献血問題②

 科学的根拠はまるでないらしいが、血液型による性格や考え方の傾向、または人間関係の相性などに関し、個人的にはどちらかと言えば信じやすい方である。基本的に偏見は可能な限り持ちたくないが、何事も積み重ねというか、やはり様々な人と関わってきて今があるので、自分に合う人とそうでない人というのも、少なからずわかってきている。それが血液型や干支などに起因している場合が少なからずあるせいで、全く無視できなかったりするのだ。
 子どもの頃から〝それっぽい〟と言われたこともないのだが、大人になってから、そして年を重ねるにつれて更に、実際の血液型を当ててもらう機会が全くなくなってしまった。+とか-とか、もっと複雑らしいが、一般的に言われる人の血液型とはたった4つ。しかしその4つのうち、最初に予測される血液型は必ず同じで、実際の血液型は最後まで当てられない。現実的に一番〝それっぽくない〟ようで、喜んでいいのか悪いのか、頗る複雑なのである。
 実際、子どもの頃に調べた血液型が、大人になって変わることがあるらしい。私…もしかしたら血液型変わってるんじゃないだろうか…?と単純に考える。採血と言えど注射は大嫌いだが、折角献血車が敷地内に来て、同じ室内の目の前で受付が行われる。今後の人生、いつ自分や身内が献血を必要とするかもわからない。街頭などで時間を割く余裕もボランティア精神も持ち合わせていないが、一生に一度だとしても、するとしたら今ではないかと思い、私は覚悟を決めていた。
 当日、続々と機械が運び込まれ、得体の知れない電気コードが絨毯を這うと、図書室は全くそれらしからぬ姿と雰囲気になった。受付には3・4人の男性。それも医療関係者とはまるで思えない服装で、特に髪型は、ヒッピーかコンテンポラリーダンサーかといったオリジナリティ。人を見た目で判断してはいけないが、採られた血は一体何処へ行くのだろう…と少なからず不安になった。
トイレに行くため廊下へ出ると、献血可能対象者について、立て看板がされてあった。
【体重50キロ以上。特に男性の方、お願いします!】
 体重制限があるとは知らなかった。私、対象にさえなっていないではないか…。50キロないことが自慢なのではなく、そもそもちんちくりんなので、50キロ以上もあれば不健康なのである。受付のメンズが入って来るなり、「先生も良かったらご協力お願いします」などと言うから、大人であれば誰でも出来るのかと思っていたが…。ってそもそも、私、50キロ以上あるように見えていたということか?
 覚悟を決めていたものの、痛い思いをせずに済むと安堵すると共に、血液型、変わっているか調べられへんなぁ…とがっかりする。体重50キロ以上なんて、女性でもなかなかいないのではないか?
 一番最初に来たのは、大柄な男性だったが、あとは女性ばかりだった。子どもの参観だけあって、来る保護者は自ずと母親が中心になりがち。とはいえここは職員の半数以上が男性で、20代、30代の若者が多い。フリー参観終了後は、先生方が続々とやって来るのだろうと予想しながら、私はカウンター内で事務作業を続けつつ様子を窺っていた。
 ある年配の女性が問診に引っ掛かり、献血できない旨、丁寧に説明されている。どうやら繰り返し献血をするには、一定の期間を空けないといけないらしく、その間隔が短すぎた様子。それでも彼女は引き下がらず、受付員に詰め寄る。
「いつだったら出来るんですか?今月中に一回やっときたいんです!何処に行ったら出来ますか?」
 随分切羽詰まっているように見え、また、あまりの熱心さに、傍から聞いているだけで脅威する。余程ボランティア精神が強いのか、他に何か大きな事情があるのか…。人に血を分け与えようと思える人は、こんなにも熱意を持っているものなのだろうか…。
 暖冬とはいえ、2月のデスクワークはエアコン無しだと凍りつく。普段は23度設定で1日点けっぱなし、椅子には座布団代わりに手編みのストール、膝か肩には既製のストールを掛ける。献血受付のため開け放たれた扉は、私が作業をするカウンターの真横にあり、エアコン23度の意味が無いばかりか、廊下の風が音を立てそうな勢いで入り込む。結果、私は風邪をひいた。
 放課後、児童を送り出す担任が、図書室の前を行ったり来たりする。扉は開け放たれているのに、放課後の図書室開館がないとわかった子どもたちが、残念そうに挨拶やら顔見せだけして帰って行く。そろそろ先生たちが来る頃だろう…と思っていたら、やって来た。支援学級の女性陣、3名。体重大丈夫?と思っていたら、何と、2名は献血カードを持参。残る一人は無理やり連れて来られたようで、結局怖くなって辞退したらしい。その後も同じく支援学級の先生が二人、バラバラとやって来る。いずれも女性であった。
あまりの寒さに何か熱いものを…と給湯室へ行くと、ドラえもんのような若い男性教員と遭遇。思わず聞いてみた。
「先生、献血したんですか?」
 金持ちお坊ちゃんとして名高い彼は、大事に育てられたそのままを体現したようなのんびり穏やかな人を不愉快にさせない物腰で、体をくねらせながら言った。
「いや~~~~、ぼく、注射ダメなんですよ~~~。こないだも健康診断で採血連れて行かれた時、痛くて泣きそうになりました~~~。ほんま、だめなんですぅ~~~~~~」
『がーーーーーーん』
 心の中は落胆したが、他愛もなく笑い合ってその場を去る。図書室に戻ると、先程受付をしていた支援の先生が、既に腕を抑えながら体を休めているところだった。
 結局、彼女を最後に受付は終了し、ファンキーなメンズたちは「まぁ、こんなもんやろ。」と話しながら、どかどかと片付けを始めた。数十人といる男性教員は、誰一人として来なかったのである。
 今の世の中、男だから、女だから、と言ってはいけないのは解っている。男だから何をしなければいけないとか、女だから許されるとか、そんなものがあってはいけない。しかし事と次第によるものは山のように存在する。世の中の総てが男女平等というわけにいかないことの方がまだまだ多い。そう感じざるを得ない場面は無数にあるのだ。
 対象にならなかったとはいえ、自分も献血出来たわけではないので大きな口は叩けない。しかし心からがっかりした。
 終業後、コーヒーを飲んだカップを洗いに給湯室へ行くと、支援学級の女性陣がお茶を入れるためにわらわらと集っていた。大規模な支援学級は十クラス近くあり、教員の男女比は丁度半々。男性陣の影は薄いが、女性陣はいつも仲良く集って愉しそうだ。孤職の司書も仲間のように、いつも輪に入れてくれるので、個人的にはとてもありがたい。そんな気安さから、思わず本音をぶちまけてしまった。
「先生たち、めっちゃカッコいいですよね!献血、結局先生たち(保護者以外)しか来なかったんですよ?あんなでかでかと看板に【体重50キロ以上。特に男性の方、お願いします!】って書いてるのに、男性陣、誰も来なかった。がっかりです」
〝情けなくて、女独りでも充分生きていける気がした〟と付け加えると、豪快マダムたちに大笑いされた。
 最近熟年結婚をして周囲を驚かせた美女が、あっけらかんと言う。
「ねぇ、ほんとにねぇ…いつか自分も献血必要になるかも知れないのにねぇ…なんでみんな行かないんでしょうねぇ?あ、H先生、なんで献血行かなかったんですかぁ?」
 振り返ると、いつもマダムのお茶入れ手伝いに唯一やって来る支援の男性教員が入り口に立っていた。急に話を振られて驚きつつ、何の恥じらいもないように言う。
「あ~~~、ぼく、献血とかやったことないんですよ。なんか怖いじゃないですか、痛そうやし…」
 そりゃ注射やから痛くないはずなかろうが…。
 男性にしては小柄で華奢な彼なら、「体重が足りなくて…」とかいう理由もないことはないと期待しただけに、あっさり白旗を上げたので拍子抜けした。
 嗚呼…溌溂と爽やかで、児童の先頭を牽引して行くやり手揃いに見える彼ら。また、図体ばかり大きくて偉そうにふんぞり返っている彼ら。どいつもこいつもただのへなちょこだったのか…。公務員だからって大したことないな…。
 偏見にまみれた自身を嫌悪しながらも、ボランティア精神を含め、少しでも〝カッコいいとこ見せたろう!〟という去勢を張って欲しかった…と、勝手に抱いていた淡い期待を裏切られた気分で、一人情けなく気落ちする。
そもそも〝カッコいいとこ見せたろう!〟と思ってもらえるような女性らしさすら醸し出せない自分が言うことではないのだけれど、こんな風にしか思えない自分は、まだまだ人として甘いのだと自覚せずにはいられない。

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