せり。恋の息吹を贈る青菜。
はぴみんのずんだ党フードサミット せり鍋編 先取りトーク②
春の訪れの象徴として、古来より日本人に愛でられてきたせりは、美味しい食材という存在を超えて、人々に独特の憧れの眼差しをもたらすものだったようです。今回は、「春の七草」(有岡利幸著 法政大学出版局 ©2008)という本を読んで、それはどういったものだったのか? を考えてみたいなと思います。
位の高い人たちも、心奪われる。
現存する日本最古の和歌集『万葉集』は、奈良時代末期に成立したとされますが、その中に収められている歌によると、班田司という高官の人もせりを摘んでいたことがわかります。
『延喜式』には、平安時代に宮中でせりの栽培が行われていたという記録があります。そして、香りが良く色鮮やかなせりは、美しく高貴な女性たちに似つかわしいと思われていたようです。
せりがもたらした悲恋。
平安時代の2つの書物には、せりが呼び起こした恋慕とその悲しい結末が記述されています。
神饌(しんせん)、せり。
詩歌に疎い私などは、恋する人に花束ではなく菜っ葉を贈るなんて、なんだか滑稽な印象を持っていたのですが、清い神饌という高次元のオーラを纏うせりが、美しい女性を崇拝する気持ちと結びつくと、それは<生涯を捧げる恋>というものに昇華されていくのかもしれません。
せりは、バラの花的存在?
海外では、愛の象徴であるバラの花を、恋人に贈る習慣があります。
色鮮やかなバラの花の美しさには誰もが心惹かれますし、その芳しい香りはロマンティックな感情を呼び覚まし、真摯な思いを代弁するものと広く認識されています。
目に鮮やかでいい匂いがするという点では、せりも、バラの花には負けてはいません。「茎や葉の瑞々しい緑と、白じろとした根との調和の美しさ」や「清々しい香り」をもった植物ですから。
「でも、せりは青菜だし、食べ物じゃない? バラの花を、ムシャムシャ、食べたりしないよね? 」と言う方、バラの花だって、ジャムや紅茶にして食べたり飲んだりします。せりのように、贈られたものを必ず、全部食べるとは限りませんが。お料理にトッピングされたバラの花びらを食べるということもあります。
せり鍋で、愛が芽生えるかも。
つまり、今だって、せりは、ロマンティックな感情を醸成してくれる、と私は考えています。
お鍋は、みんなで和気あいあいと食べるというイメージがありますが、せり鍋に関しては、二人きりで、という手もあると思うのですよ。
出汁スープが煮立つのを待ちながら、そこに鶏肉を投入して火が通るのを待ちながら、「日本人にとって、昔から、せりは、特別なものだったんだよ。なぜかと言うとね、ほら、せりって、こんないい香りがするでしょ」と匂いを嗅いでもらったり、改めて、根の白さや緑の美しさを味わってもらったりと、二人だけだと、落ち着いて平安時代の人々の追体験をしてもらえるからです。
そして、お相手の反応を見ながら、せりがもたらした恋の話など、ウンチクをどこまで傾けるのかを判断しつつ、根、茎、葉、それぞれを入れるタイミングを見計らって、クタクタに煮過ぎてしまわないよう鍋奉行に励んでください。
何よりも、セリの爽やかな味わいが、あなたへの好印象となりますように。スープと鶏肉の滋味深い温もりが、あなたへの信頼を深めていきますように。
バレンタインデーやホワイトデーには、こんな時間を味わってもらうのも、新鮮かもしれません。
もちろん、お相手の食べ物の好き嫌いは、事前にリサーチしておきましょうね。春菊やパセリなど、香りのある野菜が苦手な人もいますから。
https://cluster.mu/e/41841f15-386f-4df0-ace4-f0b26480d160
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