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小林麻耶VS海老蔵問題から考えるコミュニケーションのあり方

最近小林麻耶さんと海老蔵さんの暴露問題が話題にあがっていますね。
Twitterを始めとする各メディアでも、「何が真実なんだ」「どっちが悪いんだ」という話が挙がっています。
今回は、どっちが真実なんだ、というお話をしたいのではありません。
どちらかというと「両方真実である」というお話です。

人は「正義」の生き物である

人は誰もが「自分は正しい」と思って行動しています。
例えば「明日お腹いたくなりますように」と言って、1年前の卵は食べませんよね。
それは、その人が良かれと思ってする行動だからです。
仮に「嫌いなあの人を苦しめたいから、腐った卵を食べさせる」とします。
これはもちろん悪いことです。
しかし、その人にとっては正義なのです。

仮に腐った卵を食べさせた理由が、「昔いじめられた腹いせに、苦しめたい」という目的だとします。
腐った卵を食べさせることは、その人からしたら「正しさ」なのです。
相手を苦しめることが、その人の目的なのですから。
これが良いのか悪いのかという話をすると哲学的な話になるので横においておくとして、つまり、人が起こす行動は「その人にとっての正しさ」であるということです。

正義と正義がぶつかるから戦争とかも生まれてしまうんですけどね…(早くロシアウクライナ戦争終わってほしい…)

それはさておき、コミュニケーションする上で、どちらが正しいというのはなかなか難しくて、両方正解。というケースが多いと思います。

なぜこの話をしているかというと、その前提がないと、「相手が悪い」で終わってしまうのです。
なぜ相手がそれをしたのか。相手にとっての正義はなにか。を考えると話が進むこともあります。

第三者の意見は真実ではない

人と人がぶつかるとき、大体第三者の意見が入ります。
今回の小林麻耶さんと海老蔵さん問題だと、メディアです。

例えば企業だと、社員Aと社員Bがもみ合っている。それを上司Cが対処しなければいけない。上司Cは、社員Aと社員Bにも話をきくが、本人たちは冷静ではないので、社員Dに話を聞く。というイメージです。
上司Cが社員Dの話を「参考意見」として聞ける人ならまだ良いです。
しかし、社員Dの意見を丸呑みする人だと大変ですよね。
もしかしたら社員Dと社員Aは愛人関係にあって擁護しているかもしれませんし…。

などと考えると、第三者の意見は参考意見であり、真実ではない、と理解しておく必要があります。

顔を突き合わせてコミュニケーションすることが大切

結局のところ、顔と顔を突き合わせてコミュニケーションをすることが大切なんだと思います。
人と人がコミュニケーションする以上、意見のぶつかり合いは生じます。
生きてきたバックボーンが違いますから。
ただ、人と共存していかなければいけないこの世の中で、相手の意見を汲み取るということが必要になってきます。
もちろん簡単ではないことは百も承知ですが、きちんとコミュニケーションをとっておくことで、防げるコミュニケーションミスも多いです。

オンライン上でコミュニケーションもできる時代ではありますが、やはりきちんと顔と顔を突き合わせて、その人の「言葉」だけではなく、「空気」とか「雰囲気」とかからも色んな情報を汲み取って、コミュニケーションを前進させていけたらいいなと思います。


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