今も生きてる女相撲 & 未来のフェミニズム
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今も生きてる女相撲 & 未来のフェミニズム

葉っぱの坑夫

女相撲?! 聞いたことはある気がしますが、今も日本で、そして世界でも競技として行われているとは知りませんでした。日本には現在、今日和さんという1997年生まれ(24歳)の素晴らしい力士がいて、彼女を取材したドキュメンタリー『Little Miss Sumo(相撲人)』(Netflix)もあると知りました。
Title photo by Babak Fakhamzaden (CC BY-NC 2.0) , Chiang Mai, Thailand

女相撲に興味を持ったきっかけは、上原善広さんの『四国遍土』でした。このお正月に読んでいて、その中に第二次大戦前に活躍した若緑関のことが出てきたのです。女相撲って何? 若緑関はどんな相撲取りだったの? 相撲をとるときどんな格好でするの? などなど。

『四国遍土』によると、若緑は大正6年生まれの山形県出身で、興行にやってきた女相撲を見て感動し、家出して興行主に弟子入りを志願したという人物。見た目美しく力持ちということで、すぐに主役格として人気力士になったそう。著者の上原善広さんは、松山にいる力士の息子さん(引退後、若緑はここで小料理屋をやっていた)に10年以上前に会って話を聞いたことがあり、そのときの話では、母親は度胸も力も人一倍で、子どもの頃何度もぶっ飛ばされたし、ヤクザ相手でも一歩も引かない強さがあったとか。遍路と女相撲とは直接関係はないものの、著者は遍路で松山を訪れた際、息子さんを再訪してみようと思ったことからこの話題が本に入ったのでしょう。

Googleで「若緑関」「女相撲」を検索したところ、昔の写真がいくつか出てきました。『四国遍土』では、通常の女相撲では胸を露出せず、さらしを巻いて上下の肌着を着た上からまわしを付けた、とありましたが、写真の中には裸の胸を出した力士もいました。胸の前で腕を組んでいるブロマイド写真、化粧まわしをつけた女力士が片手を広げる力士のポーズをとっているもの、と胸を出すことに(本人も当時の社会も)特別な抵抗感はなかったように見えます。また昭和15、16年頃(1941年頃)に、豊島区の寺の境内で「女相撲の興行」を見たある人(当時子どもだった)は、みんな太って体格がよく胸を出していたとサイトに書いていて、胸を出した力士たちの写真も掲載していました。

女の人で体格がよく、力もあって、相撲にあこがれる、という心理はどういうものなのか。前提条件として、からだが小さくて痩せっぽち、力もないという人は、多分、相撲をとりたいという方に興味が向かないのではと想像します。そう考えると、身体条件というのは案外、その人間の精神や心理に強い影響を及ぼすものなのかもしれません。男性の場合は身体条件と心理は結びついているように思えても、女性の場合、そのように考えること自体が少ない気がします。(顔についてはあれこれあっても、体格や腕力が女性の場合、その人の能力や将来性と結び付けられることは少ないのかなと)

若緑関が興行の相撲を見て、自分のやりたいことはコレだ、と思ったのも、もともと自分の体格や腕力に自信があり、しかもそれを恥ずかしいこととして認識するのではなく、自慢に思っていたからではないでしょうか。大正生まれの女性が、立派な体格や腕力を誇りに思うというのは、おそらく普通のことではなかったと想像します。現代においても、日本では、とても背の高い女性がやや猫背ぎみの姿勢になりがちだったり、ローヒールの靴を好んで履くのはよくあること。そう考えると、若緑関の素晴らしいところは、体格や腕力だけでなく、因習や世間の見方に囚われない、こだわりのないオープンな性格にもありそうです。

フェミニズムとか男女平等といった言葉には、身体性が含まれにくいので、どこか頭で考えたこと、思想上の問題が先行します。それは間違ってはいないと思うし、身体条件や性の違いに関係なく、人間を同等に見ていくことは大事だと思います。わたし自身、その考えで生きてきました。

ただ立派な体格と腕力をもち、それを自慢に思い表に出していく、自分の生き方や職業として表現していく人がいる、というのは、現代的なフェミニズム視点から見ると、ある種の衝撃です。あれこれ言わなくても、その存在の仕方で最高レベルのフェミニストの域に達してしまっているような。

他のスポーツを見れば、たとえばサッカーも女の人が世界中で活躍していて、たまに試合を見たりすると、素晴らしいプレイぶりに衝撃を受けることがあります。日本の女子サッカーもレベルが高く、海外の有力クラブチームで活躍している人も知っています。ただ国レベルでいうと、ワールドカップ優勝という素晴らしい戦績をもつナショナルチームの名が「なでしこジャパン」だったり、雑誌の記事などでオフのときの選手たちの「女性らしさ」が強調されたりと、なぜかなと思う側面はあります。サッカーをやるときは男勝りだけど、ピッチを出たら女らしい、、、のような。

まあこれは本人たちが女らしさをアピールしたいというより、日本の一般社会の受け止め方として、その方が受けがいいということなのでしょうが。今の時代より昭和初期の方が、一般社会のフェミニズム化が進んでいたとは到底思えないので、その時代に女力士だった人々の生き方はなんだかすごいように思えてしまいます。

現代に目をやれば、21世紀の今も相撲に真剣に取り組んでいる女性たちがいる、ということを知りました。これは若緑の時代のような興行相撲ではなく、アマチュアのスポーツとしての相撲です。同じ相撲でも、この2つには境界があるようです。

若緑や女相撲について調べていたとき、今日和(こん・ひより)さんという力士と出会いました。1997年、青森生まれの現在24歳。2019年に英国BBCによる「今年の女性100人」に選ばれました。その前年に公開されたドキュメンタリー映画『Little Miss Sumo(邦題:相撲人)』の影響があったのでしょうか。監督はアフリカ系イギリス人のマット・ケイ氏。ミュージック・ビデオの題材として女子相撲部を取材していたケイ氏は、その稽古風景に感銘を受け、今日和さんを主役にした映画を撮る決心をします。

映画冒頭では、まだ小さかった頃の日和さんの試合風景が出てきます。お兄さんの影響で、小学校1年生から相撲をはじめたそうで、小学校3年生までは男子相手でも負けなしだったとか。ということはやはりその後は、男子が相手だと力負けすることがあったということでしょう。

中学時代は相撲部に入って、男子相手に練習を積んだそうです。高校になると、さすがに同年の男子にとっては相手にならず、母校の中学に通って中学生男子部員との稽古に励みました。これを聞いて思ったのは、男子と女子の体力、腕力の差です。大人に近づくにつれその差が広がり、訓練を積んでいる者であっても、大きな差が出てしまう、どうしても縮められないギャップが歴然とあるということなのか。

生物としてのからだの差が、男女にはあると知ってはいても、現代のようにそれが見えにくい社会では、そのことを忘れてしまうこともあります。もちろん個体差もあるので、一概には言えないと思いますが、日和さんのような厳しい訓練を積んでいる人が、男性相手では戦えないというのは一つの事実としては認めざるを得ません。

こういうことを言っていくと、どんどん保守的な考えに偏っていってしまう気もしますが、事実としては間違いないので、一旦認めることは悪いことではありません。男女には生物的な差がいくつかあり、互いの弱いところを補って助け合って生きていくもの、と解釈すればいいのではないでしょうか。

今日和さんは高校を卒業すると、立命館大学に進みます。この大学を選んだ理由は、相撲部があることと国際関係学部があることだったそうです。国際関係学と相撲? 日和さんは小学生の頃から、海外で相撲を広め、指導したいという夢があり、中学生のときには国際協力機構の存在を知り、教育機会に恵まれない人たちへ、相撲を通じて貢献したいという思いがあったといいます。大学時代にはゼミ合宿でラオスを訪れた際、現地の子どもたちに相撲の指導をしています。

また大学ではジェンダーの授業を受け、世界では性差をなくすため戦っている女性たちがたくさんいることを知ったそう。だけどその中に日本人のことがあまりなかった。それに対して日和さんは、「悪く言うと日本人は革新を求めないんじゃないか」と思ったといいます。「やまとなでしことか、男性の3歩あとを歩く」といった日本語の表現に対しても疑問があるようでした。間もなく21世紀という1997年に生まれた、日和さんのような女性からこんな言葉を聞くとは、、、(こんな言葉がまだ生きているという意味で)

相撲が好きで続けたきた日和さんは、就職先も相撲部のある会社に進み、就職試験の際に入部を志願し、入社したのちに初の女性部員となりました。

青森生まれらしいイントネーションのゆったりとおおらかな話しぶりではありますが、当然ながら意思は強い人のようで、穏やかな表現ながら、大相撲の世界も変わっていったらいいと思うと述べています。いずれ女相撲にもプロの世界ができたり、そこで女性も土俵に上がれるようになるなど、自分たち女性力士が頑張って活動することで未来を変えていきたいと考えているように見えました。

映画『Little Miss Sumo(邦題:相撲人)』では、台湾で行われた世界相撲選手権大会の模様が紹介されていました。2018年の正月に「今年は世界1位」を狙っていると話していた日和さんですが、無差別級の決勝で非常に背の高い大柄なロシアの選手と対戦し、惜しくも「突き落とし」で破れ準優勝に終わっています。おそらく体重にしたら対戦相手とは、10kg、20kgの差がありそうでした。日和さんは背は160cmと小柄なので、体格がよく太っていても体重では負けています。

この大会での日和さんの戦いぶりとその強さ、決勝で負けたあとの涙、表彰台での大きな笑顔は強い印象を残しました。「土俵にあがる段に足をかけたとき、ここからは一人だと思うことがあります」 この言葉は、ステージにあがるときの独奏者(ピアニストなど)の心理とよく似ています。ホロヴィッツ、アルゲリッチといった巨匠級のピアニストが、舞台裏でいかに恐怖に囚われ震えていたか、というエピソードは無数にあります。

日和さんは、女性力士が大相撲の土俵にあがれるようになる前段階として、まずは男女の相撲がオリンピック競技になることを目標としています。2018年に国際相撲連盟(加盟国87ヵ国)がIOCに正式承認されたことで、その実現性が高まっているとか。正式に相撲がオリンピック競技として採用の対象になりそうな重要な時期が来たら、IOCでスピーチをしたい、と語っていました。こういうところが、今日和さんの本当に素晴らしいところだと思います。国際関係学部で語学やコミュニケーションを学んだことが、きっとこういう場面で生きてくるのでしょう。

シニア(大人)だけでなく、小学生、中学生の女子相撲もあり、大会が毎年開かれています。YouTubeを検索していたら、兵庫県に住む中学1年生の女子が、高校生になって全国大会に挑むまでの様子がドキュメントされているものがありました。中学の部活に女子相撲部があり、3人の部員の一人となったその少女(谷本青空さん)は、「女の子がまわしを付けているのがカッコいい」と言っていました。

う〜ん、なんだろ、この感性は。すごくユニークで素敵だけど。

中学時代は主に男子相手に練習を積んでいた谷本さんですが、高校は相撲留学をすることに決め、京都にある強豪女子相撲部のある学校に進学。親元を離れての寮生活をはじめました。男子と稽古してきたという自信があったようですが、高校の女子相撲部の先輩たちは、男子とは違う強さがあって当初は全くかなわなかったようです。力で押してくる男子の相撲に対して、女子はスピードや機敏な動きで優位にたちます。稽古の激しさのため、谷本さんの頬やあご、その他からだ中に、あざや怪我のあとがたくさんあり痛々しいほどでした。

上のビデオは2018年「全国選抜女子相撲大会 無差別級三回戦~決勝」
20:22〜 中学生と大学生の決勝戦(優勝は中学生の長谷川さん)
このビデオの冒頭、東に今日和さんがいて、西に長谷川さん。立命館大学時代の日和さん(前年優勝)が中学生と対戦して、、、

これは2017年の「全国選抜女子相撲大会 無差別級」の決勝戦。今日和さんが優勝しています。

今の日本に、こんな風に相撲が大好きで、相撲に取り組んでがんばっている女の子や女性たちがいる、というのは日本の未来にとって希望のように思えます。一般的にいうと、女性は女性らしくとか、たとえ男性以上の能力があっても女らしさを忘れずに、などと言われることが多い日本の中で、こんな風な存在の仕方をしている人たちは、未来の一つのモデルになりそうです。

体格がいい、太っている、腕力がある、こういう要素をポジティブなもの、長所として捉え、自分のアイデンティティの一つとして社会に向けて表現していく彼女たち。今日和さんは、相撲は競技というだけでなく、自分を表現するものでもある、と言っていたと思います。

彼女たちの活動を見ていると、世の中一般の美意識(特に女性に対する)がすごく狭くて懐古的なものに見えてきます。美しい存在というのは、形態と精神が一体化したものじゃないでしょうか。わたしが女相撲、女子相撲に惹かれたのは、この存在としての美しさだったのかもしれません。


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葉っぱの坑夫
2000年4月からウェブ上で、翻訳作品を中心にさまざまなコンテンツを公開してきました。内容としては移民文学、野生動物観察、音楽家インタビュー、外国語で書かれたハイクなどです。コンテンツの中から紙の本や電子書籍も作っています。 https://www.happano.org