見出し画像

現代版「プロレタリア文学」といえば聞こえが良すぎるか…

文章を書く練習として最近放置してたこのnoteにつらつらと駄文を綴ってみる。
まぁ日記のようなものなので内容はとくにないんだけど、日常的にボンヤリ考えてることなどを文章にしてボンヤリをハッキリさせて解像度を上げていこうって感じのゆるい記事です。ヨロピコ。

ボクは散歩が好きなのですが、歩くといろんなことを考える。
その都度、iPhoneのメモ帳にちまちまメモしてnote記事のネタにしたりするんだが、最近よく考えることが「自分が今まで読んできた本」について。

ここ3~4年くらいよく読んでる書籍はいわゆる「いかに頑張りすぎないか」という内容の本。

正直、ボクは日本の労働に疲れてる。疲れ果ててもはや何もしたくない領域にまで侵入してしまった。
なので頑張りすぎずに自分のペースを維持しながら生きている人たちの書籍を読んで夢を膨らませている。

山下陽光さんの「バイトやめる学校」とか、プロ奢ラレヤーさんの「嫌なこと全部やめても生きられる」とか、phaさんの「ニートの歩き方」、鶴見済さんの「0円で生きる」などなど。

とにかく一般的な人生の線路から外れて自分のペースを大切にしながら生きている人たちの書籍を読んで、自分もこうありたいなとか思ったり。

ボクはいわゆる自己啓発本ってのがキライで、書店に行っても意地でも自己啓発コーナーには近寄らないんだけど、自己啓発とは真逆の「頑張りすぎない生き方入門」的なこういった書籍は大好きで、よく読む。

でもね。。。なかなかレールを外れることができないんだ。。。

生きるためには働かないといけない。
ましてやボクはいわゆる毒親育ちで親を頼れなかった。そして今は両親ともに他界してるので頼る人がいない。

レールを外れる勇気というのを出しにくい状況だし、なかなか難しい。

就職氷河期の影響をモロに受け、まともな仕事もできずにここまで歳をとってしまったので、貯金なんてほとんどないし、一歩を踏み出したとしても、踏み外してしまうと途端に路頭に迷ってしまう。

生きる必要があるから、無謀な冒険はできないんだ。

最近ツイッターなどでよくつぶやくんだけど、「仕事が辛いなら逃げてもいいと気軽にいうが、逃げた先にも生活苦という地獄があるのに、そんな気軽に逃げられない」ということなのだ。

逃げた先の具体的な生き方をまるで示してくれないのにかんたんに逃げろなんて言わないでくれ…と。
逃げるのはかんたんだが、逃げた先に大河が流れていたらそのまま溺れ死んでしまうのがオチだ。
ましてや日本という国は一度コケてしまうとずっとコケ続けてしまうような国だし。

溺れ死ぬことを覚悟して逃げようなんて思う人はいない。
それなら奴隷でもいいから生き続けようと思うのはしょうがないことだと思う。

奴隷労働エリアの外から、きつかったら逃げろよーって言っても所詮は他人事。
逃亡した瞬間に銃殺されてしまう奴隷からすれば、そうかんたんに逃げられないんだ。

だから。

自由に生きている人たちの書籍を読んで、夢を膨らませてる。
こういう人たちの書籍は、まぁいわばプロレタリア文学なのかもしれない。

もしサポートをいただけたら、ボクの記事はさらにおもしろくなり、おもしろい記事を書くために精進し、より一層脂肪を蓄え活動のエネルギーとし、仕事を辞め、病んだ心を癒やし、趣味を楽しみ、世界を旅し、港、港に妻を作り、グレートバリアリーフを望む丘に豪邸を建て、アナタに毎日感謝の祈(文字数