1月27日 ②

 約半年を経て、今日の午後、しっかりと落ち込んだ。
 先月、母の誕生日だった日に、待っていた求人を見つけた。四年前に一度受けて、採用を示唆されたもの、残り一年の契約満了を残した愛すべき天職を打ち捨てることが出来ずに辞退した仕事だった。悩みに悩んで残された仕事から離れる決意が出来ず、勤務時間短縮と減給に喘ぎながら全うしたことには満足しているが、人生を大きく変えたかも知れない、他に例を見ないような仕事を選択できなかったことは深く後悔した。どちらをとっても後悔は免れないとわかっていたから、とても苦しんだのだった。
 翌年、新たな転職先に出会えないまま、天職を退く。コロナ禍に陥って就職難の煽りをもろに受けた。その年、愛犬が体調を崩し、そのまま亡くなってしまった。予測すらしなかった展開。失意の中で生まれ変わりと信じた子を見つけ、その世話に追われることが、〝今〟しなければならないことになった。
 昨年度、面接を受けて不採用通知と同時に応募書類も返戻されてきたはずの職場から何故か連絡が来た。要請を受け、一年契約で就業した。しかし悪いことが重なって全うできず、地獄のような一年を過ごすことになったのが去年のことだ。気になる仕事を模索しては応募する日々。これぞと思って赴けば、違和感を抱えて帰る。複数受けて手にした仕事は5月の1件だけだったが、辞退して悔いていないのは、安く見積もられただけでなく、本当にしたい仕事ではないと気付いたからだった。
 古傷をえぐられるような8月以降、面接は受けなかったが、母の誕生日に、したかったが決断出来なかった仕事が再び舞い戻って来た。翌日、心のままに応募書類を投函した。
 書類選考に一週間、結果次第で面接という流れで、不採用なら二週間以内に書類は返却されるはずだった。しかし、何の連絡もないまま年が明けた。
 相変わらず求人は出たままだった。
 四年前、示唆された採用を辞退した非礼と、ハローワークの求人でありながら紹介状を発行してもらわないまま応募した無礼については、送付状を兼ねた詫び状を書いた。とても失礼なことをしている可能性も考えたから、返信用の封筒に切手を貼って同封した。先方の怒りを買ったのか、それとも、話にならないと無視されているのか、毎日思い悩んで師走が終わろうとしていた。求人の掲載期限が2月末になっているので、それ以後も返戻されないようなら、郵便事故で届いていない可能性も考えられるから、問い合わせのメールを送ろうと決意した。
 しかしその間、私の頭の中はその仕事に就いて働くこと以上の想像が出来なかった。前回迷った時、自分がそこで働く姿を目一杯想像した。その繰り返しだから、働いていない姿は想像出来なくなってしまっていたのだ。
 想像出来ないことは形にならない。しかし、想像できることは現実になる。ずっとそうだったし、これからもそうだ。何の確約もないのに信じていた。
 雨と霙の冷たい一日だった。夕方、夕刊を取りにポストを開いたら、封書が届いていた。同封した封筒とは別の封筒で返戻された、応募書類と不採用通知だった。
【結果を不本意だと思われるかも知れませんが…】との一文に気持ち悪さを感じた。そんなひな形があるのだろうか?それとも、前回採用と言ったのに、今回は不採用になるなんて、納得できないでしょ?と言うことなのか。
 不本意だとは思っていない。むしろ、恩を仇で返しておきながら、再び選考に加えてもらえないかと依願したのはこちらだから、そんな馬鹿な話があるかと思われても仕方がないと思っていた。唯、母の誕生日に被った奇跡と、滅多に動かなくなった心が動いた職業に、このタイミングで欠員が生じたことを、運命と思わずにはいられなかった。想像上の働く私は崩れ去り、振り出しに戻った。今、私は、空っぽである。

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