幸い(さきはひ) 第十一章 ⑨
第十一章 第九話
通りの桜がすっかりと葉桜に変わった日、突として、その時は来た
「父は大量に血を吐き倒れ、呪詛《じゅそ》のような言葉を残して、動かなくなりました」
彼女の周りをそよそよと漂っていた風がぴたりと止まる。
――自分では父の心を救うことはできなかった。父は憎しみにのまれて死んでいったのだ。
「何度父のことを呼んだでしょう。
最後は声も枯れ果てていました」
それでも音にならない音をひゅっひゅっと吐いていた。
「父の吐いた血が赤黒く固まって、私の涙も潰えた頃、
いつのまにか知らない男の人が、蹲《うずくま》る私と父の前に立っていました。
その人は父の首元や腕にいっとき手をあてた後、目をつむり首を横に振りました。
私はそれを一度見たことがありました」
—―母が亡くなった時、父が呼んだお医者様が同じ仕草をしていた。
――直後、父は泣いて自分を抱きしめた。
「父が死んだのだと、私はやっと理解しました」
女子は一筋の涙を流す。
「私は父の死を確認した男性、西野の養父に引き取られました。
養父は父の研究室に入り、父の残した資料を一通り確認すると、私に一対の絹手袋を渡しました。
そして、それを起きてから寝るまで必ず身につけるようにと言ったのです」
美しいと褒められた髪も染めるようにと言われ、名前も変えられた。
当初は理由も言われず、それらの行為を強要されることに戸惑いを覚えた。
しかし、養父の目があまりに強く真剣でそれに従った。
「手袋が外せるようになったのは私が初潮を迎えて一年後。
月のものが始まると、体中にあった斑点が消え、いつもあった気だるいような症状も無くなっていました。
それらを確認した養父は、そっと私の手に直に触《ふ》れました。
父が亡くなってから初めて、誰かに素肌を触《さわ》られました」
診察は三六五日毎日続いた。
手に触《ふ》れたり、粘膜を採取されたり、養父は慎重に何かを確認しているようだった。
「一年後、養父から手袋を外していいと言われました。
私は養父に自分は何かの病気だったのかと尋ねました。
すると養父は幼少期に感染しやすい伝染病をこじらせていたのだと言いました。
私が、父から言われていた桜病だったのではないかと問うと、養父は怖い顔をしてそれを否定しました。
あれは大人がなる病気だからと」
女子は苦しそうに顔を歪める。
「養父から桜病のことを否定されても、私はのどに小骨がつかえたような引っ掛かりを心にずっと抱えていました」
それは小骨のようにすぐに取れ、傷が癒えて無くなるでもなく、時を経るにつれ、どんどんと痛みを増してきた。
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