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明日を綴る写真館への違和感

注意

  • 大部分のネタバレを含みます。また、一個人の否定的なものも含む意見です。見たくない人はどうか避けてください。

  • たぶん映画を見てないとなんのことかわからない文章だと思います。

  • note自体を初めて使う、久々に自分の感想を言語化するので読みにくいところがあるかもしれません。

なぜこの記事を書いたか

ほとんどの人が優しい映画だった、いい映画だった、泣けたと言っているのを見かけたが、個人的に割と違和感があった作品だった。
そのため、個人的に納得がいかなかったことをどこかで吐き出したい、私が見落としている部分があれば教えて欲しい、そもそも映像作品の見方を教えて欲しい、と思った。

前提という免罪符

  • 1度しか見ていないので見落としている部分、記憶違いはかなりありそう

  • 原作を読まずに映画に行った

  • 今まであまり映画館で映画を見たことがない

  • 映像作品もディズニーやアニメ、ファンタジー系の洋画を見ることが多く、あまりヒューマンドラマを見たことがない

  • 推しがでているのでこの映画をみようと思った

  • そもそもクリエイティブなものを自分が作れるわけではないので、何かを作れるという時点ですごいと思っている

映画のあらすじ

さびれた写真館を営む無口なカメラマン・鮫島(平泉成)。彼の写真に心を奪われた気鋭カメラマン・太一(佐野晶哉)は華々しいキャリアを捨て、弟子入りを志願する。家族とのコミュニケーションすら避けてきた太一は、訪れる客と丁寧に対話を重ね、カメラマンと被写体という関係を超えてまで深く関わる鮫島の姿に驚きを隠せない。人々の抱える悩みや問題のために必死に奔走する鮫島に振り回されながらも、自分に足りないものに気付き始める太一。同時に、鮫島とその家族にも目を背けてきた“想い残し”があることを知る。変わりゆく太一が、悔いのない未来のために踏み出した一歩。その先に続く、思いもよらない奇跡に涙する――。

映画『明日を綴る写真館』公式サイトより

映像作品を見て感じた違和感

①太一のキャラがわからない問題

物語の最初に登場する太一は、無愛想で他人の気持ちを理解しようとしないキャラクターに見えた。心を閉ざしているようにも感じられた。高校時代の彼を見ても、人に気を遣うタイプではなさそうだし、親も彼を放任していた印象がある。幼い頃に礼儀作法をしっかり教えられた様子もなく、母親に愛情をかけられた記憶もなさそうで、母親が仕事に没頭しすぎてネグレクトまではいかないにしても、太一を放置していたように思える。

しかし、それにもかかわらず、写真館の前を掃除したり、料理をしてもらっている時にダイニングテーブルに座らずに立っていたり、犬に餌をあげる時にすぐに動いたり、家族の話を聞く時には席を外すなど、繊細に気を遣っているシーンが割と見られた。
 (写真館に来たお客様の写真を復元するシーンについては、佐藤浩市さん演じる牧さんの表情が素晴らしかったので、牧さんの気持ちに感化されて自然と「そうしてあげたい」と思ったのだろうと納得できたので違和感はなかった。演技上手い人ってすごい。)

人との関わりを通じて、太一の中に少しずつ思いやりが芽生えたのかなとも思ったが、繊細に気を遣うことができるシーンと無愛想で感じが悪いシーンが入り混じっていたこと違和感を覚えた。

母親に気を遣って生きてきた可能性も考えたが、もし母親にだけ気を遣って周囲には横柄な態度を取っているとしたら、それは「気を遣えるのに遣わない人」となり、性格が悪い人という印象を受ける。また、それは高校時代の空気を読めていなかったこととも矛盾しているように思える。

②太一のケーキちゃんとの距離の詰め方早すぎないか問題

母親や同級生とうまくいかなかった背景があるのに、太一が人との距離を詰めるのが早すぎる気がする。「こんなにすぐ人と仲良くできるなら、高校時代やマネージャー、母親ともああなってないんじゃない?」と思った。最初のシーンの感じの悪さだけなら、「芸術家だから自分の作品に納得がいかずイライラしていただけで、実は人懐っこい」という解釈もできるかなと思ったものの、幼少期から高校の描写を見ると、ずっと人と関わるのが苦手な人に見える。

だから、最初に会った直後にケーキちゃんのことを「ケーキちゃん」って呼んだのには違和感があった。太一なら本名がわからなくて「ケーキさん?」って呼ぶことはあっても、最初から「ケーキちゃん」とは呼ばない気がする。もし「ケーキちゃん」と呼ぶなら、そうなるくらい仲良くなったシーンを描いて欲しかった。映画だと出会ってすぐ次のシーンで「ちゃん」呼びをしていた気がして、太一がこんなに早く距離を詰めるとは思えなかった。

次に、ケーキちゃんのケーキを食べにお店に行くシーンで手を引かれて嬉しそうにしていたときも「???」となった。今まで人と関わってこなかった太一なら、相手の強引な態度に戸惑うことはあっても、嬉しそうな笑顔は見せない気がする。

さらに、鮫島家族の前ではまだ心を開いていないのに、ケーキちゃんにだけ心を開いているのは順番がおかしくない?と感じた。ケーキちゃんの天真爛漫さに徐々に心を開いていく、という展開なら理解できるけど、鮫島さんより先にケーキちゃんに心を開いて信頼を置いているように見えたのには違和感を覚えた。

※この点に関しては、自分の推しが女の子と話しているので、冷静に見れているのかはわからない…。

③太一の心の傷が癒えた理由がわからない問題

太一が写真館に行ってからマネージャーが母からの仕事依頼で電話をかけるまでの期間は、たぶん3ヶ月以内だと思う。その理由として、最初の方のシーンで太一がマネージャーに「3ヶ月後まで仕事をキャンセルしてくれ」と言っていた、その3ヶ月の間にマネージャーが母からの仕事依頼で電話をかけたように見えたから。電話を受けた太一も「前にも言っただろう」という感じだったし、マネージャーの林くんも多少申し訳なさそうだった。季節も変わっていなさそうだった。

そうだとすると、そんな短期間で無邪気に笑顔を見せるほど、3ヶ月くらいで人に信頼を寄せられるほど、太一の心の傷って浅かったの?と思ってしまう。確かに温かい人々や写真に触れることで少しずつ癒されている最中だとは思うけど、母親との「思い残し」がある状態で太一が全力で笑顔になれることはなさそうだと感じた。母親との問題が解決する前に無邪気に笑う太一に違和感を覚えた。

また、映画や物語の定石だと、幼少期に両親から受けた傷は誰かに大切に扱われないと癒えないと思ってるけど、太一が弟子として、あるいは新しい家族として鮫島さんに大事にされているシーンがあまり見当たらなかった。むしろ鮫島家族の事情に振り回されている感じで、ほぼ最後まで他人としての距離感を保っていたように思う。鮫島さんが「早く東京に帰れ」と言ったシーンや、ラーメン屋で3人で家族に間違えられるシーンなど、心が近づいていくような描写はあったけど、最初からほぼ最後まで、鮫島さんと太一の距離感があまり変わっていないと感じた。 (個人的には市毛良枝さん演じる鮫島妻の太一との距離の詰め方や信頼の置き方の変化がとても心地よく、これくらいのペースで関係性が変化してほしかった。)

たぶん太一↔︎ケーキちゃん、鮫島さん↔︎鮫島息子の変化が大きすぎて、鮫島さん↔︎太一の距離感の変化が相対的に薄くなってしまっていたのもある気がする。最後のシーンで親子に間違えられたときに太一がにやにやしてるのは、鮫島さんと太一の距離感が近づいた感じがしてよかったけど、こういうシーンを途中でもっと見たかった。

つまり、誰かに家族のような愛情を向けられ、人の温かさに触れて母親の影を振り払えたようにも見えなかったし、母親との「思い残し」が解決していない状態で心の傷が完全に癒されたような屈託ない笑顔をする太一には違和感があった。

※ここについては、目に光を入れる量を調整して心の変化を表していたという話も聞いたので、単純に私がその変化を汲み取れなかっただけかもしれない。

④太一が母親と契約を結んだ理由がわからない問題

まず、久々にあったにもかかわらず「結果を出したあなたにのみ興味がある」みたいな失礼な言い方で自分の仕事のために息子を利用しようとした母親と一緒に仕事をしようとした理由がわからなかった。

母親に契約を持ち出されたあとの悪夢のシーンで不安になって両親と関わるのが怖くなったはずなのに、母親と契約したのはなぜ?
こうかなーと思う解釈をしてみたけど、どれも違和感がある。

i. ケーキちゃんの写真を撮って心の変化があった場合
母親との葛藤をケーキちゃんに打ち明けたうえで、ケーキちゃんの「音のなる」写真をとったことで「昔、写真を見た時に聞こえた仲良かった両親の会話」を思い出して引き受けた?そうだとすると、ケーキちゃんともっと恋人のような関係になっているはずでは?
まだ、両親を自分たちに当てはめられるだけの関係をケーキちゃんと築けている段階ではないようにみえた。

ii. 「必要な子」って思われたくて引き受けた場合
母親に必要な子って思われたくて引き受けたのであれば、ケーキちゃんのシーンいらなかったのでは?
追加でこの場合だと母親と仕事をしたときにあんなに堂々と立っていられない気がする。
そもそもケーキちゃんのシーンがあった以上、この解釈はなさそう。

iii. ケーキちゃんの温かい対応で母親と向き合ってみようと思えた場合
ケーキちゃんが写真を撮ってと言ってくれたことで「温かい気持ち」を思い出すことができた。そして、外に連れ出してもらって写真を撮ることで「温かい写真が撮れるようになってきた自分」に自信を持てた。今の温かい気持ちを持った状態で母親と向き合ってみようと思えた。

個人的にはiiiが一番近いんじゃないかなーと思うんだけど、前述の通り、そもそも太一の傷が徐々に癒えてきたような描写を感じ取ることができていなかったので、母親と一緒に仕事をすると決めたことに違和感があった。

今更都合よく近づいてきた母親と仕事をしてみようと思えるまでの気持ちの変化を初見では感じ取ることができなかった。

⑤写真から何を得たのか問題

「写真は被写体を写すだけではなく、撮影者をも映すもの」という主張に基づいた時になぜあの写真が太一の心を動かしたのかがよくわからなかった。
心が動くっていうのは理由なんてないものだと思うから小さい頃に心を動かされたのはわかるとして、あの写真を見て五十嵐親子が二人で泣いてたのか、なぜ「思い残し」が解消されたのか、よくわからなかった。

例えば、写真がデートの時の写真ではなく、結婚してお腹に太一がいる写真なら納得がいく。母親側は「息子が生まれてくるのが楽しみで仕方なかった時の気持ちを思いだした」、息子側は「母親が妊娠中で被写体の母の思いも、撮影者の父の思いも感じられた。自分が生まれてくることが楽しみにされていた。いなくてもいい存在じゃなかった。確かに愛されていた瞬間があった。」と思えて「思い残し」が浄化されるのがわかる。
ただ、写真のシチュエーションは母親と父親とのデートの時の写真だと言っていた。そうだとすると、写真から伝わってくるのは「父親が母親を思っていたこと、母親が父親を思っていたこと」くらいじゃないだろうか。

五十嵐親子の「思い残し」って母親側は「子供にもっとかまってあげられなかったこと」もしくは「子供を大事に思う気持ちを忘れてしまっていたこと」、息子側は「母親の愛情が確認できなかったこと」なんじゃないのかなって思ったんだけど、そうだとすると「父親と母親の相思相愛の思い」が写真から伝わったとして誰の何の「思い残し」が浄化されたんだって疑問に思ってしまう。そもそも、この解釈をすると再会時に母親側に「思い残し」がありそうな態度がみじんもなかったのも気になる。

親子で泣き崩れたシーンでの太一の母親のコメントが、「父親の血が流れているのね(ニュアンス)」って感じだった。息子に元夫を重ねることで「思い残し」が浄化できるとしたら母親の思い残しは「元夫と離婚したこと」「元夫の面影のある息子を大事にしなかったこと」っぽくなってしまうし、その解釈をすると息子は「自分に父親を重ねて母親が自分を愛してくれていることが実感できた」ことで「思い残し」を浄化しているように思えてしまう。
そうだとすると、母親は息子自身を見てるわけではなく、息子はそれをわかってでも母親の愛情がもらえて嬉しいという歪んだ愛によって「思い残し」を解決したことになってしまって、途端にホラーみを感じる。

加えて、映画だとカメラを好きになるきっかけとなったのが、カメラマンであった父親なはずなのに父親がほぼ空気だったのも気になった。

あー、もしかしたら母親の「思い残し」は「父親の面影を見るのが辛くて、子どもと向き合ってこなかったこと」で「ようやく子供に向き合って父親に似ていることを認められるようになった」ことで思い残しが解消したのかな?太一も「母親にまっすぐ見てもらえた」ことで「思い残し」が解消したってこと?
そうだとすると最後まで母親が自分勝手すぎる。太一の気持ちじゃなくて自分の気持ちにしか目がいってない。
太一がどういう気持ちで今まで過ごしてきたかにきちんと目を向ければ、「許してもらえないかもしれないけど、自分勝手に避けてたことを謝る」になるんじゃないかなと思ってしまう。
(ここらへん私がヒューマンドラマに慣れていないせいかも。実際の人間はこんなものだから理想を押し付けるのが間違ってるのかもしれない。)

個人的には
「鮫島夫妻+ケーキちゃんと信頼関係を築き、ケーキちゃんの写真を撮って温かい気持ちを持てる自分に自信がつき、父親に会いに行く。そこで父親に昔の写真を見せてもらい、両親の自分への愛情を感じて母親と向き合う。母親が写真をきっかけに寂しい思いをさせたことを謝り、和解。」
もしくは
「鮫島さん夫妻 + ケーキちゃんと信頼関係を築く。母親のオファーについての相談を鮫島夫妻にする。そこにちょうどケーキちゃんが遊びにくる。鮫島さんが太一にケーキちゃんの写真を撮ってくることをすすめる。ケーキちゃんの写真を撮って温かい気持ちを持てる自分に自信がついたことで母親に向き合ってみる勇気が出る。母親が写真をきっかけにあの頃の気持ちを思い出して太一を抱きしめる。和解。」
くらいの流れだとすっと納得できたかも…。

母親の太一への愛情が伝わらなかったのが、「この写真で何を得られたんだろう」という疑問の一番の原因な気がする。

⑥その他

  • 危篤のおばあちゃん、血色が良すぎる。絶対あと10年は生きるだろ…。

    • それはそれとして、危篤状態で目を覚ましたばかりの人があんなに動けるのは無理があるんじゃない?小康状態だとしても、その後すぐ急変して亡くなる人があんな感じに視線がはっきりしてたり、手に力をいれられたりするの…?医療関係者じゃないからわからないけど。

      • その後の太一の「見事でした」も、病院内で家族に聞かれる可能性があるところで言うのは無神経に感じた。鮫島さんの仕事が見事だったのは理解できるけど、人の生死がかかっている場面で「仕事として素晴らしい」「仕事が終わった」みたいな過去形の発言は失礼に思えた…。

        • 個人的には、おばあちゃんが亡くなる前に車を出して、帰り道の車の中でその言葉を言ってほしかった。そのあとで家族から亡くなったという報告と感謝の電話がかかってくる、という流れのほうが違和感なく受け入れられたと思う。

  • 鮫島母親が現在住んでいる家、太一が中〜高校生くらいに住んでいた昔の家と違うおしゃれな家に見えたのに「写真をずっと奥にしまっていた」ってどういうこと?

    • 一人暮らしになって家を変えたのであれば、そのときに写真持ち出してるはずでは?少なくても離婚して、二人暮らしになって、太一が独立した後のタイミングで昔の家から写真を持ち出してない?

      • 引っ越し屋さんが自動で運んでくれたこともあるか…?

  • 人の結婚式で拍手をもらうウェディングプランナーって、ウェディングプランナーとしてどうなの?

    • 写真を撮り始めたのが主役なので、主役側の心境としては特に問題はないと思いつつ、人の結婚式で拍手を受け入れるウエディングプランナーがバリキャリみたいな扱いされてるのあまり納得いかない。

      • プロのウェディングプランナーなら主役が主役でいれる状況を作り出すんじゃない?

        • これは鮫島さんと太一の距離感がどれくらい近付いたかをうまく捉えられてなかったことに起因しそう。「実の息子のように思っている太一」という前提をつければ、違和感はなさそうなので。

  • メタ的なところでいうと、エンディングで母親役を演じた人より似てる人とのツーショット。正直、太一は牧さんの奥さんの子供って言われたほうがしっくりきた。

    • あくまで映画なので、親子の顔が似てないとか子役の顔が似ていないとかは別にいいと思うんだけど、エンディングでもっと顔が似ている人とのツーショットがあると「こっちのほうが親子じゃん…」って思ってノイズになってしまった。

解釈できなさすぎて原作を読んだ

太一のキャラについては原作も割と違和感があった。

  • 人の夫婦が冷めたことをにやにやして見ている嫌な表情をしているかと思えば、同じ日に「思ったことは伝えたほうがいい」とコミュ力高そうな人間関係についての言葉を発する

  • 高校時代に空気読めなくて人とうまくやれなかった描写があったのに空気が変わったことを察知できる

  • かと思えば、ケーキさんに「ケーキ『は』作れるんですね」と無意識なのか意識的なのかわからないが失礼なことをいう

確かにこれを読んで太一が空気読めるのか読めないのか判断するのは難しそうだなと思った。

距離の詰め方問題

原作には急に距離を詰めるように見える描写はなく、隣のケーキ屋さんで徐々に心を開いていく描写があったので、違和感はなかった。
また、太一側は最初から最後まで「ケーキさん」って呼んでいた。
両親との和解についてはそもそも原作にそのシーンがなかった。

その他

そもそも描写がなかった。
五十嵐父の扱いについては、原作と映像で大分違いそうだった。原作は父親がカメラマンですらない。

映像作品についてのまとめ

私も自分の違和感の正体がぼんやりしていたんだけど、書いているうちに何がひっかかっていたのかわかってきた。

映画をこういう解釈したら自分が納得できると思うストーリー

  • 太一は幼少期に愛情をもらえなかった経験から人間を信頼していない。

  • 写真で賞をとれるようになったが、自分の写真には幼い頃にみた感動が足りないと感じる。

  • 感動する写真に会えたので、鮫島さんに弟子入りして、自分に何が足りないのかを知りたいと思う。

  • 鮫島さんの周りの温かい人と触れ合って、太一自身も人に対して温かい気持ちを抱けるようになる。加えて、自分もこんな写真が撮れるんだと自信もつく。

    • 牧さん…写真の補正で笑顔を引き出すことができた

    • ケーキちゃん…写真の撮り方を教えることで笑顔を引き出すことができた

  • 心温かいと思っていた鮫島さんにも実は奥さん、子供に我慢をさせてしまっていることを知る。

  • ケーキちゃんのお店がすぐ近くにあり、ケーキちゃんと毎日会ううちに心の距離が縮まっていく。

  • 過去の顧客の写真もずっと保存していたり、お金にならないのに写真を探して送ってあげようとしたり、危篤のおばあさんに鮫島さん自身が自らのことを顧みずにアルバムを届けたり、という鮫島さんの仕事に人に真摯に向き合う姿に太一が感動する。

  • 鮫島息子もその姿を見て、父親がどれだけ仕事に一生懸命向き合ってきたかを知って、少し態度が軟化する。

  • 鮫島さんと太一の距離が縮まり、親子のような関係になる。人の愛情を信じられるようになる。

  • 太一の母親から電話がある。愛情も何も感じない態度に太一は絶望する。

    • 「誰にも必要とされていない」という冷たい気持ちを思い出して落ち込んでしまう。

  • 太一が落ち込んでいるときにケーキちゃんに会って、写真をとることで温かい心を信じてみようと思えた。

  • 太一は母親と向き合ってみようと思って母親のオファーを受け入れた。

  • 太一の母親は昔夫が自分を撮ったときの写真と同じような写真を太一のインスタで確認して、家の奥にしまっていた元夫の写真を引っ張り出す。

    • 写真によって昔のことを思い出すにつれて、太一が生まれるのを楽しみにしていた時の気持ちとか太一が生まれてからの楽しい日々を思い出して、次回太一と会ったら写真を渡そうと決める。

  • 鮫島息子が自分の母親の「思い残し」を解決するために動く。

    • その中で息子自身も父親が自分との約束を守ろうとしてくれてたことを知り、鮫島息子の「思い残し」がなくなる。

  • 太一も両親のように思っている鮫島夫妻の願いを叶えたいと思い、母親に結婚式ができないか相談する。

  • 太一の母親がその打ち合わせで家から見つかった写真を太一に渡すことで、太一は父親が温かい写真をとっていたこと、自分がカメラマンを目指すきっかけとなるカメラマンだったこと、両親ともに温かい人だったことを知って嬉しい気持ちになる。

  • 太一の母親もあの頃の温かい気持ちで息子に向き合わなかったことを後悔して、涙する。

  • 太一の母親も温かい気持ちを息子に向けているし、息子も温かい気持ちを母親に向けているからすごくいい写真がとれる。

  • 五十嵐親子の「思い残し」が解決する。

  • サプライズ結婚式で鮫島さんの奥さんの「思い残し」が解決する。

  • その後、指輪を渡せていなかった鮫島さんの「思い残し」が解決する。

  • 太一が写真館に残ることで息子に写真館を継いでもらいたかったという鮫島さんのもう1つの「思い残し」が解決する。

ここまで書いてて思った。え、めっちゃいい話…。
これを初見で感じ取れなかったの悲しい。

意図を感じ取れなかったのはなぜか

ほとんどの人が理解できていたということは、私の理解力と感受性が問題なんだろうと思う。
ただ、私がその流れを感じ取れなかった理由についても言い訳させてほしい。

  • 最初の段階で太一が無愛想で人に心を開いてない人という認識だったので、早めの段階で割と気遣いもできるようにみえてしまったり、ケーキちゃんを呼び捨てしたりで太一がどういう人間かを見失った。「太一だったら確かにこうしそう」「太一ってこういうこともできるようになったんだ」という太一の成長を感じることができなかった。

  • 映像作品だったからか展開が早くて、登場人物の気持ちの変化についていけなかった。太一の心が変化した期間が3ヶ月くらいに感じてしまって、軽い悩みだったように見えてしまった。

  • 太一の他に実の息子がいたので、鮫島さん↔︎太一の交流で2人が親子っぽくなっていく流れがわかりづらかった。家族の問題のときに太一の蚊帳の外感を感じたし、鮫島さん↔︎太一が親子となっていくよりも、鮫島さん↔︎息子が親子となっていくシーンのほうがわかりやすく描かれていたので、鮫島さん↔︎太一の関係の変化を感じ取りにくかった。

  • それゆえ、ケーキちゃんと仲良くなるスピードのほうが早く感じてしまって、ケーキちゃんとそこまで信頼関係を築いた理由がわからない…。母親との問題残っているのにケーキちゃんに満面の笑み向けてる…。ってなってしまった。

  • さらに、それゆえ、ケーキちゃん以外と温かい信頼関係を結べているようにはあまり見えず、母親と一緒に仕事をした理由がわからなかった。正直、鮫島妻とは徐々に温かい親子関係を結べるようになっていた感じがあったが、ケーキちゃんとの距離感のせいでそれすら薄れていた。

  • 母親から太一への愛情を感じず、あの写真に直接的に太一が関係していないことによってどんな思い残しが解消されたのかがわからなかった。

あとは

  • 推しが出てる映画だったので、「推し」として見てしまっている部分があった

  • 「弊推しとどうしてこんなに心の距離近付いているの〜!?!?」という気持ちのノイズはあったかもしれない。

もう一度みてみたい

ここまで自分で解釈したうえでやはり違和感を感じる作品なのか、私が初見で理解できなかっただけで作品だったのか気になる。
近いうちにもう一度見ることができたらと思う。

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