任期満了まであと一年 ②

 緑色の封筒から出てきた書面に書かれていたのは、4月以降の勤務時間変更についての通達であった。現行より45分間短縮され、月額報酬が2.3万円減額になると書かれてある。パニックになった。
 天職からの転職を経て4年弱、次の年度で契約満了となる。再来年度は現在の嘱託職員から、会計年度任用職員という新職種になることは既に通達があった。これが結構曲者で、フルタイムの職種であれば正規職員同様、昇給・賞与や退職金の対象となり、地位もぐっと上がる。しかし当市に関しては、パートタイムしか雇用しないと公言しており、今より待遇が下がることが予想されるばかりか、毎年採用試験を受けなければならないと書かれてあった。同じ〝会計年度任用職員〟であっても、フルタイムとパートタイムでは天と地ほどの差があり、パートタイム採用では昇給・賞与や退職金の対象にならない。つまり、良いことがまるでないのである。
 天職からの転職で、正に天職再び…と思えるほど、学校図書館司書という仕事を愛せるようになっていたが、誰かの庇護のもとで生きているわけでもなければ、道楽で仕事をしていられる身分でもない。息つく暇がないほど忙しくても、遣り甲斐を感じて走り続けた4年弱だったが、あと1年現状のまま働くことはあっても、再来年度継続することはないと、一抹の寂しさを感じながらも覚悟を決めていた。こんなに面白い仕事は他にないとさえ思っていたが、唯一、業務量に対する賃金の安さだけが腑に落ちない悩みの種であった。
 今の時点で、既に生活はカツカツ。その矢先にこれである。賃金の問題だけでなく、勤務時間を短縮されると、現時点でも回っていない業務が、更に回らなくなる。4月から一体どうやって職務を熟せというのか?
 パニックになったのは私だけではなかった。同一職種の人々に限らず、別職種で働く市の臨時職員やアルバイトも、労働条件引き下げの対象となっていたことを後に知る。何処も彼処も大騒ぎになっていた。
 以前は毎日のように開いていた自宅のパソコンを、週末以外に立ち上げるのは久しぶりだった。労働基準監督署のページから、相談窓口の存在を知る。口下手なのでメール相談にしたかったが、状況説明が難しい。夜間の電話窓口が未だ受付時間内だった為、即行で電話した。
「不利益変更の禁止に当たるので、雇用主に訴えて、適切な対処を得られなければ、近隣の労働基準監督署の相談窓口へ相談に行ってください」
 そう言われ、対処法が無いわけではないのだと一先ず安心した。それからがドタバタの日々。翌週、労働組合の春闘要請に際し、意見書を提出に行くというから、終業後に付いて行く。提出だけと聞いていたのに、会議室に連れて行かれ、意見を収集される。まとまった話も出来ぬまま議員事務所へ…。特定の政党を支持する気持ちが無い為、壁一面の選挙ポスターに恐れ戦く。議員さんにあれこれ聞かれ、予算議会開始前までに、司書の仕事内容をまとめた文書提出を促された。
 翌日、司書からの要請を受け、雇用主である市教育委員会が翌年の変更について説明会を開くと連絡を寄越す。誰かが説明を求めたというのは聞いており、臨時の司書会議を開くが、それは月の半ばで、日は後日連絡するとの話だった為、あまりに性急すぎて私は出席出来なかった。しかしそこから風向きが変わって行った。
 司書9名中、3名が議会での訴えを白紙に戻すと言い出した。4名は沈黙を貫き、たった1名だけが声を上げ続けることを訴えるという事態に…。私はその1名の勇気に追従するつもりで自分の意見を拡散したが、沈黙者は依然沈黙したまま。白紙に戻すと言い出した3名からはそれぞれ意見を受け取ったものの、誰もが既に疲れ果てていた。
 3月の激務は私一人に限ったことではない。学校司書誰もが疲弊し尽していた。高々4年弱の司書経験者以上に、十数年従事してきた彼女達は、説明会で多くのものを失ったのだと後に知った。それは学校司書としてやってきた活動や創意工夫、また、学校図書館司書という職業を必要不可欠なものとして定着させるために行ってきた数々の涙ぐましい努力の何れをも否定されるものであった。
 説明会の様子を録音していた司書が居た。意見書提出の際、教育委員会から発せられた心無い幾つかの言葉に、上乗せされるような内容のものばかりが印象に残る。
「残業は校長命令か?」
「司書の経験を業務量ではなく質に変換させるべき」
「週五日ある国語のうち、一回を図書に取られている」
「図書であろうと授業は担任がするもの」
「図書での活動が学力向上に繋がっている実績が無い」等々…。
 校長命令でした仕事など、何一つない。そもそも学校長は図書のことも司書の仕事も理解していない。
 業務量を質へ…の意味がまるで解らない。
 図書に取られていると思うなら、授業として取ってもらう必要はない。授業以外にしなければならない仕事は山のようにある。
 担任が何のビジョンも持たずに来るから、図書の時間は司書が主体となってせざるを得ない。
 学力向上に繋がっていない現実を司書のせいにするのはおかしくないか?それはそもそも、司書の仕事ではない。
 説明会の場に居たら、自分は黙っていなかっただろうと思う。しかし開いた口が塞がらず、違う意味で何も言えなかったかもしれない。そもそもペラ紙一枚郵送するより先に説明会があるべきでは?
 色々なことの順序が違う気がして、感情が治まりきらないばかりか、不信感ばかりが募る。ぎりぎりまで黙っていたのは、結局我々を逃げられないようにする為ではなかったか?この時期、大方どこの市町村でも次年度の職員募集は終わっている。知る限り、4月から勤務開始の場合、1月か2月に採用試験が行われ、3月に入るまでには結果が出ている。
 解雇の場合でも、一ヶ月前に通達すれば、法的には問題が無いらしい。そういう事情で、電話で問い合わせた〝不利益変更の禁止〟には当たらないのだそうだ。無知とは恐ろしいものだと思うが、法的な抜け穴を潜り抜ける術にだけは充分に長けていて、人一人一人に生きる家庭があり、多かれ少なかれ、働くということがその生活の基盤として存在するという重要な背景に対し、あまりにも配慮に欠けると感じる。誰もが口にする「誠意がない」という言葉がこれほどまでにぴったり来ることに鳥肌が立つ。しかし〝誠意〟は法には掛からないのだろうと、頭の中ではどこか冷静な自分がいた。
 同じ境遇に置かれた別職種のグループでは、引き続き組合を通じた話し合いが続いていた。普段からよく話をする彼からは、その予後を逐一聞いていたのだが、「新聞沙汰に!」「裁判所へ訴える」という話になって、相手が態度と顔色を変えたと聞き、ある種の希望を抱いたのも束の間、時間は流れを決して止めず、彼らの尽力が間に合わないままに、新年度は開始されることになる。

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