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なにかに夢中になるだとか

ちかごろはとても、とてもゆっくりと、静かに過ごしている。
それはきっと薬効のせいでもあるし、調子良くて上が90という低血圧のせいでもある。しずかぁに、まるで物音をたてないよう気をつけているかのような慎重さをもって、日々をやり過ごしている。

以前はもっと、何かに急かされるように生きていた。
腹の奥底から湧き上がってくる衝動に促されながら、人に「疲れない?」と心配されたりもしながら──でもそれを是としている自分がいたし、そのようにしか生きられないだろうと、なかば腹をくくってもいた

「なにもしないでください」
笑顔でそう言ったのは、隔離病棟に入院していたころの主治医だ。
そのとき、少し驚いている自分と、驚いていることに驚いている自分がいた。なんだ、そんなことかと。

それから、頑張って「なにもしない」を実践してきた。
なにかが湧き上がってきそうになっても「気のせい気のせい」と横流しにする。

そんな生活を3ヶ月も続けると、いろいろなことが私の横をゆっくりと通るようになっていった。あんなにも、急がなければ何も掴めないと思っていたような、人生がひどく短く感じるような焦燥感は、びよーんと伸びて去っていった。

いま、Xをはじめとするネットはやっていない。一日一回、クラシルでレシピ検索をするくらい。代わりに、本や新聞を読むようになった。そんなことを言うと、鼻にかけてると思われるかもしれないけど、単純にそれくらいにしかついていけなくなった。
ネットでいくつもウィンドウを開いて調べ物をする気力も、強いメッセージで訴えかけてくるサムネを吟味する気力も──なんというか、今の私には瞬発力がまるでない。

これでいいんだっけ?とたまに思うけれど、そんな考えもすぐに薄靄になってどこかへ消えていく。ひとつ、眠る前の、物音のしない暗闇でまどろんでいるときだけ「生きている」と感じることができる。眠るために生きている、という感覚すらある。

眠りにつくにはまだ早い午後5時。
ちかごろ読んだ本の感想でも書こうかとおもったけれど、けっきょくこんなふうに管をまいて終わっちゃう、という具合です。

『アルジャーノンに花束を』と『白鳥とコウモリ』と『52ヘルツのクジラたち』、おもしろかったですよ。どれもしっかり泣いちゃった。

息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。