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[エストニアの小説] 第6話 #14 決着(全16回・火金更新)

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 「いやちがう、カティ、話してなかっただけだ」 ニペルナーティは弁解するように返した。「あのとき、ライ麦俵のところで、きみが疲れて足が痛いと言ったとき、こう考えた。この娘はあと1、2キロも歩けはしまい。それで思った。わたしの親戚のヤーク・レオークの農場に連れていこう、そこで疲れを癒やし、足を休め、農場の女主人としての厳しい生活に慣れたら、わたしの農場まで歩いていける、とね。さらにこう考えた。もしここがわたしの農場ではない、親戚のものだと伝えたら、カティはわたしと一緒に来ることはないだろう。カティは未知の人を恐れ、恥ずかしがる。知らない人の農園に行くくらいなら、道でのたれ死んだ方がましとね。わたしに何ができただろうか? きみの足は血で染まっていて、崩れ落ちそうに疲れていた。もう1日、知らない道を歩かせるわけにはいかなかった。で、ここにやって来た、わたしの親戚の農園だ。ちょっとからだを休めて、新しい仕事に慣れて、それから家に向かう。いいかい、カティ、わたしは大きな森を持っている。秋の嵐がそこを通り抜けていくとき、その唸りやとどろきは言葉で言い尽くせない。人間など神さまの前に立つ、赤ん坊だ。あー、針葉樹がからだをゆすり声をあげる、まるで海原が唸るみたいに、嵐の中でバシャバシャはねるみたいに。きみがそんなものを見たこと、聞いたことがないのは確かだ。見ればわかるよ。わたしには畑もある。きみがその端に立てば、向こうの端は見えない、はるか遠い遠いところまで続いているからだ。わたしの屋敷には大きくて温かな部屋が、いくつもある。きみにどの部屋を与えるか、わかってる。屋敷の角の部屋で、柔らかな革と絨毯でしつらえた部屋だ。きみをそこに置く。そしてきみは白い猟犬を友だちとして持つ。名前はレイヤだ。きみの後を影のようについてまわる。そしてわたしが、きみを愛する」

 「あした、あんたは出ていく、で、あたしを連れていきたい?」 カティが心配げに尋ねた。
 「なんで、きまってるじゃないか」とニペルナーティは強い調子で返した。「きみをどうして残していける? ヤークは2頭だての馬車で送ってくれるって、約束した。だから歩いていくことはない。ヤークの馬は速い、わたしの家まで1時間とかからないだろう。家には手紙で知らせてある。だからわたしたちを迎える用意は、ちゃんとできてるはずだ。あー、カティ、今にわかるよ。わたしの素敵な、立派な家を見たら、きみはびっくりしてひっくり返るだろうね。わたしの屋敷は高い塔があって、そこに登れば、遠くまで、海まで見渡せる。最初にヤークの農場に、きみを連れてきたことはよかった、結局のところね。より良い暮らしへ、きみは前進しているんだ。もしきみが自分の小屋から直接わたしの素晴らしい家に来たら、気が動転してただろうね。すぐに入り口から逃げていったに違いない。もつれるようにして走っていくきみの足を、わたしは見ることになる。わたしにはわかってる、カティ、言い返さないで」
 ニペルナーティはカティの手をとるとなでて、優しく話しかけた。
 「明日、わたしたちはここを出発する。明日の夜明けだ。可愛いカティを家に連れていけて幸せだ。すぐにわたしの妻になるんだ。どうしてきみを愛してるのか、自分でもわからない。小さなきみの家でわたしはきみと出会った。そして恋に落ちた。わたしの独身生活はこれで終わりだ。きみはとても可愛らしい、きみの笑いはわたしの心を貫く。からだ中の血液細胞がうずうずし始める、すべての腱がピンと張る。そして喜びに溢れ、若くなったと感じる、子どもに返ったみたいにね。わたしはきみの手をとって、草原を、牧草地を走る。だけど最近、きみは笑うことを忘れてる。深刻な顔をして、悲しそうで、目は泣いたせいで真っ赤だ。きみに何が起きたのか、わからない。それにきみは、わたしと話したくなさそうだ。ヤークの部屋に悩みごとを伝えに、きみが走りこんでいくところを、その小さな背中を目にするだけだ。いいんだ、いいんだ、何も言わなくていい。きみには怒る理由が、悲しむ理由がある、そういうことだね。ここにわたしたちは数週間、住んでいた。なのにわたしはまだ、きみを牧師のところに連れていっていない。女の子にとって、こんな状態は恥ずべきことだ。人々は頭を寄せ合い、あっちでこっちで噂話をはじめてる。疑いの目できみを見てる。きみの心は傷つきやすい。あー、カティ、心からきみに謝らなくては。わたしはぶらぶらし過ぎていた。だけど明日には、わたしの屋敷に向かって出発する。そうなればわたしたちが牧師のところに行くことはない。牧師の方がやって来て、わたしたち二人が待ち望んでいた言葉を言ってくれる。明日までのことだ、きみが待たねばならないのは。わたしがすべて準備する。あー、カティ、わたしはとても幸せで満足している。きみの家族のことを考えると、胸がジンとするよ。そしてわたしはきみにキスをする、きみをひざに抱きあげ、キスをする」
 「だけどヤークは、あたしたちを行かせてくれる?」 カティが小さな声で尋ねた。
 「きみは、わたしたちがヤークのところの農奴みたいに思ってやしないかい?」 そうニペルナーティが尋ねた。「ヤークが何かを許可したり、拒否したりはできない。あいつの命令なんて、何ほどのこともない。わたしたちが家に帰るというときに、あいつに何ができる? あの大年寄りを、闘牛士を、飲んだくれを恐がることなんかない。わたしがちゃんと話をつける。きみは荷物を用意して、わたしの言う通りにしていればそれでいい。わたしだけがきみに指示を与えられる。厳格さをもって言うことができる。カティ、自分の荷物をまとめなさい、明日、わたしたちは出発する、とね」
 カティがワッと泣き出した。
 「ああ、神さま」 カティは声をあげて泣いている。「どうしたらいいの、ヤークはあたしを離さない」
 「きみはわたしと一緒に来たくないのか?」 ニペルナーティが腹を立てた。「きみはあの年寄りにひっついてまわって、妻になってここに残りたいと? あの男と教会に行きたいのか? あの闘牛男はわたし以上にきみを愛してると? 教えてくれ、なんできみは泣いてる」
 ニペルナーティは立ち上がると、怒りながら部屋を行ったり来たりし、曇った窓ガラスを指で叩いて鳴らした。
 「行くのは構わない」 カティが静かに言った。「どこにでも、あんたと行く。でもヤークがあたしを離さない」 
 「これがわたしの良き行ないへの対価ってわけだ」 ニペルナーティが悲しげに言った。「わたしはあの年寄りの命を救った、傷の治療をした、あいつの穀物を収穫した、そのあげく、あの男はわたしからカティを奪うってわけだ。わたしは泥棒の住処にやって来たってことだ。そう言わざるを得ない。わたしのジャケットが無事なことすら驚きだ。なぜわたしの靴をシャツを、ツィターを持っていかない? こういうものも盗むはずだ、そしてわたしを丸裸にして森に放置する」
 ニペルナーティはカティの前に立つと、その頭をなで、残念そうにこう言った。「でも、わたしは嬉しかった、きみがわたしの屋敷で幸せになるところを想像していた。家に帰って、どこにカティを置いてきたのかと訊かれたら、何と答えたらいい。わたしは家族に手紙を書いて、こう言ってある。かわいいカティと出会って、妻として、ここの女主人として、家に連れて帰る。彼女は、この小さな小鳥さんはわたしを愛してる、そしてわたしも彼女に夢中だ。あー、神さま、家に帰って何と説明したらいいものか、わたしにそれがわかったら! みんな喜んで走り寄ってきて、おめでとうと結婚する二人に言いたがって、でもすぐに、カティがどこにもいないと気づく。わたしは家族をだました、とんでもなくだましてしまった!」
 ニペルナーティはイライラと部屋をまた歩きまわり、カティが悲しい顔でその後を追った。「あたしはあんたと一緒に行くことになると思う」 カティは沈んだ声で言った。「あんたと結婚するって約束した、それを守りたい」 ニペルナーティはびっくりして振り向くと、カティの方へ走り寄った。「いま、何て言った?」とニペルナーティ。「きみは一緒にわたしの家に来たいんだね?」
 「一緒に行きたい」 カティが静かに言った。
 「いや、ダメだダメだ」 ニペルナーティが反対する。「こんなことはダメだ。どうしてきみが不幸そうにしてるのを見てなくてはならない? きみはヤークをわたしより愛してる。あの男の強靭さや腕力を愛してるんだ。だけどわたしの言葉は、きみにとって晩秋の太陽みたいで、心を温めることができない。どうしてわたしが、きみとあの男を不幸にしたり、苦しめたりせねばならない! わたしは一人でここを出たほうがいい。わたしの可愛いカティがここで幸せに、愛するあの男と、あの恐ろしい闘牛男と暮らすとわかって、ここを離れるつもりだ。そして二人は、わたしの苦痛など心配しなくていい」
 「じゃあ、あたしはここに居ていいの?」 カティは嬉しそうに、もどかし気に訊いた。
 ニペルナーティはすぐに答えず、他の選択肢を考えているみたいに、部屋を行ったり来たりした。それからカティの方にやって来て、こう言った。「他に何ができる? あの闘牛男を取ればいい!」
 それまでじっと座っていたカティが、飛び上がってニペルナーティの元に走りこみ、目に、髪に、頬に、キスをした。ニペルナーティに飛びついて、首に手をまわすと、幸せいっぱいで顔を輝かせ、喜びの声をあげた。

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'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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