 ヴァイシャーリーは楽しい
  ウデーナ霊樹は楽しい
  この世界は美しいものだし
  人間のいのちは甘美なものだ 』

とアーナンダに伝えたという。

昨日までいたコルカタの町のエゴむき出しの喧騒とはうって変わり、のどかなインドの農村地帯の中に、お釈迦さまが最も愛した街、ヴァイシャーリーの遺跡はあった。かつてはリッチャヴィ族の首都として繁栄した街だというこの場所に来て、初めてお釈迦さまを身近に感じた。

この遺跡の中にひときわ大きな丸いストゥーパ(仏塔)と一本の石柱が立っている。これがインド大陸を統一し、仏教に帰依をしたアショーカ王の石柱である。お釈迦さまの聖地としてアショーカ王もこの地を大切にしたのであろう。

私もお釈迦さまになった気持ちでつぶやいてみる。「自らをよりどころとし、法をよりどころにせよ」・・・言うは易し、行うは難しである。私はまだまだ迷っている。自分をよりどころに生きるなんてムリ。法をよりどころにしろって言ったって、その法がよく理解できていないのだから始末が悪い。

何だか頭がクラクラしてきた。
急に難しいことを考えたからなのか、と思ったが、そうではなく、ずっと太陽に当たっているので軽い日射病にかかったようだ。帽子を持ってくることを忘れたのが悔やまれる。この遺跡には日陰がない。あぁ、日陰に入りたい。きっと、晩年病気になったお釈迦さまもそう思ったに違いない。

そういえば、インドで霊樹というのは墓石、またはその上に生えている枝を大きく伸ばした木のことを言うらしい。この地のウデーナ霊樹の木陰で、お釈迦さまも休んだのだろうなと思うと、木陰も何だかありがたい。

やっと遺跡の隅の木陰で一休み。一息ついてから、すぐ近くにあるお釈迦さまの遺灰が納められている仏塔に向かう。お釈迦さまが亡くなると、その遺骨(遺灰)は8つに分けられ仏塔が造られた。その中の一つがこの仏塔である。今は仏塔の基盤だけが残っている。遺灰はないが、かつてこのあたりにあったという場所に近づいてみると、なにか大きなパワーを感じずにはいられない。

そう、お釈迦さまの聖地を巡る旅は、お釈迦さまに会うための旅なのである。そうか、これは単なるインド旅行ではなく、巡礼の旅だったのである。お釈迦さまを感じる為には、コルカタの喧騒が必要だったのである。きっと、昨日のコルカタも、お釈迦さまの目から見たら美しい街、愛おしい人間が住む町なのであろう。

仏塔の近くで、全身ほこりまみれの子どもたちが遊んでいる。決して裕福ではないだろう。食べるものも、着るものも、決して十分といえない生活をしていながら、少年少女たちは、楽しそうに遊んでいる。その美しいことは言葉や写真では表せない。

ねぇ、お釈迦さま。幸せってなんですか。

仏塔に向かって私はつぶやくのであった。
 

to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.45」より
 
 

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