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インド旅行記 ー はらいそ通信 - vol.6

「空腹は世界中で最上の調味料である」
(16~17世紀 スペインの小説家 ミゲル・デ・セルバンテス)

そう、何事も腹一杯ではいけないのである。にも関わらず、インド一日目にして、もう食べられない程、お腹一杯である。「コルカタの街を体験すれば、あとはどこ行っても大丈夫ですよ」って、今回の旅の企画をお願いした旅行会社のNさんはにっこり笑うのだが、愛想笑いを返すのが精一杯である。

考えてみれば、昨晩遅くにコルカタのホテルに入り、朝から一日、世界で一番最悪な街といわれるコルカタの街を歩き回り、病人や体の不自由な人、死人や葬儀に出会い、濃密な生老病死を味わった。お釈迦さまの出家の理由に、四門出遊という話がある。人生に悩む若き頃のお釈迦さまを心配した父の浄飯王は、家来に命じてお釈迦さまを街に連れ出した。お城の東門を出れば老人に出会い、南門では病人に、西門では死人出会い、やがて北の門で僧に出会い出家を決意されたという。おぉぉ、私たちもお釈迦さまの出家を追体験しているのかと考えるようにした。

夕日の中、ジャイナ教のやけに豪華な寺院を参拝し、長い一日目の目的を終了した。暮れ行く世界最悪の街を眺める。頭に荷物を載せた母親が、まだ幼い少女の手を握って歩いている。少女はなんだかうれしそうに母親に話しかけ、母親も微笑み返している。その姿は埃で薄汚れていて、決して裕福な家庭だとは思えないが、なぜかやさしい。世界最悪の街にも人は生き、幸せを求め、食べて寝て愛して生きている。そう、ここでも人は一生懸命生きている。お腹一杯の一日の終わりに、ほんの少しインドを消化できたような気がした。

これで、ホテルに戻って休めたらどんなに良かったことか。しかし、今回の旅行は、とことんインドを堪能する旅である。バスに戻った私たちは暗くなり始めた街を、クラクションを鳴らしながら疾走して行く。目指すはハウラーという駅である。これから夜行列車に乗ってパトナに向かうのだ。

ハウラー駅は昔の上野駅の雰囲気に似ている。人が多く、いかがわしく、やたらめったらうるさい。しかも殺気立っている。ガイドさんからも「決してはぐれてはいけません。二度と会えなくなります。それからスリに気をつけてください。」なんて脅かされるが、バスを降りた瞬間、まんざら嘘でないことを理解した。荷物はその場で雇ったポーターが運んでくれるのだが、そのポーターすら怪しく見える。何とか無事にホームまでたどり着く。ホームといっても、日本のように改札口があるわけでもなく、ただ列車が止まっているところがホームになっている。インドの列車は遅れるのが当たり前と聞いていた。しかし、ナント驚くことに私たちの列車は、ほぼ時間通りにいきなり動き出した。電車は夜行寝台車で、私は二段ベットの下に寝ることになった。決して快適ではないが、なんだかウキウキする私がいた。

思えば、今から40年位前、上野から夜行列車に乗って東北や北海道を旅したことを思い出した。真っ暗な窓の外に、ポツンと明かりの付いている家がある。あぁ、あそこにはきっと明るい居間があって、温かいご飯とお味噌汁、焼き魚の夕餉があるんだろうなぁ、なんて大して不幸でもないのに不幸の主人公のようになって旅をしていた自分を思い出した。想い出に浸るのはいいが、やはり夜行列車は寝られない。寝たいのに寝られないのは辛い。ウトウトするうちに外が明るくなってきた。ガタゴトと列車は走り、ギギギーと止まると駅についている。朝もやの中に、インドの田舎が広がっている。

世界中、早朝は静かである。恐る恐るホームに下りて伸びをする。体の中に新しい空気が入ってくる。うん、元気だ大丈夫。7時前に目的のパトナ駅に到着。ここから又バスで聖地ヴァイシャリを目指す。朝食にバナナを食べる。気持ちが一杯だとお腹も空かないが、少しづつインドを消化している自分を励ます私がいた。
 

to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.44」より

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