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[エストニアの小説] 第7話 #2 ヤーノス・ローグの彼女(全10回・火金更新)

もくじ

 次の朝、ニペルナーティは震えながら目を覚ました。からだが濡れて凍る寒さだった。それで急いでシルバステに戻った。
 港では男たちが荷船のところで忙しく立ち働いていた。ニペルナーティはしばらくそれを見ていたが、近づいてこう尋ねた。「何かやる仕事はありますか?」
 一人の年配の男がじっと見て、こう訊いてきた。「あんたを試してもいいがね。もし仕事が合わないようなら、夕方に出ていけばいい」
 仕事が合わないって? 相棒はどこだ? 自分が羽根みたいに軽い丸太を荷船に積み込むところを見たらわかる。仕事とさえ言えないような作業だ、楽しみの一種、子どもだってこんなもの扱える。なのにニペルナーティには力も、意欲も、技量もないと見込んでるわけだ。

 ニペルナーティの相棒は若くて力持ちで、名前をヤーノス・ローグといった。
 「急ぐんじゃない」 その若い相棒がニペルナーティを叱った。「あんたがこの仕事に合わないって、見たらすぐにわかる。ペイプシ湖で網を引いてたんだろうが、丸太を積むやり方は知らない。まずミトンをはめて、丸太を持ち上げ、脇に置く。それから丸太を押す、いつも同じ強さで押すんだ。そうすれば丸太は自分の力で荷船に転がっていく。ミトンを持ってないのかい?」
 「持ってくるのを忘れた」 ニペルナーティがおずおずと答えた。「そんなに冷たくはない」
 「冷たくない?」 ヤーノス・ローグが笑いながら言った。「丸太は凍ってる、冷たいだろう」

 夕方になって、積荷の作業員は帰途についた。ニペルナーティは揺れる荷船に乗った。ここで船員と一緒に、温かい鉄ストーブのそばで眠った。幸せで満足だった。
 「この荷船は外国に行くのかい?」とニペルナーティ。
 「この船では、嵐に耐えられない」 船員が答えた。「近くの港を行き来するのも安全じゃない」
 「残念なことだ」とニペルナーティはがっかりして言った。「外国にでも行けるのかと思った。わたしはプロの船乗りだ、海を旅するのが大好きでね。乾いた土の上を歩くより、ずっといいもんだ。それにワクワクするしね。嵐と戦うのは、笑いごとじゃ済まされない。特にこの荷船みたいに古い船を操縦してるときにはね」

 厳しい作業があり、せっせと働く日々が過ぎた。いくつかの荷船が丸太を積んで出ていった。
 「何ヶ月かは仕事があって、金も入る」 そうヤーノス・ローグが言った。「ここのやつらは、困ったことに丸太積みを急いでやろうとする。プロの作業員がいないとこういうことになる。ここにいるのはみんな、漁師や農夫ばかりだ。こいつらは急いでドタバタやろうとする、干し草刈りか網でも引いてるみたいにな。丸太というのはゆっくり、巧みに積むもんだ。どの木材も持ち上げて状態を何度も整えて、次にどの丸太にするか決めたところで、それを持ち上げる。それなのに漁師や農夫ときたら、どうやるかわかってない。ただやることしか考えない、収入源だと思ってない」
 土曜日に、作業員は給料を支払われ、ヤーノス・ローグはニペルナーティにこう言った。「あんたはツィターを弾くと、この前聞いた。あんたはそれを商売にしてるって本当か? 今晩、オレと一緒に来るかい。この近くの漁師の娘を知ってる、マレット・バーっていうんだ。父親と小さな小屋に住んでる。陽気でいい子だ、このマレット・バーって子は。だがあんたには無理だ。あんたは年をくってるし、服もひどくみすぼらしい。自分の靴を見たことあるのかい? だが、オレと一緒に来たらどうだ。あんたがツィターを弾いてくれたら、マレットとオレがおしゃべりするのに都合がいい。ウォッカをおごるよ」

 二人はシルバステの居酒屋に行き、ヤーノス・ローグがウォッカを買った。ニペルナーティは居酒屋の主人から自分の分を手にすると、こう言った。「さてと、今から盛大な酒盛りが始まるぞ! だがこのみすぼらしい店で時間をつぶしたくはないな。ケチで意地の悪い店主はたくさんだ。もってる食べもの飲みものを全部テーブルに並べて、客を大事にする店主がいい。さて、リスマエの居酒屋に行くか。あそこにはもっとふさわしい主人がいる、で、大金が支払われるってことだ」
 「このほら吹きが」 と、苛立たしげに居酒屋の主人。「おまえは酒飲みでもなければ、金をばらまくやつでもない。今度ここに戻ってきても、あんたのナイフや鏡でウォッカの1杯もやるつもりはない。このウソつきが!」
 「わたしがここに戻ってくるって?」とニペルナーティ。「いいかい、わたしはもうすぐ、叔母のカタリナ・イェーの所有する荷船で外国に行くんだ。船長として雇われている。叔母はわたしにそれに適した人間になってほしいんだ」
 「いいや、カテリーナ・イェーなどこの海岸にいない」 居酒屋の主人が言った。
 「カテリーナ・イェーがいないって? おーい、ヤーノス・ローグ、ちょっと来てくれ」 ニペルナーティがドアの外に向かって叫んだ。「ここの主人はカテリーナ・イェーなどここにいないって言ってるぞ! 戻ってきてこの男に間違ってると言ってやってくれ」
 しかしヤーノス・ローグは、居酒屋からずっと離れたところにいて、こう返してきた。「あんたをまだ、待ってなくちゃならんのかい? 来いよ、マレットのところにオレは行くぞ」
 「ほらみろ」 ニペルナーティが居酒屋の主人に言った。「ヤーノス・ローグもあんたとは話したくないってさ」 ニペルナーティはヤーノスのあとを追って走っていき、二人は漁師の小屋に向かった。
 
 「マレット・バーはいい子だ」とヤーノス・ローグ。「青緑色の目をしてて、浅黒い肌に黒い髪で、だがカラスの子のくちばしみたいなわし鼻なんだ。あの子のことを悪く思うな。あの子はまだ若い、この海岸でいちばんハンサムなオレでさえ受け入れてくれない。あの子は野生的で近づきにくい。一人で森の中や海岸を突っ走るのが好きなんだ。年老いた漁師の父親はあの子に手を焼いている。若くて元気のいい婿がほしいんだが、あの子は聞きやしない。それであの親子は貧しくてみじめに暮らしてる。食べるもの、着るものさえ不足してる。だがマレットはきれいな子だ。昨日、浜辺であの子に会って、こう言った。『オレの言うことを覚えていてくれ、マレット、明日、おまえに会いに行くから、家で待っていてくれ』ってな」
 シーモン・バーの小屋は土手の上にポツンと立っていた。背の低い小さな小屋で、窓枠の中に小さなガラスがはめられ、海に向かってそれがオオカミの目のように反射していた。小屋のまわりをヒューヒュー、ブンブンと風がうなり、小さな住処は寒さや風に耐えてしゃがみ込んでいるみたいだった。扉は小枝の蝶番に固定され、二つの小さな部屋はまるで貝殻のようだった。白い床板は、床掃除のあとの水で濡れていた。

 「やあ、シーモン・バー爺さんよ」 ヤーノスが入りながら声をかけた。「小さいなぁ、あんたの小屋は。天井に頭がつきそうで、小屋をひっくり返しそうで恐いよ。なんでこんなに小さな小屋にしたんだ? いいかい、今日オレは友だちを一人連れてきた。こいつはペイプシから来た、網の引き方やツィターの弾き方を知ってる。とはいえ、こいつは貧しくてみすぼらしい。靴は穴だらけだ。港での仕事が終わったら、こいつがどうするのか、オレにもわからん」 ヤーノスはテーブルにウォッカの瓶を置くと、棚にパンと塩があるのを見つけた。そしてこう尋ねた「マレットは家にいないのかい? また森に走りにいってるのか? 夜中にならないと戻ってこないのかい?」
 「そうだ、夜中じゃないとあいつは戻らない」 年老いた漁師は一本調子に答えた。「あいつがどこを走りまわってるかは、神のみぞ知るだ」
 「だがあんたはそれを禁止したんだろ、森に行くのを許したんじゃないだろ」 ヤーノスが反論した。「あんたは父親だ、あの子は言うことを聞かなくちゃ。つまらんな、オレがせっかく来て、ツィター弾きの友だちまで連れてきてるのに。あの子は待っていようという気がない。昨日、あの子に言ってあったんだ、明日、ここに来るからな、と。家で待ってろって」
 男たちはテーブルについて、黙ってウォッカを飲んだ。小さな小屋は揺れてキーキー音をたてた。まるで丸太や木材の一つ一つが生きているみたいだった。波のうなり声が、荒れる海から聞こえていた。風は金切り声をあげていた。
 「オレはあの子を待たんぞ」 ヤーノス・ローグが言った。「オレを歓迎してくれる女の子たちをよそで見つけた。マレットはアホで高慢だ。あいつはいい男をどう扱ったらいいか、知らないんだ。いくぞ、トーマス!」
 「わたしはもう少し、ここにいる」とニペルナーティ。
 「ここでマレットを待つのか?」 ヤーノスが訊いた。「言っとくがな、あの子はあんたにこれっぽっちも見向かないぞ。あんたはみすぼらしいし、あの子には年をくい過ぎてる。さらにあんたは醜いからな。だがまあ、ここにいればいい、家なしの放浪者だからな。荷船に居るよりましだ」

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'The Queen of Sheba' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


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