見出し画像

[エストニアの小説] 第5話 #15 パーティーはおしまい(最終回)

 「聖具室係はどこだ、あのクソ聖具室係はどこに消えた?」 暗闇の中で声が響く。
 と、突然、庭にいた誰かが勝ち誇ったように絶叫する。
 「見つけたぞ、見つけたぞ! おまえは捕まった、聖具室係のふりをしたクソ野郎はここだ! おまえに洗礼をしてやろう、説教をしてやるぞ」
 バタバタいう音、叫び声、うめき声が聞こえてくる。
 「藪の下に身をひそめて、モグラみたいに隠れてやがる! 誰かこっちに来て手伝え、聖具室係をがっちり捕まえたからな」
 「聖具室係じゃない、オレは警官のヨーナス・シンプソンだ」 その声が言った。
 「なに、警官だって?」 がっかりした声。「なんでまたこんなところにいるんだ?」

 メオス・マルティンは敷地の中央に立って、大声をあげている。「女たち、子どもたち、みんな馬車に乗るんだ! こんな地獄のケツみたいなところに用はない。赤ん坊を連れてこい、ヨーナタンを俺のところに連れてこい。あー、このクソ裏切り者めが……馬車に乗るんだ! 子どもたちを、豚や犬を、パンやジェリー固めの肉を、肉のローストを、ケーキを乗せろ。アイスクリームにビール、ウォッカ、鶏の丸焼きも忘れるな。納屋にあるもの、屋敷の中、貯蔵庫、キッチンにあるもの全部もってこい。馬車に乗せろ。手に入れられるもの全部もってこい。あの子馬はどうした、赤ん坊へのプレゼントの馬の子はどこだ?」
 メオス・マルティンは怒れる雄牛のように敷地の中央に立っている。そのまわりを女たち、子どもたちがアリのように走っている。メオスが怒鳴る。「アン! 俺の女房はどこいった。ウォッカのボトル全部に肉のローストは馬車に乗ったか? 子馬は見つかったか? なんで赤ん坊を俺のところに連れてくる? 急ぐんだ、子どもたち、時間がないんだ、キョロキョロするな! 誰でもいいから御者席に着いたら、馬を走らせろ。うちの豚を豚小屋に置いていくな。犬どもはついてくるだろう。クランツ、ポピ、カサ! 小さなアンドレはどこだ? アン! 俺の女房はどこだ? みんな馬車に乗ったか?」   

 互いを呼び合う声、豚のキーキーいう鳴き声、子どもたちが泣き叫ぶ声、犬の吠える声、メオス・マルティン一族はテリゲステを風のように去っていった。

 「なんてこった、ここは酷いところだ!」 男たちが叫ぶ。「なんだって?」 メオス・マルティンが車輪のガタガタ音、子豚のキーキー声の向こうで大声で返す。「ここはただの地獄のケツだ! あー、キリストよ、神の唯一の子よ、我を綱できつく縛りたまえ、そうすれば二度とあの呪われた場所に行けなくなる。あそこにいると何もかも奪われて打ち叩かれる」

 レオサ農園の主人、ヤーン・メルツも何発かぶっ叩かれていて、自分の馬の方へと駆けていく。
 「なんで俺はここに来たんだ」 ヤーン・メルツは当惑している。「俺が来たと思ったら、テーブルが投げ出されて、決闘が始まった」 何故自分はたくさんのウォッカや食べものをあれこれ買う必要があったのか。お客たちは食べものを踏みつけにしている、その最後の一切れをこの男は手にした。何という惨めさ、ここにいる奴らが勝手に結婚式をすればいい、メルツはもうたくさんだった。そして家に向かう、もうたくさんだった、額に二つも強打を受けていた。

 カトリ・パルビは何度も大泣きしたあと、納屋で、呻き声をあげているテニス・ティクタのそばにすわり、気を鎮めていた。静かに、無関心を装って、帰っていくお客の叫び声を聞いている。バカばっかり、カトリは悲しい気分だ。みんな大急ぎで帰っていく、ここが疫病に襲われたみたいに。男たちがウォッカを飲んだあとに言い争いや喧嘩がはじまって、こうなった。これが医者が街から呼ばれた理由だ。しかしあの老馬のメオス・マルティンはすぐさま逃げ去り、他の者もそれに従った。明日の朝まで待てなかったんだろうか。そうすればパーソルからやって来た聖具室係がちゃんとことを済ませたのに。赤ん坊を洗礼し、説教をしただろう。なのにあの老馬はすぐにヒヒーンといなないて、テーブルをひっくり返し、喧嘩をはじめ、そして逃げていった。望んでいたものをあいつは手にしたのだろうか? 最後のウォッカ一滴と食べもの一切れを手にしただけ。明日の結婚式はどうなるのか。あー、悪魔よ、みんな好きな所へ逃げていくとしても、ヨーナがここに留まってくれたら。カトリは3日目、4日目にヨーナの歌を聞くと心に決めてい た。ヨーナの喉が整って、ちゃんと歌えるようになったら。あの子はもう少しここにいられるはず、息子のトーマスは妻と一緒にレオサのところに行くだろう。カトリはテリゲステで一人ぼっちになる。あー、ヨーナ、あの可哀想な歌い手ターベッ・ヨーナ、あの子はどこに行った? カトリはヨーナを探して庭に行き、藪を探し、森にまで行ってヨーナ、ヨーナと呼んだ。しかしヨーナはいない。あの背の高い仲間と、説教したやつと逃げたんだろう。もう戻ってはこまい。ヨーナに責任はなかった、ただ座って歌っていただけ、なんで逃げなくちゃいけない?
 カトリは胸が痛い。立ち上がってまたヨーナを、自分を喜ばせてくれた歌い手を探しに行く。
 トーマス・パルビは花嫁を探していて、牛小屋まで来て、耳を澄ます。あれはマーイヤの声ではないだろうか? 誰に向かって彼女は話しているのか、誰に向かって甘い言葉で囁(ささや)いているのか? あー、天罰だ、堕落だ、女の裏切りだ! トーマス・パルビは忍び足で近づいて、パッとマッチをすって明かりを灯して目をこらす。そこには自分の花嫁マーイヤがしゃがんでいて、その隣りには、隣りにいるのはあの嘘つきの、偽の聖具室係だ、この日の不幸を呼び込んだ主たる要因だ。

 「あー、わかったぞ!」 トーマス・パルビは怒りで燃えあがり叫ぶ。「そうか、こうやって二人してここに逃げ込んで、牛の乳の下に隠れてんだな。わかった、明日の朝の結婚式はないことになる、それは確かだ。このインチキ野郎をかくまっている人間と聖なる祭壇の前に立つことはない」
 「静かにして!」 マーイヤが花婿に向かって制した。「それともまだ、喧嘩したりないの?」「したりない?」 トーマス・パルビが声を高めた。「いやいや、全然たりない」
 そして入り口に走っていき、大声をあげる。「ここにいるぞ、ここにいるぞ、みんな来い、聖具室係は牛小屋に隠れてるぞ」
 「ちょっと黙りなさいよ」 マーイヤが飛んでいって制する。
 「いや、やめないぞ、やめない。ほらみんな、早く早く、こっちだ、聖具室係はここにいる」
 トーマス・パルビは入り口で、扉を開けて立っているので、誰も出ていくことができない。少しすると男たちの集団が牛小屋に押し入った。すると何人もの女たちとそのそばでもぞもぞしている男たちが牛小屋に隠れているのが見つかった。家畜たちのフンの山の向こうから、おびえた声があがったのでわかった。豚に羊に牛が恐怖に襲われて、小屋から飛び出した。入ってきた男たちは肥料や家畜のフンの中を転げまわっている。暗闇の中で探しまわり、顔と顔を突き合わせ、敵とみなした者にパンチをくらわせる。

 「いたっ、俺を叩くな、聖具室係じゃないぞ」 哀れな声をあげる者がいる。「ヨーナス・シンプソンだ、巡査だよ!」
 「また警官かよ!」 そこにいた者たちがいらつく。「牛小屋でいったい何してんだ、いいかげんにしろ」
 「こいつはここで明日の朝まで待って、それから報告書を書くんだろうよ」 庭にいた者たちが笑う。怒鳴り声、金切り声、唸り声、女たちの泣き声。ドタドタバタバタ、あちこちで言い合い、殴り合い、あやまる声が聞こえてくる。

 「誰だ、殴るのは、わたしはトーマス・パルビだ!」 運のない花婿が怒鳴る。「いたたっ、誰かがわたしの頭をなぐった、医者を呼んで、早く、医者だ、頭が割れた!」
  「大丈夫だ、離れてろ、打たれたくなかったらな」 誰かがそれに応える。
  庭の端の方、大きな岩の間にヨーナがいるのをカトリが見つける。
 「あー、あんた、どこに隠れてたの!」 嬉しそうに大声をあげる。「あんたが近くにいるんじゃないかって、感じてた。怪我はないの、酷いことされなかった? 安心して、わたしはここの主人なんだから、まだ言うべきことがあるの。犬と一緒に、ここでやり合ってるやつらを追い払うから、村から兵隊も呼ぶつもり。あんたも、歌うたいのあんたもやられたんだね、なんて哀れな、なんて恥ずかしい。来て、ヨーナ、家から悪魔を追い出すの、それで3日か4日の間に、約束した歌をわたしに歌ってくれるよね? 来て、ヨーナ、怖がらないで。わたしの隣りにいれば、誰もあんたに手を出したりしないから」

 手に手をとって、暴れる人々を避けながら、二人は家に近づく。そこで立ち止まると、カトリ・パルビは大声をあげる。「テリゲステのみんな、今すぐすべての争いをやめなさい! 軍隊がこっちにやってくる。そうすれば喧嘩をやってる者はみんな刑務所行きになるからね。テリゲステのみんな、みんな家に帰って。すぐに、急いで!」

 空の端が少しずつ明るくなっている。
 もうすぐテリゲステの丘に、尾根に、高台に、太陽が昇ってくるだろう。むっつり陰気にひっそりと、馬車がつぎつぎに屋敷を離れていった。車輪のガラガラいう音が消えていき、その後ろには土埃の柱があがっている。

 トーマス・ニペルナーティは川のそばにすわっている。傷口を洗い、包帯をし、肩越しに振り返ってため息をつく。「つまり、これがテリゲステってことだな!」

== 第5話完了 ==

*第5話「テリゲステの1日」、終わりまで読んでいただき、ありがとうございました。この続き第6話「幸せの2羽の青い鳥」は5月16日(火)より連載を予定しています。

'A Day in Terikeste' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue DaikokuTitle painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?