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産後うつ記録*4 里帰り

私が里帰り出産で安心していた理由は
母も妹も助産師で、家族仲がとても良かったからです。
初めての出産、子育てであり夫と2人きりで育児をスタートするよりは、地元で家族のサポートを得た方がよいと思いました。
実家は飛行機でしか移動できない距離にあり
コロナ禍で移動制限などもあったため2年近く帰省できていませんでした。

実家の状況
一軒家。
両親が2人暮らしで、妹は職場近くで一人暮らし。
両親ともに定年退職している。
母にうつの既往あり(当時はまだ服薬治療中でした)

里帰り中の変化
・父のことが生理的に受け付けなくなった
→妊娠前は海外旅行に1週間も2人で行けるくらい仲の良い親子でした。
しかし、産休中は一緒の空間にいるのも嫌で、家の中で2人になるのが耐えられず部屋にこもることが多くなりました。部屋にこもり、ドラマをみたりして過ごしていました。
寝る前におやすみとお腹をぽんっと撫でる父が嫌でたまらず部屋に帰って涙を流すこともありました。
長女の誕生を心待ちにしてくれているのに、嫌悪感を抱く自分が悪人のように感じていました。
この気持ちの変化は母だけに伝えていました。

・車の運転の制限
→妊娠中に一度車をぶつけてしまったことがあり、慣れない地元で慣れない車(両親ともに車が大きめ)での運転は危険とのことで、自分一人で運転して好きなところへ行くことができませんでした。

・コロナウイルスの拡大
→妹がコロナ患者さんを受け入れしている産科病棟で働いていたため、妹がコロナウイルスを持ち込んでしまうのではないかと怯え妹との接触を拒んでしまう状態でした。
会う時は屋外でしか会いませんでした。
コロナウイルスの拡大により、外食やショッピングセンター等も怖く家にこもる日々でした。

・祖母の入院
→産休中に90歳を超える祖母が入院しました。コロナ禍で面会もできず、オンライン面会が少しできるだけでした。状態も良くありませんでした。
オンライン面会中に呼吸が苦しい中、一緒に頑張ろうねと言ってくれた祖母が忘れられません。

・出産の痛みに対する不安
40 週が近づくにつれ
もう逃げることができない。どうしよう。逃げたい。こわい。
と考えていました。
不安になり他の人の出産レポを読み漁っては、更に不安になっていました。

あんなに里帰りをしたかったのに
地元に帰ってからは帰らなければ良かったと思う日々でした。
精神的に追い詰められていたと思います。
妹と少し喧嘩し「お姉ちゃんと話していても何も楽しくない。」と言われただけで、外食中に号泣してしまう状態でした。その一言がその時の私にとっては致命的で、自分が今この環境下で頼れるのは母だけと考えるようになりました。
妹は忙しい仕事の中、合間をぬって定期的に会いに来てくれていました。

その生活の中で気晴らしになっていたのは、母との散歩と夫とのテレビ電話です。
母との散歩は毎日、朝に様々なことを話しながら30分歩いていました。
夫との電話では、今の自分の心境などを全て打ち明けていました。

当時は正常だと思っていましたが振り返ると
産後うつになる要因が産前からあったと思います。
出産が近づくにつれ、様々なストレスからとても神経質になっていきました。

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