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チンパンジー「マツコ」の半生②

複雑な過去があるチンパンジー のマツコは、どのようにして今の「穏やかな日々」を送ることになったのだろう。かみね動物園でマツコを一番近くで見ている飼育係の一人、大栗靖代さんに聞いた(マツコの全体的な話は連載①へ)。

担当飼育係から見たマツコ

Q マツコはどんな特徴があるチンパンジーですか。
A かみね動物園には7頭のチンパンジーがいます。顔、特に口の周りに白い部分がまだらに残っているのがマツコです。人気のタレントさんと同じ名前だからか、お客さんには名前が印象に残りやすいみたいです。ごはんの時間などに「あの子すごい」と言われているのも、だいたいマツコですね。持てるだけのごはんを集め、自分の周りに広げて食べるのがマツコスタイルです。

Q 大栗さんから見たマツコの印象は。
A 「食いしん坊で自由人」というのが一番の印象です。あと、人のことをよく見ています。たとえば、お客さんが運動場の前でおやつを食べていると、何かもらえるのではないかと、虎視眈々と周囲をうかがいます。子どものチンパンジーは手を叩くなど、お客さんの気を引く動きをしますが、マツコはじっと見つめます。これは職員に対しても同じ。多くは語らず、態度でわかってくれるでしょ、というように。きっとマツコは頭がいいのだと思います。(*チンパンジーが食べ物をほしそうにしていても与えないでくださいね)

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ハロウィンもクリスマスもプレゼントは持てるだけ持つのがマツコ(かみね動物園提供)

手の指が変形、散弾銃によるものか

Q マツコの過去のことを伺っていきます。まず経歴について教えてください。
A アフリカで赤ちゃんの時に動物業者に捕まって、1979年に推定1歳半で日本にやってきました。マツコは今も右手の人差し指の一部が変形しています。捕獲するときに使われた散弾銃によるけがと言われています。

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右手人差し指の先が変形している。赤ちゃんの時に散弾銃でけがをしたようだ

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人差し指(一番下の指)の変形がよくわかる写真(かみね動物園提供)

イルカショーでおぼれ、プールの底へ

Q 日本ではどのように過ごしたのでしょうか。
A 10歳の時まで静岡県の水族館でイルカのショーに出ていました。「ミミ」という名前でした。ライフジャケットを着て、浮き輪をつけて、イルカに乗って波乗りしていたようです。

それが、立っていた台(下のポスター参照)の一部が折れてプールに落ちてしまう出来事がありました。陸の上にいたのでライフジャケットも浮き輪もしていない状態で、おぼれてプールの底まで落ちたそうです。水への恐怖心をおぼえ、プールに近づかなくなったと聞いています。

動物福祉が重視される今では考えにくいですが、かみね動物園でもチンパンジーのショーをしていた過去があります。しかし、泳げないチンパンジーにイルカのショーをさせるのは、世界的にも珍しかったのではないでしょうか。

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イルカショーに出演していたときのポスター。イルカのえさやりもしていた

各地を転々、群れになじめず

Q マツコはそれからどうなったのですか。
A 別の施設に移ることになりました。1992年に愛知、2002年に栃木の動物園に移り、2008年にかみね動物園にやってきました。GAIN(大型類人猿情報ネットワーク)の記録では、計3つの名前がありました。

Q 各地を転々として、名前も変わった。
A 水族館から移動したのは、水を怖がりショーに出演できなくなったことに加えて、成長するチンパンジーを水族館で1頭だけ飼育するのが難しくなったこともあったと思います。かみねでは、チンパンジーの新施設の完成に合わせて、群れづくりに力を入れる計画があり、めすを迎えたいと考えていました。そこで、かみねのチンパンジーと同じ西アフリカの血統で、搬出可能な状態だったマツコが選ばれました。

空気が読めない子

Q チンパンジーは動物園間をよく移動するものなのですか。
A 繁殖目的での移動はよくありますが、マツコの4園の移動は多い方ですね。群れになじめていなかったことが原因のひとつと思います。チンパンジーは群れで暮らす動物で、仲間との関係を大切にします。それが、マツコは小さい時に群れと引き離され、水族館で人やイルカと過ごしました。10歳までの成長段階でチンパンジーとコミュニケーションをとれなかったので、群れでうまく関係を築けなかった可能性はあります。

Q   具体的に教えてください。
A    チンパンジーは小さい時から群れのルールを覚えていかないと、「空気が読めない子」になってしまいます。例えば、トップのおすにあいさつがちゃんとできないと、「失礼だ」と怒られることがあります。その様子を周りの子が見て、いじわるしてもいいんだと考えます。群れになじめないと、1頭だけ離した環境で飼育せざるを得なくなります。

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かみね動物園にやってきた時のマツコ(かみね動物園提供)

白い肌、長期間外に出ず?

Q かみね動物園ではどんなふうに過ごしていたのですか。
A    かみねに来園したとき、マツコは今より全体的に白い肌をしていました。ふつうチンパンジーは子どもの頃は色がうすく、大人になるにつれて太陽を浴びて色が濃くなっていきます。マツコの肌の色が薄かったのは、長い間、外に出ていなかったからだと思います。

当時、かみねには5頭のチンパンジーがいました。その中で、女王様気質の「ルナ」と、わがままな「ジュンコ」という強烈な個性のめすがいました。2頭とも感情に素直な性格です。マツコは来園して2週間くらいで群れに合流しましたが、ルナとジュンコに追われてけがをしたことがありました。

マツコはルナやジュンコに気を遣い、ごはんを食べることも遠慮していました。それでも少しずつ群れになじみました。

群れに心を開き始めるマツコ

Q 群れで暮らせるようになった理由は。
A ルナとジュンコにはきびしさだけでなく、やさしい一面がありました。屋内にいるマツコを迎えに行ったり、寝室に帰る時間になると「戻ろう」と促したりと。そして、リーダーの「ゴヒチ」は自由奔放なマツコをやさしく受け入れました。マツコは仲間に恵まれたとも言えます。

1頭で暮らしてきたマツコには、自分の世界がありました。当時の飼育担当者は、マツコは自分の「居場所」を見つられると信じて、他のチンパンジーとの同居をやめることはせず、ゆっくりと待ちました。マツコが群れに少しずつ心を開くなか、2012年にルナが死に、2014年にジュンコが池田動物園(岡山市)に移動します。チンパンジーがいなくなり、さびしくなる一方で、ついにマツコがのびのびと暮らせる時代が到来します。

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ルナとジュンコに毛づくろいをしてもらうマツコ (中央)。きびしさもやさしさも教わった

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マツコと飼育係の大栗さん

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ついに「マツコの時代」がやってきました。続きはチンパンジー「マツコ」の半生③へ。マツコの出産、そして大栗さんが伝えたいこととは。

チンパンジー「マツコ」の半生①はこちらから↓



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