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木下半太 小説 ビデオショップ・カルフォルニア4

第四話 メーテル、サイボーグ、ジョーズ

 デグは一日でカリフォルニアを辞めた。

 一日中埃臭い麻袋を被り続けて、咳が止まらなくなったのだ。

「やってられるか。リュウもやめようぜ」と初日の帰り道に言われたが、「おれは……もうちょい続けてみるわ」と返した。

「マジで?」デグが目を丸くした。「なんでやねん?」

「お前は学生やからええけど、フリーターのおれは実家でゴロゴロしとったら肩身が狭いねん」

「まあな……」デグが納得する。

 もちろん、嘘だ。好きなだけテレビを観ながらゴロゴロしてるし、親に何を言われても屁とも思っていない。

カリフォルニアに残る理由は一つ。若林さんに会いたいからだ。

コスプレ姿で現れた若林さんは、問答無用で美しかった。

黒いおかっぱ頭のカツラをかぶり、白いシャツと黒いパンツでキメていた。手足の長さが際立っている。ウエストも驚異的に細かった。

「おっ。『パルプ・フィクション』のミア・ウォレス!」店長が興奮して叫んだ。

 たしか、そんなキャラが出ていたような気がする。『パルプ・フィクション』は話題の映画だったので、高校生のときにビデオを借りて観たが、途中で寝てしまった。話があっちこっちに行ったり来たりするので理解できなかったのだ。

 若林さんはキャラに入りこんでいたのか、おれとは一言も口を聞いてくれなかった。冷たい目でジロリと一瞥をくれただけだ。

 睫毛が長い。『銀河鉄道999』のメーテルみたいな横顔だ(もちろん、映画マニアたちの前では口が裂けても言えなかったが)。

 彼氏……おるんかな? もしくは、好きな男が……?

声に出して呟きそうだった。

おかしな男と思われてもいいから、今すぐ愛の告白したかった。

おれは、あなたに一目惚れしました、と。

 

 二十年間の人生で三人の女の子と付き合った。

 一人目は中学二年生のとき。バレーボール部の副キャプテンの子だ。

 おれの通っていた中学校では男子ではサッカー部。女子ではバレーボール部が人気だった。現に、サッカー部のキャプテンとバレーボール部のキャプテンは学校中の憧れのカップルで、文化祭のベストカップル賞(実行委員は何でこんなものを作ったんだとモテない男子たちは憤慨していた)にも選ばれていた。

 バレーボール部の可愛いナンバー2が、ヤブちゃんだ。

 フルネームが藪中祥子。

 優等生を絵に描いたような女の子で、成績も常に学年一位を独走していた。生徒会で副会長をやり、ボランティア活動にも熱心で町の掃除や老人ホームに手紙を持って行ったりして、男女ともに慕われていた。

 ただ、ヤブちゃんのことを「先公のご機嫌とり」や「真面目サイボーグ女」と陰口を叩く者もいた。おれだ。

 おれは、そのときブルーハーツにはまっていて、意味もなく大人たちを憎んでいた。昼休みに教師たちの目を盗んで屋上に登っては、タバコを吸いながらCDウォークマンで『青空』や『月の爆撃機』を聞くような困った感じの十四歳だった。ザ・ハイロウズも好きだけど、やっぱりブルーハーツが一番だ。ヒロトとマーシーの友情を越えた男の絆に心の底から憧れた(二年後、デグと出会ってアホの絆が生まれる)。

 だから、ヤブちゃんのような教師たちと手を組む生徒たちを思いっきり軽蔑した。ヤブちゃんの体操服に《学校の犬》と油性マジックで落書いた。

 放課後、おれはヤブちゃんに「体育館の裏に来い」と呼び出された。

とうとうおいでなすったか、生徒会の連中がおれにお灸を据える気だ。

 おれは念のためソフトボール部の部室からバットを一本拝借した。

 待っていたのはヤブちゃん一人だった。

「……話ってなんやねん?」

「ウチな……」顔をまっ赤にしたヤブちゃんが俯いてままモジモジしていた。

 一人で話をつけに来るなんていい度胸してるじゃねえか、と童貞のおれは思った。

「ウチ、リュウ君のこと好きやねん」

「へっ」

バットが地面に落ち、コロコロと乾いた音を立てた。

それから高校三年生までヤブちゃんとつきあったが、頑なにエッチを拒まれた。

おれは中の下の公立高校。ヤブちゃんは大阪でも有数の進学校(しかも女子校)に通っていた。

いつも、キスは許してくれのだが、胸や股間に手を伸ばそうとすると、バレーボール部仕込みのスパイクで叩かれた。

「ごめん。ウチ、結婚するまでしたくないねん。受験勉強にも集中したいし……」

 ヤブちゃんは、やっぱり《真面目サイボーグ女》だった。

 おれはヤケクソになってデグと遊びまくった。その間もヤブちゃんは、サイボーグの如く勉強に打ち込み、とうとう東京大学の文学部に合格した。

 それで、別れた。遠距離恋愛は嫌だったし、大学も専門学校も行かないおれとは釣り合わない気がした。劣等感で、一緒に歩くのも恥ずかしくなった。

「最近、なんで冷たいの?」ヤブちゃんに言われた。卒業式の前日だった。

「好きな子ができてん」

おれは嘘をついた。自分のプライドを守るために。

 高校を卒業してからバイトの子とコンパで出会った子と付き合ったが、二人とも半年ももたなかった。

 童貞は卒業したけど、恋愛が楽しいと思ったことは一度もない。

 デグと遊んでるときのほうが、百倍テンションが上がる。

 デグがカリフォルニアを辞めてから一週間が経った。

 おれは、ずっと店長と働いた。小さいビデオ屋なので、客の少ない昼の営業は二人で十分に手が足りる。

 苦痛ではなかったが、楽しくもなかった。とにかく店長は陽気で、業務そっちのけで話しかけてくる。

「寿君は『ジョーズ』は観た?」

 暇さえあればハリウッドクイズだ。

「もちろんです」スピルバーグの作品は好きだ。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の1と2は繰り返し観た。

「あの映画でジョーズがラストで飛び散るシーンがあるよね?」

「あ、はい」たしか、ジョーズがガスボンベをくわえ、主人公がライフルで撃って、大爆発した。

「あの肉片って、何でできてるか知ってる?」店長が得意気に言った。

 知ってるわけがない。

「生肉ですか?」

「ブー」店長がニタニタと笑う。

「なんやろうなあ……」おれは考えるフリをした。ハリウッドクイズには真剣に参加しないと店長の機嫌が悪くなる。

「ヒント、果物」

「スイカとかイチゴですか?」おれは当てずっぽうで答えた。

 店長の顔色が変わる。「なんで知ってんの?」

「だって、赤色の果物といえばその二つしか……」

「もういいよ」店長がプイッとそっぽを向いた。

 ええ大人がなんやねん……。

 若林さんがいなければ、こんなバイトはとっくに辞めている。

「店長、質問いいですか?」おれは、ご機嫌を取ることにした。

「……何?」店長がレジのパソコンの画面を見ながら答える。

「どうして、この店は〝カリフォルニア〟って名前なんですか?」

 店長が、よくぞ聞いてくれたという顔でふり返った。「長くなるけどいい?」

 しまった……。後悔しても、もう遅い。


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