1700円の幸福。映画『ルックバック』を観て
もともと、映画はあんまり好きじゃなかった。でも、どうやら好きな小説家やエッセイストは、映画を積極的に見に行っているようだ。
よく分からないが、観に行った方がいいのかもしれない。そう思って、最近は気になるものは観に行くようにしている。
映画『ルックバック』を観てよかったけど、なんでかよく分からないので考えながらまとめてみた感想。
映画館で観られてよかった。
でも理由がよく分からない。
映画『ルックバック』を映画館で観られてよかった。
きっといつか、AmazonprimeやNetflixで配信されるに違いない。
けど、ああ、映画館で観られて良かったなと終わってからそう思った。
でも、理由がよく分からない。
ぐちゃぐちゃにマスクを濡らして映画を観たのにだ。
映画『ルックバック』は、藤本タツキの読み切りマンガの映画化で、約60分のアニメーションだ。映画としては短いらしい。
読み切りマンガももちろん読んでいるけど、映像として観ることにどれだけの意味があるのかちょっとよく分からなかった。
けど、観に行ってきた。
結果、ちゃんと映画館で観られてよかったなと思ったのだった。
劇場カードキャプターさくらが上映しているらしい
なんでそう思ったのか?
『劇場版 カードキャプターさくら』のリバイバル放映を見かけたからだと思う。
リバイバル上映って、なかなかお目にかかれない幸福だと思う。
劇場版カードキャプターさくらは、レンタルビデオで観たはずで、劇場版では子どもの時観ることは出来なかった。
いま、観にいきたいかというと自分のなかに情熱がそんなにない気がする。
観たら楽しいだろうとは思う。
でも、楽しめなかったら?という気持ちもある。
気持ちの賞味期限があると思う。
どんなに有名なタイトルでも、劇場でかけ直してもらえるのは多くない。情報をおってなければ知らずに逃してしまったりする。何回、今敏作品の再上映を逃してきただろう。
映画『ルックバック』が再上映がされるとして、それはいつかを考えたら
今、劇場で観て、『ルックバック』が例えばリバイバル上映されるのは何年後なのかなぁと思った。
もしかしたら、藤本タツキ人気がこれからも続いて、興業的に利益があれば数年後に実現したりするのかもしれない。
でも、人気であり続けるのって難しい。
大衆に支持され続けるには、創作を続けなければならない。人気があればあるほど、求める質は高くなってくる。
創作の持続性って、語られているようでそんなに語られてないように思う。
『ルックバック』は、続けることに向き合っている作品で、映画もまたそれに応えていると思う。
割引などを設定しない、1700円の料金に、意味がある。
収益化すること、つまり持続させることの現れのように思う。
約60のアニメーションだが、冗長さを感じさせるような展開がない分、密度が高く没入感がある。
漫画『ルックバック』と比べると、背中への尺というのをより実感できた気がする。
読者のコマを読むスピードをコントロールするのには限界がある。
時間の自由を強制的に視聴者から奪うからことそ、より映画版だとタイトルの『ルックバック』、背中を見てという意味を考えさせられたんじゃないか?
なんとなく、映画で観られてよかった理由がはっきりしてきた。
観ることをコントロールされることに意味があった。配信だと、視聴者の自由が効く。そこが配信と映画の大きな差なのだ。多分。
再上映がいつになるかも分からないなか、今、この時に観られたことを噛みしめる。
それは多分、物語の設定の空気感を味うことでもある。
別れの空気感を分かるのは今だからだといい。
創作に限らず、なにかを続けることの困難というのは色んな場面である。
それを続けられる環境、同じだけの情熱を持った他者との出会い。
そして別れ。この別れの部分は、『ルックバック』が書かれたときの社会の空気感そのものだ。
別れを演出するのに、別に事故でも、病気でもよかったはずだ。
これを選ぶところに、何があっても続けるという情熱を感じる。
あの時を生きてたから分かる、文脈がある。
多分、劇場版『カードキャプターさくら』のさくらちゃんがガラケーのような特注のトランシーバーを持っているのを、今の子はよく分からないだろう。
めっちゃ当時欲しかったなぁ。ガラケーも持ってなかったので。
終わり。
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