地水火風空の「空」って何?

インド哲学における五大元素は

地 水 火 風 空

なんだけど、紛らわしいのは4つめの「風」と5つめの「空」

外国人のワークショップに出たりすると、たまにこの「風」をwindと訳し「空」をairと訳していたりする。そうすると、風と空気でその違いは動いているかいないかみたいな話になって、元素の話としてイマイチわからなくなる。手っ取り早く答えをいうならここでは「風」がairで「空」をspace とするのが正解だ。

ところがこの訳し方でも、「空気/真空」のイメージでspace を宇宙的なものと解釈するとそれもまた違う。ここでのspace というのは端的に「空間」の事で、厳密に云うならXYZの3つの座標軸によって表される「場」(器)の事だ。

各座標には0nというポイントが存在する。つまり、時間が流れるとか何かが移動するとか、そういった「変化」の可能性を担う、つまり時の流れや変化が可能になるための「場」になるのがこの「空」という要素。だからここで初めて「因果」も発生する。

この「空」に関しては、ヨーロッパや中国のように元素を物質を構成する要素だと捉えるとわかりづらくなる。神智学をはじめとした西洋神秘主義ではこれをエーテルという要素に置き換えるが、そうするとやはり土→水→火→空気と同じライン上の元素としての意味合いが強くなる。

だがインドにおける五大元素というのは、物質の構成要素というよりも、世界がこのように形作られる「順番」というか「階層」を表している。だから、火だの水だの土だのが誕生する前に、そもそもそういった変化が起きるためのフィールドが必要になる。それが「空」なわけよ。

そして、「空」の概念上では、因果もまた座標上にマッピングされる。例えは

「芋食ったから屁がでた」

という因果なら、

「芋食う 屁が出る」

芋食う 
 
屁が出る

みたいに座標上に因と果がそれぞれ位置として置かれるってこと。
もちろんこれは人間の思念上の話で、因果の正体がカルトグラフィーだなんて言ってるわけではない。

要するに、このような元素の生成から人の認識や思念が生み出す因果をこうやってマッピングするコンセプトが体系的に展開されたものがチャクラやナーディなわけ。
だからよく「カルマは腹に溜まる」みたいな話も、別にカルマが澱みたいになって身体的な腹に溜まるわけではなく、このように因果の果(業)が思念上の或る位置にマッピングされるんだと思うとわかりやすい。

こういうところからも、ヨガ(インド哲学)と中国の考え方を混同するとマズいってのがわかろうというもの。

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