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インドゾウ「ナナ」天国へ 北海道の寒さに負けず、笑顔を届けた最後のゾウ

おびひろ動物園(北海道帯広市)のインドゾウ「ナナ」が3月4日、天国へ旅立ちました。推定59歳は、めすのゾウでは国内最高齢。1月19日に自分の力で立てなくなり、約6週間にわたり職員が看病を続けていました。ナナの生い立ちと元担当飼育員の思いについて書きます。

1964年にインドから来園

東京五輪が開かれた1964年の4月、ナナは推定3歳のときにインドからおびひろ動物園にやってきました。前の年に開園したおびひろ動物園の目玉の動物でした。

獣舎の建設が間に合わず、仮設獣舎という名の小さな小屋で半年間ほど過ごしました。

ゾウ舎は同年11月に完成。その建物はナナの生涯の「家」となりました。

北海道の道東の寒さは厳しいです。温暖なインドとは比べものにならない寒さです。

ナナは、冬は暖かい室内で過ごしながらも、少しずつ外に出て寒さに慣れる訓練をしました。

雪だるまをつくったり、雪を体にかけたり。時間とともに寒さに順応して、雪を使って遊ぶことも覚えたそうです。

ナナは小さなころから帯広市民に愛されていたのは、言うまでもありません。

12歳を迎えた1973年。1頭で暮らしていたナナのもとに、生後6か月とみられるアジアゾウ「ノン」が仲間に加わります。

2頭はふだんは仲良く過ごしていましたが、えさの時間になるとナナはノンの分まで全部食べてしまうなど、いじわるをすることがありました。かわいがられる妹分ノンへの「やきもち」だったといいます。

「若い時のナナはすごくとんがっていた。気に入らないことがあると、鼻をあげて鳴き、耳をばたばたさせてね。よく扉も壊されました。ゾウ舎から出たくない時は、しっぽをさわって誘導しても、びくともしなかった」

1980年から15年ほどゾウを担当した柚原和敏園長はこう話します。

(おびひろ動物園のナナ(左)とノン)

妹分「ノン」の突然の死

1996年、飼育員に衝撃が走ります。ノンが推定21歳という若さで急死したのです。人で言えば、大人になったばかりの年齢です。

柚原さんは「まだまだ駆け出しのゾウだった。もっと注意深く行動を見ていたら、病気に気付いてあげられたかもしれなかった」と悔やみました(ノンの死因は心臓疾患。仮に病気が事前にわかっていても、治療は難かった)。

飼育担当は、これまで以上にナナの体調管理に気を引き締めて取り組むようになりました。

ゾウは脚が悪くなって死んでしまうことが多いため、脚のケアには特に力を入れました。

ナナは冬の寒さには慣れましたが、風が強い日はできる限り室内で過ごすようにしました。

足の裏が霜焼けになれば消毒液を入れたお湯に浸し、ワセリンを塗りました。

2000年を過ぎて40歳になると、飼育員は栄養を補うためにサプリメント入りの「おから団子」を作り、ナナに毎日与えました(おからはナナの大好物)。

足の裏を点検するためのトレーニングを実施し、尾から採血して体調に変化がないかを調べる健康診断も始めました。

ナナは大きな病気をせず、下痢にも食欲不振にもなりません。強いゾウへと育っていきました。

2008年、釧路市動物園のアフリカゾウ「ナナ」が死に、ナナは2018年に札幌市円山動物園でゾウが導入されるまで北海道で1頭だけのゾウになります。

北海道の唯一のゾウとして、帯広以外の多くの人たちからも愛された一方で、時代とともに動物福祉の面からナナの単独飼育は批判の対象になりました。

ゾウは群れで生きる動物で、複数での飼育が基本ですが、ワシントン条約による取引規制でゾウ導入のハードルは高く、群れ飼育のための施設改修も財政的に厳しい。現場にはナナの他の園への移動はストレスになるという心配もありました。

「批判は受け止めなければなりません。本当なら、広い場所で、複数のゾウで飼ってあげたい。動物園としてはナナが今の環境で少しでも幸せに過ごせるように、覚悟を決めて飼育するしかなかった」(柚原園長)

ナナが退屈しないよう、ゾウ舎に砂を入れて遊ばせたり、ロープなどの「おもちゃ」を与えたり。(ただ、ナナはおもちゃに飽きやすく、ものをお客さんのほうに投げる心配があったので、ナナにものを与えることには消極的だった)

そんなナナの一番の楽しみは、「人とのコミュニケーション」だったといいます。

お客さんとの交流が一番豊かな時間


ナナはよく会うお客さんの顔を一人ひとり覚え、会えるのを楽しみにしていました。

「ナナを愛してくれたファンの方の存在は大きかった。ナナにとって、お客さんと過ごすのが一番豊かな時間だったはず」と柚原園長は話します。

飼育員も常にナナに話しかけることを意識しました。体を触って、「口の中どうなっているの」「足見せてね」と声をかけながら体のケアをしました。

ナナはトレーニングの号令で脚をたたみ、体を丸めた状態を保つことができます。その状態で飼育員が話しかけながら背中をデッキブラシでごしごしと洗うことをナナは好んだそうです。

2011年に50歳を迎えたナナ。しわが増え、歯は残り1本に。高齢になったからか、性格は急に穏やかになりました。

とがっていたナナは新人の飼育員にも「やさしいおばあちゃん」になり、横になって寝る姿も見せるようになりました。

2020年1月19日、ナナは自分の力で立てなくなりました。

大人のゾウが立てなくなると、内臓を圧迫するなどして1日で死ぬこともあります。

ゾウ舎は古く、ゾウ を吊り上げる設備はありません。それでも動物園は他の園にも意見を聞き、どうにかして起立させる手段を考えました。

ゾウが自力で立てない場合は、まず立ち上がらせるのが基本だからです。

しかし、ナナは飼育員の問いかけには応じるものの、どうしても体を動かすことができません。

動物園はこの状態で仮に吊り上げることができても、ナナは体をコントロールできず負担が増すだけと判断しました。

1月25日、動物園はナナが起立不能という状況を公表。お客さんからはげましのメッセージが次々に届きました。

飼育員はえさを一つひとつナナの口に入れて食べさせました。全国から届いたバナナ、スイカ、りんご、オレンジなどの消化の良い果物です。

通常は1日50キロのえさを食べるナナ。倒れてから食欲は減ったものの、毎日10キロは食べる日が続きました。

飼育員は寝藁を変えるなど、ナナの負担軽減に力を注ぎました。

ナナは倒れてから約6週間となる3月4日、飼育員3人に見守られて息を引き取りました。

1回目の東京五輪が行われた1964年から2回目の東京五輪開催の2020年まで、ナナは帯広で過ごしました。

お客さんは、子どもから親となり、さらに、孫の手をつないでナナを見続けてきました。ナナを見て育った飼育員も少なくありません。

ナナは最後の最後まで生きる力をみせました。

「ありがとうしかないです。ナナは寒く厳しい気候の帯広にきてくれて、これだけ長生きしてくれた。3世代にわたって愛され、多くの人がナナとの思い出をつくりました。動物園では一番の先輩になり、園を見守ってくれた。思い出は語りきれません。感謝しかないんです」と柚原園長は話します。

2018年に円山動物園にミャンマーから導入されたゾウ4頭は、国内最大級のゾウ舎で飼育され、冬期はあたたかい屋内だけで過ごしています。

北海道では、旭山動物園、釧路動物園にもナナという名のゾウがいました。

おびひろ動物園のナナは、北海道の厳しい寒さの中、外に出て笑顔を届けた最後のゾウでした。

夏期開園が始まる4月29日からナナの献花台を設置する予定です。

(インドゾウ「ナナ」の写真はどれもおびひろ動物園提供)



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