![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/114910544/rectangle_large_type_2_74cd06517fd814af086f0d4c3bbcc579.png?width=800)
幸い(さきはひ) 第九章 ⑥
第九章 第六話
その夜、自身の内に渦巻く感情にいてもたってもいられなくなった千鶴は、夜遅く母屋の一室を訪れた。
入室の許可を得ることもせず、急襲するかのように扉を開け、部屋の主の元に行き、訴える。
「南山教授。桜病の抗毒素血清はまだできないのでしょうか」
いきなり部屋に飛び込んできた千鶴に南山は驚くが、鬼気迫る表情を前に咎めることはせず、沈痛な面持ちで千鶴の言葉に答えを返した。
「残念ながら、今やっと検体の馬が毒素に慣れてきた状況で、抗体ができるまでには達していない」
南山の返答に、千鶴は瞳いっぱいに涙を溜めて懇願する。
「どうにか、実験を早めていただくことはできませんか」
その言葉に南山は眉間に皺《しわ》を作る。
医の道に関わるものであれば、新薬の開発を急くことがどれだけ危ういことか分かるはず。看護婦も例外ではない。
ところが、今の千鶴はそれが分かっていない。
桐秋のことをどうにかしようとするあまり、周りが、簡単なことが見えていないのだ。
その原因が南山には分かっていた。
南山は桐秋と千鶴の関係性の変化に気が付いていた。
が、それを咎めることはしなかった。
千鶴はそうした関係にあっても看護婦の職務を疎かにすることなく桐秋の看護にあたってくれていたし、何より、千鶴との関係は桐秋の心身にもいい影響を与えていたからだ。
最近では、あんなに反発し合っていた父である南山にも、柔和な顔を見せるようになっていたほど。
ゆえに南山は、千鶴には医者としても、桐秋の父としても感謝していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?