供給過多で死ぬ

1ヶ月に一本記事を投稿するとnoteが褒めてくれるのです。なので、今日は息抜き的に最近のどうでもいいことを書きます!毒にも薬にもならないけど、オチも意味もないよ!気をつけて。

<!attention!>
本日のnoteは若干のシモ要素を含みます。苦手な方は回れ右をしておかえりください。

毎年の悩みではあるのだが、夏至に近づくこの季節、朝日が昇るのが早すぎる。冬場なら6時半ごろに明るくなり始めるものが、この季節は4時半ごろには辺りが白んでくる。私は感覚過敏なので、部屋の窓という窓に遮光のための布(カーテンではないのが悲しいところ)を設置し、なるべく太陽光で起きてしまわないようにしているのだけれど、この時期の日差しは刺すように眩しいので大体5時台になると起きたくなくても一度は起きてしまう。

やめたほうがいいとわかってはいても、起きると絶対にTwitterを触ってしまう。昨日公式からの大きめの供給があったので、タイムラインはお祭り状態だ。こんなことをしていては神経が高ぶって余計に眠れないが、昨晩も眠りが浅かったので今日は意外にもそのまま二度寝をすることができた。

7:15。今度は上の階から聞こえてくるけたたましいミシンの音で起きる。これはさすがに眠れそうにもない。

諦めて、7:30に起床し、洗濯をする。
朝食をとり、簡単に化粧をし、洗濯物を干す。
やっぱり眠い。

9:30。このままでは今日1日とんでもない眠気に襲われて何もできないまま終わる気しかしないので(普段から特に何もしていないようだが、実はここ3日くらいが勝負だったりする)、仮眠をとることにする。私は眠りは信じられないくらい浅いが、レム睡眠とノンレム睡眠のリズムが恐ろしく正確なので絶対に90分きっかりの仮眠をとる。

はじめの方に何の夢を見たかは覚えていないが、前半40分は寝ているというよりも意識を飛ばしている感覚に近かった。周りで起きていることに薄い意識は反応している。でも時間感覚がない。

夢の後半戦は信じられないくらい淫靡だった。
淫靡という言葉がなんだか官能小説みたいなので書き直すと、信じられないくらいエロかった。エロいというのも、展開や登場人物、設定がエロいというわけではない。
これはむしろ怪異じみたエロさだ。
私は霊感というものをあまり信じていないが、昔から金縛りには遭いやすい体質だ。金縛りについて人と議論したことがないのでわからないが、私は金縛りには2つのタイプがあると思っている。一つは身体にのしかかってくる、ゾクゾクさせるなど<圧をかけてくる>タイプ。もう一つは身体にのしかかりつつ撫でてきたり股を割って侵入してこようとするような、<動きのあるタイプ>である。特に後者のような性的な動きを伴うものをインキュバス現象というらしい。
今回はさらに特殊で、夢の中で金縛り的な状況が起きているというタイプの淫夢だった。ここで白状すると、インキュバスの場合、私が見る夢は大体明晰夢でもある。つまり、ある程度自分の希望に沿って金縛りの方向を誘導することができる。

夢の中で私は電車に乗っていた。ドアの前に立っていたところに、隣に立っている"男の人ふう"の布で包まれた古木があった。古木は私への侵入を試みた。
気がついたら私たちはもう電車にはいなかった。古木は実体をなくしていた。噎せ返るほどの妖気にあてられ、私も錯乱状態になった。

ここまで書いていて、さすがに私のnote史上最大級にカオスな報告に思えてきたので一旦筆を進めるのをやめて、考察を加えたい。

まず、このような夢を見ることがどこまで一般的で、とるに足りないことなのかが私にはわからない。ただ、今回の淫夢は過去最大レベルの淫夢だった。限界シングル(限界オタクみたいに言うなよ)なのかもしれない。ただ、この夢で感じたことはもしかしたら限界シングルは喪女への一途を辿る一方ではなく、一種の怪異じみた妖気にあてられることで自ら妖気を放ちうるようになるのではないかということだ。こういうことは自分で言ってしまうと顰蹙を買うだけのような気がして気が引けるが、客観的に見てそのようなことはままありそうだ。チープな言葉で言ってしまえば「自家発電」だが、現状を内側から変質(メタモルフォーゼ)させようとするのは生命の本能的な欲動である。私は本質的に、人が一人でいるときにしか得ることのできない恩恵というものを信じている。妖気はその性的方面における最大出力だとして、それと同様にあらゆる才気はそのように培われるのではないだろうか。芸術家は孤独がないと作品を作れないとは言い古された言葉だが、自己の経験から鑑みてもそれは事実だと思う。そう思うと、そのような自己修錬のときの蓄積が却って他者との距離をつくり(距離を置いているというよりは一人でどんどん登っていってしまうイメージ、水平方向ではなく垂直方向ということ、この話前にもしたな)洗練されればされるほど、惹かれ合う対象は消えていく。なんという自己愛、なんという自己憐憫と言われればそれまでだ。しかしこれが31歳恋人いない歴もうすぐ4年のまごうことなき実感である。

と、ここまでで約1時間、文字にすると1900字以上書いた。スピードとしては過去最速である。

閑話休題というか、戻らなくてもいいのだけれど、それでも私は自分の運命の人が絶対にどこかにいると心から信じている。なぜここまでポジティブなのか、自分でも不思議なくらいだが。こればかりは、直感としか言いようがない。そして同時に、「いる」のと「出会える」のとは別問題だとも思っている。

このようなお気楽ゴーイングマイウェイ女にとって二次元の推しとはどのような存在だろうか。最近はそんなことばかり考えている。
無論、ここで書ききるには今日はもう時間がないが、いつかしっかり書いてみたい。

<おやすみ>


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