【エッセイ(ミニ)】行間への憧れ。
読書量が極端に少ない私ですが笑、
夢枕獏先生の「陰陽師」シリーズは愛読しています。
大好きなんです …。
安倍晴明、という人物と陰陽師については
小学生の頃になにかの本で読んで知っていましたが
野村萬斎版、映画「陰陽師」を観て
映画→原作本へ という流れから
獏先生の本を読むようになりました。
平安の時代
確かに存在していた得体の知れないもののけと
妬み、嫉妬などの人間の心の闇が生んだ、都に起こる怪異な事件を
晴明が源博雅とともに解決してゆく物語。
この時代、貴族の男たちの女たちへの振る舞いひとつで
女たちの置かれる状況は変わり、悪い方へ置かれた女たちは
やがて怨念を作り上げ、もののけのように姿を変えるものも現れます。
いたたまれなくなる描写もありますが、それでも晴明と博雅の人柄やそれぞれの才覚で展開する物語にひかれ愛読しています。
そして物語を綴る中にある行間。
行と行の間にさらに晴明と博雅を感じています。
行間ですからもちろんそこに文字はありません。空白なんです。
でもちゃんとそこにも世界がある。空虚なのにすべて詰まっている…。
テクニックとして行間を用いる方は多いと思いますが「陰陽師」の行間には私はさらに独特の文字にない物語を感じます。
実はこの行間への憧れが私の詩の創作にも大きく影響しています。
人の心を表現するにはあれこれ言葉を重ねるよりも
出来るだけ削り取って静かな行間を存在させたい。
そうすることで体温のある詩が
出来上がるような気がしています。
と、言いつつも。作品に少しだけ込めたメッセージが読まれる方に届くか自信がないので(!)私がnoteに書いてある詩の終わり部分には言い訳を兼ねた「作品のミニ解説」でおしゃべりをしてしまうんですけどね笑。
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