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木下半太 小説「ビデオショップ・カリフォルニア」2

 第2話 ドラゴンと腕相撲

 おれの名前は寿竜。メデタイのかイカツイのかよくわからない名前だ。名付け親は祖母。小学生のとき、祖母に名付けの理由を訊いたことがある。
「藤波辰巳が好きやったんよ」
 祖母の答えに愕然とした。せめて坂本竜馬にしてくれよ、と子供心に思った。一生背負っていかなければならない名前をプロレスラーから取らなくてもいいじゃないか。
 祖母はプロレスの大ファンだ。プロレスの時間になるとテレビの前を陣取って、煎茶を飲みながら流血するレスラーたちをニコニコと観ていた。
「ドラゴン・スープレックスが好きやったんよ」
 プロレスに詳しくないおれは、それがどんな技かは知らない。とりあえず、祖母には「カッコイイ名前つけてくれてありがとう」とお礼を言った。
 おれは今年で二十歳になる。フリーターだ。
 阪急総持寺駅を出ると、赤と白のボーダー柄の細長い塔が見える。《フジテック》というエレベーター会社の塔で、中でエレベーターの点検をしている。その塔のふもとに、おれがバイトをしているファミリーマートがある。 今日、そこをクビになった。
 デグが客と喧嘩をしたのだ。おれの勤務時間は深夜で、しかも一人態勢だった。本来ならコンビニの深夜勤務は二人で入らなければならない。人件費カットのため、一人で働かされている。
 おれは「怪しい客が来たらどうするんですか?」と店長に訊いたことがある。
「一人で働いていると悟られるな」と、店長は真顔で答えた。「怪しい客が来たら、さも事務所に他のバイトがいるような芝居をしろ」
 店長は実際、見本をやってみせてくれた。レジカウンターの中に入り、「寿さーん、そろそろ仮眠から起きてくださいよー」と、無人の事務所に向かって一人芝居をした。
 おれはそれを黙って見るしかなかった。
 コンビニのバイトは不安もあったが、仕事は楽だった。眠気にさえ打ち勝てれば、自分のペースでのんびりとやれる。廃棄の弁当も食べ放題、エロ本も読み放題だ。だから、デグも暇さえあれば、おれの勤務時間に遊びにきていた。
 今日もおれたちはコンビニの事務所の中でタバコを吸いながら、エロ本を読み、どうでもいいことをくっちゃべっていた。ちょうど、この前のテレクラ事件の話で馬鹿笑いをしているとき、店内から男の怒鳴り声が聞こえた。
「なに、笑っとんじゃ! こらっ!」
 しまった。話に夢中になりすぎて、客が来ているのに気づかなかった。 おれは慌ててレジカウンターへと出て行った。
「今、俺のこと笑っとったやろ!」男がおれの胸ぐらを掴む。
 酒臭い。かなり酔っぱらっている。スーツ姿のサラリーマンだ。
「笑ってませんよ。他のスタッフと世間話をしてただけですよ」
 おれは営業スマイルで応対した。
「嘘つけ! 防犯カメラ見て笑っとたやろ!」
 サラリーマンがおれのみぞおちに膝蹴りを入れた。
 まともに食らった。自慢じゃないけどおれは喧嘩が弱い。学生のときも不良たちのうしろに隠れて、粋がっているタイプだった。
 おれは呼吸ができず、おにぎりコーナーの前でうずくまった。
「ちょっと、何してるんですか?」
 デグが事務所から顔を出した。
「お前も笑ってたやろ?」
 サラリーマンが掴みかかろうとする。
「警察呼びますよ」
「なんで警察が出てくんねん! 悪いのはお前らやろが!」
「……デグ……ええから」
 おれはヨロヨロと立ち上がって、デグを事務所に押し込もうとした。
「よくないやろ!」サラリーマンが、おれたちの間に割って入ろうとする。「俺はな、お前らみたいな奴らが一番ムカつくんじゃ! 社会をナメやがって!」
「社会は関係ないでしょ? ちゃんと働いてるじゃないですか?」
 デグが言い返す。
「どこがやねん! ちゃんと就職してから言えや!」
「わかりました。こうしましょう」
 デグが、サラリーマンの両肩をつかんで押し返した。元バスケット部のデグは身長が百八十センチある。細身だが力も強い。
「な、なんやねん」
「腕相撲で決着をつけましょう」
 デグが、サラリーマンをレジカウンターまで引きずってきた。
「は? 何を言うとんのや?」
「リュウ、カウンターの中に入れ」
 デグがおれの腕を引く。おれとサラリーマンはレジカウンターを挟んで向かいあった。
「おれがやんの?」
「お前の喧嘩やろ」
「なんで腕相撲なんかせなアカンのじゃ! こらっ!」
 サラリーマンが怒鳴り散らす。
「傷害事件にしてもいいんですか? 困りますよね?」
「まあ……悪いの俺とちゃうけどな……」
 サラリーマンが、さらに怯む。完全にデグのペースだ。 
「オレは暴力が嫌いです。あなたに何があってストレスを抱えているかはしりませんが、オレたちに八つ当たりをするのはやめてください」デグが雄弁に語る。「ここは正々堂々と戦いましょう。勝っても負けても恨みっこなし。あなたが負けたら大人しく帰ってください」
「俺が勝ったら?」
 サラリーマンがジロリとデグを睨む。
「オレたち二人で土下座をします」
 サラリーマンがニタリと笑った。
「ホンマやな?」
「男に二言はありません」
「おい、やるのはおれやぞ」
 正直、腕相撲には自信がない。
「やったろやんけ!」サラリーマンが上着を脱いだ。「元ラグビーの意地を見せたろやんけ!」
 よく見ると、サラリーマンはいいガタいをしている。腹は出ているが、肩幅がガッシリしていて、腕も太い。
「かかってこいや!」
 サラリーマンが両足を開き、レジカウンターに右肘をついた。
 おれは仕方なしに、サラリーマンの手を握り、腕相撲の形を取った。
「じゃあ、レディー」デグがサラリーマンの背後に廻りこむ。「ゴー!」
 ガクッとサラリーマンの手から力が抜けた。呻き声を上げながら倒れこむ。
 なんと、デグがサラリーマンの股間を蹴ったのだ。
「な、なにやってんねん……デグ」
「リュウ、逃げるぞ」
 デグが走りだした。 自動ドアが開き、店の外へと飛び出していく。
「お、おい!」
 おれはコンビニの制服姿のまま、思わず追いかけた。
「すまん! ついカッとなってやってもうた!」
 デグが走りながら謝る。
「どこが、正々堂々やねん!」
 おれも走りながらつっこんだ。

第三話 「ビデオショップ・カリフォルニア」につづく


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