話している人の顔を見る?

「人が話をしている時は、ちゃんとその人の顔(目)を見なさい!」
 親だか先生だか…嘗て大人達から、そのように言われて育った人は少なくないのではなかろうか。
 しかし実際大人になってみると、人が話をしている時に相手の顔、若しくは目を見ない人は案外多い。
 人の話を聞く時は、相手の顔を見る…と教えられ、そのまま大人になった人間が、それをしない人を見た時、『失礼な人だ』という印象を受けるのは自然な流れとも思える。それは、話をしているのに余所見をされると、『聞いていないんじゃないか?』と感じるせいでもある。実際、余所見をされて上手く対話が続いた経験はあまり無い。相槌であれ返答であれ、適した場面でそれを得ても、どこか上の空な感じがして受け入れられた気がせず、悶々としてしまうからかも知れない。
 故に、自身は極力「相手の顔を見る」ということを心掛けるようにはしている。現実として相手の話を聞いていなかったり、上の空だったりする場合は別であるが…(人間なのでそういうことも時にはある)。
 相手の目(顔)を見て話をしない人を『何だか嫌だな…』と感じてみても、それを問い詰めることはない。そういう人は心に壁を作っているように感じる為、仲良くなり辛いせいだ。相手がシャイというだけなのか、単に私が嫌われていて『近寄るな』とシャットダウンされているだけなのか…。
 ある時、例に反して仲良くなれた気がした人が居た。
彼女は私と二人だと、ちゃんとこちらの顔、又は目を見て対話するのだが、別の人と三人だと、私の顔は全く見ずに、もう一人の人の顔から目を逸らさずに話をする人だった。
『この人にとって、二人の間に私が居ることは邪魔なのかも…』
 違和感を拭えなかった私はそう感じるようになった。
 二人の時、冗談めかして訊ねてみたら、こんな答えが返って来た。
「ちゃんと人の顔(目)見て話せる人ばっかりじゃない」
『・・・・・・・?』
 それはそうだろう。しかしあなたは人の顔(目)を見て話せる人なのに、それをする時としない時がある。私はその理由を知りたかったのである。
 主旨は伝わらなかったようで、謎も解明出来なかった。
 いずれにせよ、日本の外では〝話をしている相手の顔(目)を見る〟ことが失礼に当たる…と捉える国もあるというので、必ずしも人の顔(目)を見て話をすることが正しいわけでもないのだろう。
 後日のある瞬間、ある人がふと言った。
「顔を見て話をせぇへん時点で、その人のことを受け入れてないっていう証拠やからな」
 やっぱりそうでしたか!

 

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