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亘理伊達家の風情が残る田園都市。

はぴみんのずんだ党フードサミット ほっき飯 先取りトーク②



温暖で美味しいものがいっぱいの亘理町。

撮影:はぴみん                
宮城県亘理町「自慢したくなる亘理 亘理の魅力」2ページより

亘理町は、仙台市から南へ26キロメートルほどのところにあります。
冬は比較的あたたかく、夏は心地よい海風が暑さを和らげる、暮らしやすいところだそうです。(亘理町HPより)

東に太平洋、西に蔵王連峰を望む宮城県亘理町。
豊かな海の幸はもちろん、温暖な気候が育む様々な果物などの季節を彩る 食材が豊富で、宮城県を代用するご当地グルメのひとつ「はらこめし」や「ほっきめし」は、ぜひ一度味わってほし逸品。

宮城県亘理町「自慢したくなる亘理 亘理の魅力」2ページより

宮城県亘理町「自慢したくなる亘理 亘理の魅力」
https://www.town.watari.miyagi.jp/common/img/content/content_20220203_101756.pdf

高級魚として知られるヒラメは、亘理を代表する魚で、築地や名古屋方面へも出荷され、マガレイ、マコガレイ、イシガレイなど、亘理で水揚げされるカレイは、種類が豊富で肉厚のものが多いということです。
(宮城県亘理町「自慢したくなる亘理 亘理の魅力」14ページより)

 ヒラメやマコガレイをはじめ、80種類以上の魚介類が水揚げされる『亘理荒浜漁港』では海苔の養殖も盛んです。阿武隈川から流れ込む豊富なプランクトン、親潮と黒潮が出会う潮目が亘理の豊富な海の資源を育んでいます。また、宮城県漁業組合泉南支所亘理では、ヒラメやサケの稚魚などの放流も推進。豊富な海の資源を守る活動にも取り組んでいます。

宮城県亘理町「自慢したくなる亘理 亘理の魅力」15ページより

日本一のヒラメ、イシガレイ、マコガレイを底引き網で追う地元の漁師さんは、量より質で勝負すると言います。
魚を活きたまま出荷する「活魚」は、亘理町の荒浜から始まったということで、首都圏の割烹や鮨店から指名買いされるほどになったのだそうです。
(みやぎ水産の日【俺たちの仕事場。】亘理魚市場【宮城県の魚市場】より)

また、亘理町には「3つの赤い果物」があります。
イチゴとリンゴとアセロラです。

東北の湘南とも呼ばれる亘理町は、宮城県内はもちろん、東北エリアでも随一のイチゴ生産量を誇っています。
(中略)
現在、3種類のイチゴが栽培されています。大粒の果実に爽やかな甘みの「もういっこ」と、甘味と酸味のバランスが良くジューシーな「とちおとめ」がメイン。さらに新たな品種として「もういっこ」と「とちおとめ」を掛け合わせた「にこにこベリー」が誕生。

亘理町HPより

樹上で完熟させた亘理のリンゴは 全国から人気を集めています。
(中略)
亘理・吉田・逢隈地区で盛んに栽培が行われ、県内有数のリンゴの生産地として知られています。近年は市場に出荷されることこそありませんが、「他地域のリンゴより甘味が多い」というファンが多く、贈答用として生産者から消費者へ直接販売されています。

亘理町HPより

アセロラは気温が5℃以下になると枯れてしまうため、気温が低い北日本や東日本での栽培は困難とされていました。しかし、『亘理アセロラ園』を営む伊藤さんご夫妻は、1994年からアセロラの栽培に取り組んでいます。
(中略)
『亘理アセロラ園』が作るピューレが原料の「サニードレッシング(アセロラ)」、アセロラの果肉が入った「オリジナルブレンドソフトクリーム」、健康促進の期待がもたれる「アセロラジンジャーシロップ」など、アセロラが原料の商品はたくさんあります。

亘理町HPより

伊達成実が築いた城下町。

江戸時代、伊達政宗のいとこの伊達成実に始まる亘理伊達氏が、14代にわたって亘理の地を治めました。

亘理町立郷土資料館「わたしたちのまち亘理」より
亘理町立郷土資料館「わたしたちのまち亘理」より

伊達成実は、慶長7年(1602)、35歳で亘理の初代領主となり亘理の礎を築きました。仙台藩主・伊達政宗の片腕として多くの武功を上げた戦国武将の成実ですが、亘理領主としても力を発揮します。成実が目指したのは、新しい時代に対応した町づくり。用水路を整備し、新田を切り拓き、着任当時は六千石だった石高を二万石まで広げていきます。これは伊達家家臣団随一の石高でした。また部下に対する思いやりが深く、公正さを大切にし、家臣・領民に慕われた領主であったようです。

 ぶらっとわたり 伊達成実が礎を築いた城下町「亘理」より

仙台の地元紙「河北新報」に連載されていた千葉真弓さんの「独眼竜政宗」(前半は、「かほピョンこども新聞」に掲載)には、伊達政宗と生涯を共にした伊達成実の人間像が鮮やかに描かれています。

撮影:はぴみん

城下町亘理は活気にあふれ、阿武隈川の水運が盛んで、上流にある幕府天領の御城米をはじめ、多くの米や物資が運ばれたため、河口の荒浜は集積地として賑わいました。
この阿武隈川の水運は、江戸時代の初め、河村瑞賢によって整備され、後に東廻り航路へ発展しました。
阿武隈川では漁業も盛んで、川の水は農業用水として水田に引かれました。
(亘理町立郷土資料館「わたしたちのまち亘理」より)

亘理町立郷土資料館「わたしたちのまち亘理」より
亘理町立郷土資料館「わたしたちのまち亘理」より



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