2023年、やってよかったこと。350万円を使って、セルフネグレクトに気づく。
2023年の振り返りをすると、わすれていた問題意識がふわ〜っと浮かび上がってくる感覚もあって、書いて良かった。今度は、2023年にやってよかったことを書こう。
約350万円を使ってやったことは、結婚式だ。
コロナが日本でも流行し始めてきた頃のことに結婚して、瞬く間に生活がぐわんぐわんと変わっていって、三年越しの結婚式だった。
結婚当初はやる気がなかった。
そもそも婚約指輪も結婚指輪にも興味がない人間だったので…。結婚指輪は指輪工場のブランドにした。丈夫かつ安くてなくしても気にならない。ダイヤモンドが入っていたけど、わざわざお金を払ってとってもらった。
やりたい気持ちもほとほとなく、やらなくて楽とまで思っていたのに、どうしてやることになったかといえば、友人の結婚式がとてもよかったからという、ただそれだけの理由だ。
いい式だった。単純にやらないともったい気がしてきた。今の時代、3組に1組は離婚する時代だ。人生であと何度結婚するかはわからないけど、一度目でやっておいた方がいいような気がしてきた。
結婚式をやることで得られる人生の経験値的なものがあるのだとしたら、やらないともったいない気もする。
ひとつの区切りとして、挙げておくのもいいのかもしれない。
思い立ったら吉日、がモットーなので、すぐブライダルフェアに行き、即日契約したのだった。迷うのが嫌。
実際の結婚式については予算は300万円以下に収めるつもりであったのに、後出し後出しで、それは最低限の金額なので通常はこの辺りの金額ですと言われて、あれよあれよと価格があがって350万円にも膨れてしまった。
(めんどくさくてゼクシィを読まなかった弊害がここにある気がしてる。もっと「花嫁」アカウントも見て調査しておくんだった。)
実は2023年は「家」も購入している。結婚式よりも高い買い物だし、充実感もあるのだが、予定していた結婚式よりも前に購入してしまったこともあって、家はパートナー、結婚式費用は自分が主に払うという結論になった。
結婚式は、ご祝儀があるとはいえ、半額以上は自分の貯金から出る。その事実に、切り詰められるところは切り詰めてできるところはやすく抑えた。色直しは持ち込みの振袖にしたり、はがきは自分で記入したり。
でも結局は、膨らんでしまうものだった。これは致し方ないとなかば投げやりになって、やりたいことはやろうと腹を括ったのも束の間、もちこみの振袖にシミやおりじわがあるから自分で直しにくるかと電話が入る。
式までもうすぐ、平日でそうそう直しに行ける距離ではなかった。自分の確認不足に嫌気が出すと同時に一言でも声をかけてくれればいいのにと思う。最終日が迫るなか、担当者が変わってしまったことも不安感を煽った。
色直しはやらないという気持ちが湧き上がって、爆発し、討論の結果、やることになる。そもそも色直しに振袖にしたのには、未婚じゃないと着ることができないからで、仕立て直すにしてももう一度着たかったからだった。
式当日は、緊張して眠れなかった。大安の日のせいか、予約客も多く、10分ごとのローテーションらしい。挙式場に着いてしまえば、あとはもう流されるがままで、とりあえず疲れては行けないとメイクのときも閉じて黙っていた。
隣の席の、20代なかばの人は、これまでの結婚式にいたる準備とこだわりを話していた。興奮しているのだろうし、ひとつの大イベントであるのは間違いない。
まだちょっと興奮、というよりは緊張感がまさっていた。
ちゃんと、あ、これはすごいと思ったのは、メイクされた自分をしっかりと鏡で見た時だ。メイク担当の手は肉厚でとっても温かくて、焼きたてジャパンでいうところの、「太陽の手」そのものだなぁと思い出していた。
式場外で写真撮影をしていると、招待客がポツポツと写真を撮ってきた。カメラマンかなと一眼レフっぽいカメラのレンズに笑いかけたら、観光客のカメラだった。
あれよあれよと流されて、儀式は正直衣装が重くて形を整えるだけで精一杯だった。
じわりじわりと実感が湧いてきたのは、披露宴会場に行く際に乗る新郎新婦用のタクシーに乗ってからだ。身動きの取れない体で、手を取って席にいざなわれ、タクシーから出る際にもお介添えされるのだ。
身体を支えられて、車から降りるってそうそうあることだろうか?
あ、今、自分がVIPなのだとやっとわかった瞬間だった。
儀式はやらされている感もあるし、失敗してはいけないという緊張感もある。それからいったん解放されて、丁重に扱われるという感覚に、こんなに自分自身を丁寧に扱ったことがかつてあっただろうか?
招待客のバスが後からやってきて、皆笑顔でこちらをみて写真を撮っていた。…正直本当に嬉しいのかはわからないけど、そらでも皆自分たちを見て笑顔になっているというのは事実としてあった。
親、というのはまだわからないことが多くて、きっとそれは自分が親というものになってみないとわからないのだなぁと食事を完食しつつ思ったこと。
乾杯の、披露宴初手の挨拶。すでに父親は涙ぐんでいたのだ。いったい彼にどういう気持ちが湧き起こったのかは知らないが、まぁ楽しんでもらえら親孝行というものなのだろう。
じわり、じわりとやり遂げたという達成感、少なくない人数を手配し、お金を動かしたという経験。コロナ禍で薄らいだ人間関係が少し深まったことに、自信が湧いてきた。
自分で自分を肯定しているという感覚が、バチバチと頭の中で弾けて飛んだ。これまで頑張って働いていた自分の貯蓄で、ことを運び切ったのだ。キャッシュで払えるだけの貯金をしてきたのだ!
バブル期の親と比べると、そんなことあるかと疑いたくなる。(資金はすべて祖父母もちだったというのだ!)自分自身が個人として自立しているのか、それとも社会が貧しくなったのか。
結婚式なんてお金のかかるし、もったいない。やる気もないし、やるつもりもなかった。同世代でもやらないパターンが増えている。やるよりやらないことの方が多いかもしれない。
けれども、お金のそのものの価値が揺らぐ社会で、唯一のコトやモノにかえて、社会を回すというのも悪くないという気がしてきた。
何十年としてきた自己に対する無関心さ、セルフネグレクトをようやく自覚できた、これまでで、個人として支払った、人生で1番高い買い物だった。
やるのもやらないのも個人の自由で、やらなければやらないなりの見方が育まれたんだろうけど。
個人的なやって良かったという実感が芽生えたのは本当で、お金のことに不安になるあまりに自己投資できないよりも、思い切って使うと見えることもあるのだと知った。
今年はセルフネグレクトを少しずつやめられるようになるといい。
白無垢、銀糸刺繍で1番気に入った。
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