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[エストニアの小説] 第6話 #6 ニペルナーティの叔父さん(全17回・火金更新)

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 ニペルナーティはカティの手をとり、家の中に連れていった。荷物とツィターは座っていた岩のそばに置いたままで。入り口はいってすぐの部屋で、カティをテーブルにつかせ、きれいなクロスを見つけてきて掛け、ミルクにバター、肉、目玉焼きを素早く用意し、お茶を入れた。ニペルナーティは部屋から部屋を走りまわって、興奮した様子であれこれしゃべり、カティを喜ばせるようなことを思いつくまま口にした。しかし自分は何も食べなかった。

 「いいかい、こうやってカティを迎えるってことだ」 そう嬉しそうに言った。「ゆうべ、言わなかったかな、ライ麦の俵のところできみがブツブツ言っていたときだ。明日の朝までには、家に着くってね。わたしは嘘をついたかな? 家に着いたんだよ、カティ、やっとね、家に着いたんだ。わたしが家を恋しいと思わなかったと、野原で寝るのを楽しんでると思うのかい? さあ、どんどん食べて、カティ、足を休めて。わたしの農場をきみに見せたいよ。どうかな、まず畑や森を見せるのがいいかな、そうすれば家に戻る頃には、牛も帰っている。そうしたら牛を見てまわるかい? それとも森に行って、そこで牛を見るのがいいかな。カティ、母さんのところで話したわたしの赤い雄牛が、市に連れていかれてしまったんだ!」
 ニペルナーティは話しつづけ、テーブルに何度も食べものを運んできた。小さな子どもの世話をするみたいに。

 「あんたは全然たべてない」 カティが心配そうに言った。
 「わたしのことは心配するんじゃない」とニペルナーティ。「わたしはここの主人なんだから、好きなときに、望むだけ何でも食べられる。どう思う、カティ、きみの昼食のために子牛を1匹殺そうか? それとも子豚がいいかな。あるいはニワトリを何羽か。いやいや、反対しないで。わたしはきみを十分にもてなしたいんだ。もし本当に反対したいというのなら、こういう風にだ。家畜を見にいったときに、どれを今日、食べたいか、そこで選ぶんだ。ただあれがいい、って指せばいい。そうしたらわたしはすぐに、その家畜を殺して皮をはいで、調理してテーブルに運ぶよ。いいかな、カティ、今日からきみはわたしの財産の共同所有者だ。家畜を殺した方がいいのか、わたしにはわからない。カティは反対かな?」
 「もちろん動物を残して、あたしに世話をさせてほしい」
 カティが食べ終わると、ニペルナーティはテーブルを片づけ、パンを一切れとるとそれをかじり、こう言った。「さあ、出かけよう、カティ、いいかな? 少し休んだから、わたしについてこれるだろ」
 「疲れてなんか全然ないけど」 カティが言い張った。「あんたはあたしのことを子どもみたいに扱ってる。あたしがテーブルを整えたり、食事の世話をしたりするべきなのに。だけどここでは、あたしはよそ者で、まだ家のものに触ったりできない。ここに慣れることができるかだって、わからない」
 「だいじょうぶ、慣れるよ」 ニペルナーティがなぐさめる。「自分の知らないところに来れば、誰もがそうなる。自分もそうだったからね。きみもここに慣れるよ。明日とかあさってとか、すぐにここの女主人みたいにあちこち動きまわるようになる。で、わたしもきみの世話をしている時間がなくなる。穀物を収穫せねば、じゃがいも畑は人が必要だ、亜麻の収穫をするまでにあまり時間がない、わかるよね。今日はきみとおしゃべりをして過ごす、でも明日になれば、わたしと顔を合わせるのは食事のときだけだ。農場では、農夫だろうが主人だろうが、誰もが忙しく働くというのがきまりだ。農場で仕事がないなんてことはあり得ない」
 
 二人は家の外に出た。まずニペルナーティはカティを庭に連れていった。そこでたわわに実をつけ、地面につきそうな立派なリンゴの木を見せた。ニペルナーティは一つ一つの木や藪について話し、若い頃や子ども時代の遊びと結びつけてそれを説明した。その次に畑に行って穀物を見物し、敷地の端まで歩いた。ここでもニペルナーティは詳しい説明をした。二人が森に着くと、突然、カティが何かを目にして、目を輝かせ、手をたたき、大声をあげた。「牛だ、牛だよ、見て、あんたの牛がいる。みんな赤茶色だ。黒い牛とか、白黒の牛は1頭もいないの?」
 カティは足をとめると、小さな手で牛を数えはじめた。「1、2、3……乳牛が9頭だ、若い雌牛も4頭、雄牛の子も1頭いる! 木の陰や藪の下にまだいるんじゃない?」
 カティは近くまで走っていき、顔を赤くして興奮し、木や藪のうしろを探して、数え直した。
 「牛たちの名前はなに?」 子どもみたいに夢中になって訊いてきた。「あそこの牛はなんていう名前、端っこにいるやつ」
 「ジンジャーだ」 ニペルナーティは即座に答えた。
 「じゃあ、向こうにいるのは? ジンジャーの隣りの、真っ白な大きなおっぱいの」
 「あれはユキノハナだ」とニペルナーティ。
 「それから? 他の牛の名前も言ってほしい」とカティ。
 「カーリーに、バイオレット、スウィーティ、クリムソン、それから火車だ」 そう説明した。「火車?」 カティが訊く。「そんな名前の牛、聞いたことがないけど」「わたしもだよ」 ニペルナーティが返した。「たしかに、変わった名前だ」
 「どこからそんな名前が出てきたの?」 カティが訊く。
 「わたしじゃない、牛飼いがつけたんだ。ここの働き手じゃない。よその、以前に農場にいたやつだ」
 「牛といっしょに、牧草地には豚もいるの? 豚は名前がない?」
 「小さなやつらは、名前に値しないんだ。もしわたしがここにいるなら、名前をつけたいね」

 カティは岩の上にすわって牛をじっと見ていた。1頭1頭の牛が動くのをうっとりと見つめ、そのことを楽しみ、とても幸せに感じていた。その目は小さな子どものようにキラキラと輝いていた。
 「知ってる、トーマス」 突然、そう訊いてきた。「もしここの女主人にならなかったら、牛飼いになりたい。だけど森に牛たちを連れていかない、ここには食べる草がないから。苔と落ち葉しかない。ここの牛飼いにそう言った方がいいよ。思うんだけど、たくさんの家畜がいて、広い土地をもっている人は幸せなはずだって。トーマス、あんたは幸せ?」
 ニペルナーティはカティの隣りに腰をおろした。なめし革のような皮膚の顔には、深いしわが刻まれ、ボサボサとした眉毛が目を覆うばかりに伸びている。そのとき雲に隠れた太陽が雲のはざまから顔を出し、黄色に染まった森や草原がまばゆい光に照らされた。吹いてきた風に葉っぱが運ばれ、舞い上がり、サラサラと音をたて、クルクルと旋回し、飛んでいき、眠りにつくようにまた地面に落ちた。

 「わたしにも困ったこと、心配ごとはいろいろあるんだ」 そう言うと、ニペルナーティはため息をついた。「それをきみに言った方がいいのかな? きみは幼く、傷つきやすい。どうしてそれを言わなくちゃならない。きみは森を見ていればいい、トウヒの木々が黄色く輝く大地から伸び上がってるだろ」
 「ちがう、そうじゃない」 カティが真剣な面持ちで反対した。「あたしに言ってくれなきゃ。あんたが何か言わずにいることがあるって、いつも感じてる」
 ニペルナーティは立ち上がって眉をひそめた。いらついた口調で「あのゴロツキめが! 60歳になる、年寄りの邪魔者が! このままにしておくわけにはいかない!」
 「だけどいったい誰のことを言ってるの、トーマス」 カティが心配げに訊いた。「その人が何をしたの?」
 「誰のこと話してるかって? 叔父のヤーク・レオークのことだよ、もちろん。やつが何をしたかって? わたしの大事な雄牛を市に連れていった、わたしの大切な雄牛をだ。ずっと夢見ていたんだよ、カティにあの角を生やした生きものを見せてやろうって。あんな立派な雄牛を、カティは見たことないだろうからね。何も問題はないと思って、家に帰ってきて、わたしが何を見たか。叔父がわたしの雄牛を市に連れていってしまった。わたしが腹をたてないでいられるか? いずれにせよ、あの叔父は困ったやつだ。叔父さんは馬鹿でかくて、脚はオークの木みたいに伸び上がり、鼻は人の頭くらいもある。そうだな、文句は言えない、神さまは愛すべき親類を与えたもうた。まだ父さんが生きていた頃は、叔父さんも物のわかる人で、家のサウナに住み、わたしの父のもと農場で働いていた。だけどわたしは年老いた叔父さんを不憫(ふびん)に思った、毎日サウナの湯気や煙を吸っていたら、どれだけ生き延びられるかってね。わたしは叔父に言ったんだ、こっちの家に来て住んだらと、そこで我慢してるのを見てるのは辛いとね。息子も連れてくればいい、あの子にとってもあんな湯気だらけの小屋に住むのはよくない。ところが今は!」
 「ところが今は?!」 カティがニペルナーティに目を向け、こわごわと復唱した。
 「今じゃ、あいつはわたしの家に住んでいる、自分が主人だとでもいうようにね」 ニペルナーティはそこで話を締めくくった。

 「でもよかったじゃない」 カティが微笑んだ。
 「どうして?」 ニペルナーティが疑問を呈した。「息子に嫁をとって、次には自分の結婚のことを触れまわってることがいいのかい? わたしの雄牛を市に連れていき、金をかせぎ、あれやこれや言って昼も夜も飲んだくれてる。わたしが耐えられるか? 家の中によそ者ばかりが集まったら、いったいわたしはどこにいればいい。大切なカティをどこに住まわせればいい。あいつらが礼儀を知ったとしても、いや、ああいう連中は礼儀というものを知らない。あれこれ自慢し、召使いに命令をしまくり、この農場が自分たちのものみたいにして住んでいる。叔父さんは自分のことを主人(あるじ)と呼ばせたい。いつもこう言ってる。俺のハンゾーヤ、俺のハンゾーヤとね。叔父さんのハンゾーヤはどこなのか、教えてやらなくては」
 「そんなに怒らないで、トーマス」 カティがなだめた。「その人は年寄りでしょ、自慢させてあげれば」
 「そう思うのかい?」 ニペルナーティが耳をかす。「だけどあいつらは、自分のベッドを奥の部屋に運び込んでる!」
 「本当の主人が放浪してるときに、どうして叔父さんがそんな風に、主人みたいに振る舞ってはいけないの?」 カティが意見を述べた。
 「だけどなぜ、わたしの雄牛を市に連れていった?」 ニペルナーティはそれにこだわる。「おそらく、そうする権利があると思ったんじゃない」 カティが言う。「あの人たちに借りがあるかも」
 「借りがあるって?」 ニペルナーティはその言葉尻をとって、しばし考えた。「たしかに、わたしにはちょっとした借りがある。あの年寄りは金を貸してくれたり、仕事を手伝ってくれた。わたしがまだ若かった頃、金をつかうのが好きだった。街に住んでいて、そこでは金がかかった。だけど今、それを清算したい、借りを返して、一から新しい暮らしを始めるんだ。どうかな、カティ、新しい家を自分たちで建てた方がいいかな。今の家は古くなっていて、狭すぎる。向こうの丘の上に家を建てるのがいいかな。そこなら、このあたりが全部見渡せる。白い丸太をつかって、自分たちで建てようか、大きくて広々とした家だ。そこには小さな流れがあって、カティは毎晩そこで足を洗える。どう思う? きみの兄弟姉妹も呼び寄せたらいい。みんな仕事を得て、農場で暮らしていける。きみの弟のピープのことを思うと、いつもあの子の笑顔や腕をパタパタする姿が目に浮かぶよ。あの子は牛を欲しがっていた、大きくて赤茶色の牛だ。あの子を連れてこよう、そうすれば赤い牛の群れ全部を手にできる。どの牛も自分のものだって思える。きみの母さんは何も欲しがらなかった。ただこう言っていた。結婚式に呼んでちょうだい。きみは変だな、家畜を嬉しそうに見て、畑や草原に幸せを感じてる。でも結婚式のことはひとことも言わない。だけどね、カティ、女の子っていうのは、カレンダーのある1日を指差して、恋人にこう言う。いい、この日が結婚式よ、そういうことだ。女の子たちはそんな風に言う。そういう幸せの青い鳥たちをわたしは知ってる。それなのにきみは何も言わない、見てるだけ、何も言わない。きみの心はどこかよそにある、牛たち、畑や草原にね。きみの髪は秋の太陽に染まってる」

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'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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