身内の縁を切るということ ①

 諸事情から、春の彼岸を過ぎ、月を跨いでの帰省となった時の話である。4月に出向くのは初めてではないかと思う。毎年満開の菜の花は既に無く、桜は見頃を僅かに越していた。
 二泊三日の初日は、宿泊地までの距離半ばで、一つ目の目的を達成する。父方の先祖の墓参りだ。父の両親から上の先祖に顔見知りがいないのは、私が生まれるずっと以前に、皆鬼籍に入っているからだ。一番近いのは父の兄で、こちらは私が中学生の時に亡くなっている。
 祖父母がいないせいで、父の実家に滞在することはほぼなく、父の兄である伯父の記憶も、私の中ではそれほど多くない。顔は覚えているが、幼少期から毎年立ち寄っていたわけではないので、私にとっての“墓参り”とは、母方のそれが基本であった。
 いつから道中、立ち寄るようになったか、はっきり覚えてはいないが、飛行機や列車ではなく、車での移動になって暫くしてから…というのが実情だ。運転が母一人の負担にならなくなったことが、車での帰省に繋がった理由の一つだが、それでも最初の頃は立ち寄っていなかった。しかし、父方の姓を名乗っている時点で、私の直接のご先祖は父の実家に当たる。母に血の繋がりがなくとも、残された兄嫁である伯母とは、嫁が苦労すると言われる家系の嫁同士気が合い、彼女や、近所に住む父の姉を訪ねることで、年に一、二度、数分程度でも、親戚付き合いを続ける意義を見出そうとしたのかも知れなかった。
 この二、三年で父の二人の姉が相次いで亡くなり、その子どもや孫など、顔もはっきり思い出せなかったり、恐らくすっかり様変わりしているであろう従兄姉やその子らを除けば、直接顔を見て気軽に話が出来る相手は、父の兄嫁である伯母だけになっていた。墓参りを済ませ、実家に立ち寄り、仏壇を参らせてもらって話をする。先を急ぐから…と遠慮しても、「ゆっくりお茶でも…」と、伯母の話は続いた。
 父の長姉が健在だったときは、そこから徒歩で嫁ぎ先を訪問し、顔を見るなり少し話をするなりして戻って来る…というのが流れであったが、伯母が体調を崩して入退院を繰り返すようになったここ数年は、自宅に居ても足が痛くて対応がし辛いという理由から、伯母の娘である嫁いだ従姉から、訪問を控えてくれるよう言われていたのだった。
 元気で明るい働き者の伯母は話好きで、しかも面白い。独特の方言を読み取るのにはかなり頭を使うが、言っていることがよく理解できなくても、ずっと話を聞いていたいような気分にさせるところは、亡くなった母方の祖母と、とてもよく似ていた。
 ここ数年…とは、父の姉が続いて逝去した以降である。従姉の言葉に準じ、墓参りを済ませると実家へは立ち寄らず、毎回仏壇に預けたお供えは、年末、郵送という形に替えられた。訪問を事前に伝えると、気を遣った伯母は、必ず大量にお土産を用意してくれる。こちらも持参しているが、それ以上のものが毎回返って来るので、こちらも気を遣う。黙って訪問する…ということも試したが、立ち寄ること自体、遠慮して欲しいと言われてからは、事前連絡しないのが暗黙の了解になっていた。
 今回も、墓に参れば先へ進む予定だった。長らく伯母に会っていないことがずっと気にかかってはいたが、年末、お供えを送ったときに、本人から電話があったことは聞いていた。調子が思わしくなく、家屋を別にして同じ敷地内に暮らす長男夫婦が多忙なため、市内に嫁いだ長女が仕事を休んで病院へ連れて行ってくれているとの話だった。緊急で行った病院が実家から離れており、後に嫁から随分叱られたのだと嘆いていたらしい。
「そんな遠いところ、うちからは送り迎えできんよ!」
 その話を聞いて、私は祖母と母の弟嫁のことを思い出し、腹立たしさと悲しみが同時に押し寄せた。祖父が手術するために入院し、嘗て私が付き添いに行ったとき、似たような場面を目の当たりにした記憶がまざまざと蘇る。以降、私は、血の繋がらない叔母への態度に悩み、彼女も私に対する嫌悪感を隠さないようになった。法事などで顔を合わせることがあっても、なるべく近付かない。挨拶も、せずに済むならしないでおこうと、いい年の大人としては考えられないと自覚しつつも、こればかりはこじれたものを修復する術も、必要性も、以後、互いの人生に不要だとはっきり認識したため、触らぬ神に祟りなし…といった心持で、自らの幼稚さを否定せずに生きることにしている。
 二十歳そこそこで嫁いできた従兄の伴侶は、私の中では可愛いお嫁さん…という印象でしなかった。働いておられるので、殆ど会ったことはなかったが、実家に立ち寄った際に、何度か顔を合わせたことはある。特に悪い印象がなかっただけに、伯母が、祖母と同じような仕打ちを受けたと知ったことは、ショックでしかなかった。
 車の窓を開け放って犬を待たせ、線香とマッチの他、水入りのペットボトル、途中立ち寄って購入した日本酒(顔も知らない祖父も、父の兄である伯父も、酒が不可欠な人だった)、高速に乗る前に地元の24時間スーパーで手に入れた仏花を携えて向かう。ここいらの墓石の大半は、我が家と同じ苗字だ。代々続く名門の家系だからとかではなく、その土地由来の姓だというだけで、同じであっても殆どが他人…のはずである。うちの地元に田中さんが多いというのと、同じ理由だ。
 墓地内の、道なき道を搔い潜る。この辺りは、並んだ墓石が同じ方向を向いていない。母の実家のそれは集団墓地ではなく、そこここに点在している個人墓地のため、墓石の方向や通る道を特に気にしたことはないが、地元の恩師が眠る集団墓地は、きちんと区画整理されて通路に隔てられ、墓石は横一列に同じ方向を向いて並んでいる。それが普通だと思っている側からしたら、父の実家の墓地は通路などあってないようなもので、隣接する墓との境が曖昧で、通行が難しい。
 他所の墓石を肌に感じながら進み、目的の場所に着いた途端、何かが違うとすぐにわかった。花が…キレイなのである。
 彼岸はとうに過ぎている。連日の好天で、既に枯れて干からびていてもおかしくない時期だ。そしてそれだけではなかった。
 墓石の正面に、着物のような煌びやかな生地を纏った、位牌のような物が置かれていた。書かれている戒名に、伯母の名を連想させる漢字が、一字使われている。墓石の背後には、何基もの新しい塔婆が立っていて、不審に思い改めれば、直近で四十七日とあった。
 こちらの身内で体調が思わしくないと聞いていたのは、伯母だけだった。不慮の事故や急病などがないわけではないのは世の常だが、戒名の一文字を無視することが出来なかった。しかし何も聞いていない。直接連絡が行くとしたら、既に亡くなって何年にもなるとはいえ、父の兄嫁だから父に来るはずだ。といっても、大分不義理した弟であることは身内の誰もが知っていることで、全く自覚が無いのは本人くらいだと私は思っていた。
「それは無いで、義姉さん…」
 思わず出たのであろう母の呟きが、刻みつく。何の証拠もないが、他に考える余地がない。
「実家…一応寄った方が良いんちゃう?」
 土産も何も用意はなかったが、行ってみれば、伯母が家に居るかも知れないのではないか?その可能性が0だとは言い切れない。
「みんな仕事行ってるから、誰もおらん」
 母は渋った。
 平日なので尤もである。しかし、メモを残して、来たことを知らせることも、連絡を求めることも出来るのではないか?
 ついで参りは良くないと聞くが、県を幾つも跨ぎ、来られても現状では年に2回が精いっぱいである。同じ墓地内にある、父の長姉の墓も同じように参る。
 確証はあっても、確認していない限り何の証拠もないと思っている私、既に茫然自失の母は、互いに温度差を抱えたまま、犬の待つ車に乗り込んだ。

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