見出し画像

せり。恋の息吹を贈る青菜。


はぴみんのずんだ党フードサミット せり鍋編 先取りトーク②



春の訪れの象徴として、古来より日本人に愛でられてきたせりは、美味しい食材という存在を超えて、人々に独特の憧れの眼差しをもたらすものだったようです。今回は、「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)という本を読んで、それはどういったものだったのか? を考えてみたいなと思います。


位の高い人たちも、心奪われる。

現存する日本最古の和歌集『万葉集』は、奈良時代末期に成立したとされますが、その中に収められている歌によると、班田司という高官の人もせりを摘んでいたことがわかります。

  天平元年班田の時に、使ひの葛城の王、山背国より、薩妙観命婦の所に贈りし歌一首 芹のつとに副えたり
  あかねさす昼は田賜びてぬばたまの夜の暇に摘める芹これ(四四五五)
 歌は、昼は班田に追われ、夜になって得られたわずかな暇に摘んだセリですよこれは、という意味である。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)53ページより

『延喜式』には、平安時代に宮中でせりの栽培が行われていたという記録があります。そして、香りが良く色鮮やかなせりは、美しく高貴な女性たちに似つかわしいと思われていたようです。

 『延喜式』三九・内膳編の耕種園圃の項には、一段(約一二アール)のセリの栽培をおこない、栽培には四四人役を要したと記録されている。『延喜式』(平安時代初期の律令の施行細則、九六七年施工)が定められた平安時代初期に、すでに宮中ではセリの栽培をおこなっていた。この時代のセリは、田や渓流で一般の人が採ることができる野生のセリと、宮中で栽培され野菜化したものを宮中の人が使うなどという、いくつかの利用形態もあった。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)56ページより

 当時セリの栽培は『延喜式』に記載された田で作られるもの以外にも、皇居の中の庭でも行われていたことが、次の歌からわかる。
  芹摘みし御垣が原はそれながら昔をよそに濡らす袖かな(源通具 千五
  百番歌合・春)一・五三
  君を今日御垣が原に袖濡らし芹摘むばかりものや思はむ(源家長 千五
  百番歌合・恋)一・一四〇〇
 この歌でいう「御垣が原」とは、皇居内の庭をさす美称であり畏称である。ここで天皇と、天皇の身近なところにいる初任が食べられるセリが植えられ、屋敷内菜園がつくられていたのであった。
 (中略)
目も覚めるような緑と香気をもつセリは、いわゆる明眸皓歯の更衣・女御などが採取直後の新鮮さをたのしんで食べられている姿をよそ目ながら見ている人がいて、その姿がよほどよく思われてたのであろう。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)56~57ページより

せりがもたらした悲恋。

平安時代の2つの書物には、せりが呼び起こした恋慕とその悲しい結末が記述されています。

 源俊頼著の歌学書である『俊頼髄脳』(一一一一 ~ 一一一五年に成立)に伝えられるのは、ある男が朝方宮中の庭を掃除しているとき、風が吹いて御簾を吹き上げ、内側におられる后がセリを食べられているところを垣間見てしまった。それ以来男は后を恋こがれ、セリを摘んでは御簾のあたりに置き、后の御心を迎えようとしたが、年経ても男の思いは叶わず、ついには恋にやつれて死んだという話である。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)59ページより

 『奥義抄』では、別の説である。まふくだ丸という童が、大和の国の豪家の姫君が池のほとりでセリを摘んでいるのをみてから、一途に恋こがれ、焦がれ死にしそうになっていた。そのことを伝え聞いた姫君は童を哀れと思い、手習い学問に励んで、一廉の人となったあかつきには、童の願いを叶えようと約束する。童はよろこんで蘇り、ひたすら研鑽をかさね年を経たのであるが、姫君は不幸にも早逝してしまった。男(童)はそれを知り、発心して仏門に入り、大徳となったというのである。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)59ページより

神饌(しんせん)、せり。

 わが国ではむかしから七種の菜の一つとして、正月七日には粥にし、これを味わい、一歳の邪気を祓うとされてきた。歌人たちもやはりこのことを歌に詠っている。またセリのことを根ゼリとも称するのは、根が潔白、芳美で愛すべきものだからである。
 セリの茎や葉の瑞々しい緑と、白じろとした根との調和の美しさ、さらに清々しい香りとが評価され、神の食べられる神饌としてお供えされ、また神事にかかわるときの宴の食べ物の一つとしても用いられてきた。

「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)80ページより

詩歌に疎い私などは、恋する人に花束ではなく菜っ葉を贈るなんて、なんだか滑稽な印象を持っていたのですが、清い神饌という高次元のオーラを纏うせりが、美しい女性を崇拝する気持ちと結びつくと、それは<生涯を捧げる恋>というものに昇華されていくのかもしれません。

せりは、バラの花的存在?

海外では、愛の象徴であるバラの花を、恋人に贈る習慣があります。
色鮮やかなバラの花の美しさには誰もが心惹かれますし、その芳しい香りはロマンティックな感情を呼び覚まし、真摯な思いを代弁するものと広く認識されています。
目に鮮やかでいい匂いがするという点では、せりも、バラの花には負けてはいません。「茎や葉の瑞々しい緑と、白じろとした根との調和の美しさ」や「清々しい香り」をもった植物ですから。
「でも、せりは青菜だし、食べ物じゃない? バラの花を、ムシャムシャ、食べたりしないよね? 」と言う方、バラの花だって、ジャムや紅茶にして食べたり飲んだりします。せりのように、贈られたものを必ず、全部食べるとは限りませんが。お料理にトッピングされたバラの花びらを食べるということもあります。

せり鍋で、愛が芽生えるかも。

つまり、今だって、せりは、ロマンティックな感情を醸成してくれる、と私は考えています。
お鍋は、みんなで和気あいあいと食べるというイメージがありますが、せり鍋に関しては、二人きりで、という手もあると思うのですよ。
出汁スープが煮立つのを待ちながら、そこに鶏肉を投入して火が通るのを待ちながら、「日本人にとって、昔から、せりは、特別なものだったんだよ。なぜかと言うとね、ほら、せりって、こんないい香りがするでしょ」と匂いを嗅いでもらったり、改めて、根の白さや緑の美しさを味わってもらったりと、二人だけだと、落ち着いて平安時代の人々の追体験をしてもらえるからです。
そして、お相手の反応を見ながら、せりがもたらした恋の話など、ウンチクをどこまで傾けるのかを判断しつつ、根、茎、葉、それぞれを入れるタイミングを見計らって、クタクタに煮過ぎてしまわないよう鍋奉行に励んでください。
何よりも、セリの爽やかな味わいが、あなたへの好印象となりますように。スープと鶏肉の滋味深い温もりが、あなたへの信頼を深めていきますように。
バレンタインデーやホワイトデーには、こんな時間を味わってもらうのも、新鮮かもしれません。
もちろん、お相手の食べ物の好き嫌いは、事前にリサーチしておきましょうね。春菊やパセリなど、香りのある野菜が苦手な人もいますから。


https://cluster.mu/e/41841f15-386f-4df0-ace4-f0b26480d160



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?