常識囚われない生き方
noteクリエイターの花やです。今日は「常識」についてお話したいと思います。
いきなりですが、常識とは何でしょうか?辞書を引くと常識とは「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」などと書かれています。
皆さんも常識の中で生活している人が多いと思います。しかしその自分たちが常識と思っていたことが、間違っていたということもあるのではないでしょうか。
常に自分の中で更新し続けている人からしたら、何を言っているのと思うかもしれません。
自分ごとですが、私は昔から家族から「あなたは常識がない」と言われ続けてきました。私自身もそのことは自覚しており、そのたびに常識とは何のために存在するのかと考えてきました。
子供の頃から物事の大小に問わず常識はつてに変化するのだから、在ってないようものだと常に思っています。なぜなら時代の変化の速度は年を追うごとに早まってきています。
とりわけ21世紀に入ってからの新たな通信技術・人工知能・仮想空間等の登場により、人々の生活が一変し続けているからです。
しかし人間と言うのは、そう簡単に変わることが出来ません。これは人間に本来備わっている本能でもあり、仕方ないと言えばそれまでです。
でも変化を受け入れないと、時代に取り残され滅んでいくことも事実です。今までの歴史を見ているとよくわかります。なので私は常に疑う心を持っています。
家族をはじめとした他人が「これは常識だから覚えておけ」と言ってきても、素直に受け入れることはしません。
昭和・平成前期ごろまでの変化の流れがゆっくりの時代なら、そこまで常識を疑うことなく受け入れていればよかったとおもいます。
何も疑うことなく素直に受け入れていれば、周りと軋轢を起こすことなく楽に生きていくことが出来たかもしれません。
しかし平成の中ごろから技術進化の速度が速まり新しい価値観が登場してきている中では、常識を疑うことも必要となってきています。
変化を受け入れて常識と言う殻を打ち破ることは、人によっては勇気がいるかもしれません。当然失敗や失うこともあるでしょう。
でもその変化を受け入れることが出来れば、失敗による経験や新たに得られるものが必ずあります。
そうして変化を受け入れれば体が身軽になるかもしれません。しばりつけられ身動きが出来なかった自分から、自由に動き回れる自分に生まれ変わることも出来ます。そのためには変わりたいと思う自分を受け入れることも必要です。
「自分は本当にこれからどうしたいのか?」自問自答してみるのもいいと思います。ただあまり深く考えすぎないほうが良いです。考えることに時間を割きすぎると、行動までに結びつかない可能性もあります。
その意味では思い立ったら即行動は、ある意味正しいのかもしれません。そうして次の場所に移って成長していくことによって、人間は進化していくのでないでしょうか?
なのでよい意味で常識を疑い打ち破ることは、変化の激しい時代に必要だと私は考えています。
皆さん環境が様々であり事情が異なると思いますが、「常識」と言うのを疑ってみてください。そこから見えてくるものがあります。
私はこれからも良い意味で自分自身の「常識」・価値観を疑い、自身を更新し続けていきます。
今回はここまでとなります。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。あなたがこの記事から何を得たのか、あるいはどの部分が特に興味深かったのか、ぜひコメントで教えてください。
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