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2021年のクリエイティブとは?

サッカーの話か(上の写真から)というと、そうでもありそれだけでもないことをこれから書こうとしています。

クリエイティブという言葉は、いろいろな場面でつかわれています。昔は創造性とか独創的などと言われていたことも、いまはクリエイティブというと一言でそのこと(状態)を指せる、表せるような気がします。元は英語かもしれないけれど、あること(状態)を包括的に、直接的に表わせるニホンゴだと思います。

広告の世界ではクリエイティブという言葉は、かなり昔から使われていました。クリエイティブ・ディレクターという役職もあるし。音楽やアートの世界で「クリエイティブ」が使われるときは、たとえば演奏家の場合、ただ素晴らしい演奏をするだけでなく、自分の音楽にかかわるすべてのことを独創的にマネージメントしているイメージがあります。

サッカーの世界でも、クリエイティブという言葉は近年よく使われています。他のスポーツ(野球とかバスケット)ではどうなのかわかりませんが、サッカーに関しては、プレーや戦略がクリエイティブかどうかは、重要なポイントになってきています。

ジョゼ・モウリーニョ(57歳、写真・左)とペップ・グアルディオラ(49歳、写真・右)はヨーロッパの、あるいは世界のサッカー界において、ここ10年以上にわたり名監督とされている人です。どちらも優れた戦略家といわれているけれど、ここ数年はペップのクリエイティビティにより大きな称賛が集まっていました。モウリーニョのほうは2000年代、2010年代とポルトガル、イタリア、スペイン、イングランドと各国で素晴らしい戦績を残したものの、最近はその能力に陰りがあるのでは、とか、サッカーが古くなってしまったのでは、などの声を聞くこともありました。

先日(11月末)にあったプレミアリーグの試合で、トットナム・ホットスパー率いるモウリーニョとマンチェスター・シティ率いるペップが対決しました。マンチェスター・シティは2年前、ペップの元でリーグ優勝しているリーグの最有力チーム、トットナムは近年トップ6には入っているものの、ここ数十年リーグ優勝がありません。オッズ的にはマンシティの方が低かったのではと思います。しかし結果は2−0でトットナムの勝利。まあトットナムのホームではありましたが、無観客試合なのでその影響はどれくらいあったか。

この試合を見て、この二人の監督におけるクリエイティビティの違いに気づきました。モウリーニョのクリエイティビティについて、これまで語られることがあったかどうかわかりませんが、この日のモウリーニョの戦いぶりに、ある種のクリエイティブがあると感じたのです。ペップについて言われるような、試合の中身、中でもいかに攻撃するかに注目したクリエイティビティではなく、もう少し範囲を広げたところでの創造性や独創性。

最初のところで、演奏家の例をあげて、素晴らしい演奏をするだけでなく、仕事全体にかかわるマネージメントが優れている人が、クリエイティブな演奏家ではないか、と書きました。たとえば新世代ピアニストと言われているアイスランドのヴィキングル・オラフソン は、伝統的な技法を通してクラシック音楽に新たな視野を開いた人です。グラモフォンの『ドビュッシー、ラモー』は、時代の違う二人のフランスの作曲家をミックスしたユニークなアルバム。ラモーというバロック時代の作曲家が、今の時代にこんなにも光を放つとは、、、と多くのリスナーが感じ入ったのではないでしょうか。この作品集は、オラフソンの発見、あるいは発明と言ってもいいかもしれません。

コロナ禍の中でオンラインで観た、ヨーロッパのバレエにも同じようなことを感じました。オランダ国立バレエ団の『コッペリア』(1870年初演の古い作品)は、演出、舞台美術、振り付け、衣装、ヘアメイク、すべてが面白く美しく、新しいビジュアル作品のようでした。踊りや演技の技術が高いのは口にするまでもない感じ。チューリッヒ歌劇場のバレエ『ロメオとジュリエット』も、踊りのレベルは当然のごとく最高級で、その素晴らしさは「踊りの上手さを見せるため」にあるのではなく、作品を最高のものにするために奉仕している、そういう感じでした。

あるいは4Oceanという企業。海や河川を汚染し、生態系にも影響を与えている廃棄プラスチックを、営利企業として問題解決する方法論を編み出した、いわゆるB Corpの典型です。海から回収した廃棄プラスチックの一部と、その他の廃棄されて行き場のないプラスチックを、再生してプラスチック製のブレスレットにして販売しています。一つブレスレットを買うたびに、453gの廃棄プラスチックが回収できる、といううたい文句に乗せられて、わたしも二つほど購入。自社の利益だけでなく、社会にとって利益になる事業をミッションとし、持続可能な形で成り立たせている「良い会社」、それがB Corpと呼ばれているもの。ブレスレットのデザインや素材という「中身」のみにクリエイティブを求めるのではなく、その商品がどのような意味をもち、どのように社会の中で存在し得るのか、そこに今の時代のクリエイティビティがあるのでは、と感じました。

さて、サッカーでは、人は何をもってクリエイティブと感じるのか。

ペップのサッカーは、ずっとクリエイティブと言われてきたと思います。ペップはアーティストのようでもありました。そのとき世界最高レベルの選手を擁したtop topのクラブチームで、最大の権限をもって指揮をとり、相手がどこであろうと頭に描いた通りの試合を実現し、それを披露する。ボールを支配することで優位に立ち、相手に何もさせず、試合全体を支配して勝ちを引き寄せる、強者の戦い方。2011年のチャンピオンズリーグ決勝で、マンチェスター・ユナイテッド相手に見せたペップ・バルセロナのプレーぶりは、その典型かもしれません。強いところはクリエイティブなやり方でこのようにして勝つ、というサッカーの未来を見せられたような試合でした。

しかしときに(ごく稀ですが)、その手法がうまくいかないこともあり、それでも戦法を変えずに最後まで戦うのもペップのサッカーです。打つ手がないかのように選手交代が遅く、規定の3人を使いきらずに負けてしまうようなこともあります。11月末のトットナム戦がそうでした。

一方、モウリーニョの監督キャリアは、ペップとは少し違います。ポルトガル、イングランド、イタリア、スペイン、そしてまたイングランドと、ヨーロッパの有力リーグを渡り歩き、すべてのチームを優勝に導いてきました。しかし選手時代は、バルセロナで10年に渡って活躍したペップと違い、2部の選手でした。20代前半で早々にリタイアしセカンドキャリアに切り替えています。ペップが日の当たる道を歩きつづけたサラブレッドだとすれば、モウリーニョは問いの多い、試行錯誤のサッカー人生だったかもしれません。

わたしの印象では、ペップはサッカーの中身(自分の頭の中にある理想のプランや才能あふれる選手の起用法)にのみ関心がある人、モウリーニョはサッカーを成り立たせている世界全体に関心をもっている人、そのように見えます。モウリーニョはサッカー選手の才能の高低そのもの以上に、いかに持てる才能を発揮するか、させるか、それがその人間の人生にどう関わるかに関心があるように見えます。

2019年にモウリーニョが途中就任したトットナムは、プレミアリーグになってから(1992/1993シーズン〜)は2位が最高成績で、リーグ優勝の経験がありません。優勝が望めるようなチームではないクラブに就任したのは、おそらく彼にとって初めてではないかと思います。トットナム就任のニュースが流れたときは、モウリーニョもついに焼きが回ったか、と見る向きもあったでしょう。しかしここまでの仕事ぶりからは、彼自身がトットナムで新たな挑戦をしているように見えるのです。たとえば弱者はどう戦ったら勝てるのか、といった。これは11月末のマンチェスター・シティ戦だけでなく、その翌週のチェルシー戦でも感じられました。今年Prime Videoで公開されたドキュメンタリー『All or Nothing』のトットナム編では、モウリーニョはトットナムのチーム改革を試みているように見えました。

『All or Nothing』の中で、トットナムのストライカーでスター選手のハリー・ケインと、モウリーニョがデスクを挟んで話す印象的な場面があります。モウリーニョはケインほどの選手(プレミアリーグやW杯で得点王になるような)が、クラブ歴で無冠というのはあり得ないこと、優勝カップを手にするに値する選手だと言います。そして自分は監督として、その手助けができる、と言うのです。「したい」ではなく「できる」と。なんと頼もしい提言。ケイン選手はこの申し出をどのように受け取ったでしょうか。最近のピッチの中のケイン選手は、前にも増して、モウリーニョの心強い支援に応えようとしているようなプレーぶりが目につきます。

モウリーニョという人は、このように選手一人ひとりのキャリアにも、試合の中身や勝敗と同様に関心があり、それを自分の仕事の一部と考えているように見受けられます。

去年の秋、印象的な出来事がありました。トットナム就任直後のチャンピオンズリーグのオリンピアコス戦でのこと。1−2で負けていた試合のさなか、トットナムのスタジアムのボールボーイが機転をきかせ、転がってきたボールを素早く味方選手に渡しました。即座に受けた選手がスローインし、それがシュート、ゴールにつながり、最終的に逆転勝利となりました。モウリーニョはゴールのあとその少年のところに飛んでいって、喜びと感謝の意を表しました。あの子は試合をちゃんと読んでいた、いいボールボーイだ、わたしも子どもの頃、いいボールボーイだった、そう後にモウリーニョは語ったそうです。

モウリーニョにはこういったエピソードがたくさんあります。どれも非常にささいなことに見えて実は重要なこと。サッカーの範囲にとどまらない、人が生きていく上で、仕事をする上で、何に、どこに気を配るべきかを示唆しているように見えます。そこにわたしはクリエイティブなものを感じます。

モウリーニョは勝ちにこだわる戦術家、人心掌握術に優れた監督、などと言われることが多いですが、わたしは少し違う見方をしています。確かに選手を鼓舞する言葉や記者会見での話しぶりには見事なものがあります。母語ではないポルトガル語なまりの英語で、シンプルな単語を駆使して、人の心に届く深い内容をストレートに伝えることができる人です。しかしそれは「術」というより、彼の誠実さの現れであり、生き方なのだと思います。

『All or Nothing』の中で、トットナム就任直後の練習風景がありました。モウリーニョは一人ひとりの選手の名前と発音、呼び名を確認していました。「自分の名前はJose(ジョゼ)であって、Jose(ホセ)じゃない」と言い、レギュラーではない若手選手の名前の発音を本人に尋ね、「タンガンガ、タンガンガ」と何度も口にして確認していました。また「ハリーが二人いるけれど、どうやって区別して呼んでる?」と訊いたり。

クリエイティブというのは、一般のイメージと違って、実は細部にこそ重要なことが潜んでいて、「神は細部に宿る」ものだとわたしは思っています。それはクリエイティブは総合的な視野を必要とするもので、総合的な視野を得るには、細部の精度、適性さが欠かせないからです。大筋、あるいはビッグアイディアは細部から生まれることがあるし、細部の不備のせいで、良いと思われたアイディアが崩壊してしまうこともあります。

モウリーニョに感じるクリエイティビティとは、細部への視野だったり、一人ひとりの人間に焦点を当てることだったり、そういったことから導き出される総合的なプランや、長期にわたる視野の獲得ではないかと感じます。

モウリーニョはよく「cope with」という言い方をします。問題に対処するといった意味ですが、その対処の仕方にクリエイティビティがあるかどうか、アイディアと活気、活力があるかどうか、そこが成功の鍵になるのではと思います。モウリーニョのサッカーは、「ゴール前に2階建てのバスを止める」ディフェンス、という表現が慣用句のように(日本では今も)使われていますが、先入観を取り除けば、別の視野が開けてくる可能性があります。

なぜサッカーというスポーツが面白いのか。何が試合を面白くさせるのか。面白いのはサッカーの戦略だけなのか。サッカーを見る価値のあるものにしているのは、試合そのものと、試合を支えているもの、試合の周囲で起きていること、そういったもののすべて、総合体なのかもしれません。それをいかにマネージメントして見る人の心を惹きつけ、わくわくさせるか。クリエイティブな仕事とはそういうものではないかな、と思います。

ピアノを完璧に演奏するだけでなく、その音楽の意味を自分の見つけた方法で伝えられるピアニスト。デザイン能力が高いだけでなく、なぜその物体がその形態である必要があるのか表現できるデザイナー。所属する会社にとっての財務面での利益を考えるだけでなく、社会にとっていま何が求められているかを考えて実行できるビジネスマン。こういったことが2021年のクリエイティブになるのではないか、そんな風に感じています。

タイトルフォト:José Mourinho by Paul Bence(CC BY-NC 2.0), Pep Guardiola by Terry Kearney(public domein)

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