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こちらトゥルーロマンス株式会社


       


登場人物

山根(28) クールな美人で仕事もできるが、恋に不器用。上司の大黒と不倫中。
稲垣(?) 年齢不詳の女。毒舌。恋に不器用。
高野(26) おっとりしている。真面目。
荒井(25) のんびり屋。山根のセックスフレンド。
沢田(27) 神経質で、知識がある。自意識過剰。
徳永(24) 社内一の美人で。天然ボケ。
竹内(25) オバカだが憎めない男。
平松(45) ハゲでデブだが、人情に熱い男。
大黒(39) ちょいワイルドなセクシーな男。山根と不倫している。

     ♪陽気な音楽。
     照明、溶明。
     六本木にあるトゥルーロマンス株式会社の社員食堂。
     徳永、山根、入場。
     徳永は弁当、山根はお盆に牛丼を持っている。
     二人、テーブルに座り、ランチをしながら談笑。
     沢田、荒井、稲垣、入場。
     沢田はコンビニの袋、荒井はお盆にうどん、稲垣はパン屋さんの袋を
     持っている。
     三人、テーブルに座り談笑。
     全員、楽しそう。
     平松、暗い表情で入場。空いている椅子に座る。
     ♪陽気な音楽、カットアウト。
     平松、深い深い溜め息。
     全員、話を止めて平松を見る。
     平松、さらに大きな溜め息。
     全員、顔を見合わせる。

稲 垣 平松係長、何かあったんですか?
平 松 わかるかい?
稲 垣 わかりますとも。これ見よがしの溜め息を二連発ですから。
平 松 楽しいランチどきを邪魔してすまんね。
稲 垣 はい。弾んでいた会話がものの見事に遮断されました。
山 根 係長はお昼ご飯を食べないんですか?
平 松 食欲がないんだ。

     全員、驚く。

沢 田 毎日、カツ丼の大盛りと味噌汁代わりにトンコツラーメンを平らげている
    係長が?
平 松 そんなに食べとらんよ。私はフードファイターじゃないんだぞ。
沢 田 すいません。大食漢のイメージがあったものですから。
山 根 私は係長が豚足を何本もかじってると思ってたわ。
平 松 豚足なんてメニューないだろ。どんな社員食堂だよ。
山 根 ごめんなさい。イメージですから。
平 松 上司に対して持つイメージじゃないだろ。
荒 井 体調不良ですか? 
徳 永 アサイー飲みます? 
平 松 何だ、それは?
徳 永 私の手作りです。
平 松 アサイーとは何だと聞いているんだ。
徳 永 知りません。正体不明です。

     全員、驚く。

山 根 徳永ちゃん、知らないで飲んでたの?
徳 永 はい。たぶん、野菜か果物かのどっちかと思うんですけど。
稲 垣 どっちでもいいわよ。そんな邪道な食物。
徳 永 でも、健康にいいんですよ。野菜か果物かのどっちかなんだから。
荒 井 徳永ちゃんは健康オタクだけどアバウトなんだよなあ。
徳 永 えへ。サプリメントも錠剤の色とか形で選んでます。
山 根 いつか、死ぬわよ。
徳 永 大丈夫です。健康にいいですから。
荒 井 さすが、アバウトだなあ。
山 根 で、アサイーって何? 
稲 垣 紅茶キノコみたいなものかしら?
荒 井 何ですか、それ?
稲 垣 ひと昔前に流行った健康食品よ。
荒 井 稲垣さんておいくつでしたっけ?
稲 垣 二十九よ。

     荒井、首を傾げる。

徳 永 アサイーって何ですか?
山 根 沢田なら知ってるでしょ?

     沢田、ベビースターを食べながら答える。

沢 田 ブラジルやアマゾンが原産のヤシ科の植物ですよ。外見はブルーベリーに
    似ていますが、植物学的にはベリーとは近縁ではありません。
    非常に栄養価が高く、アサイー百グラム中に含まれるポリフェノールは
    ココアの約四・五倍、ブルーベリーの約十八倍とも言われています。
    鉄分に至っては、レバーの三倍で食物繊維やカルシウムも豊富ですね。
荒 井 さすが、人間ウキペディアだ。
稲 垣 で、野菜か果物、どっちなのよ。

     全員、気になる。
     沢田、ポリポリとベビースターを食べる。

山 根 私は果物に千円。荒井はどっち?
荒 井 また賭け事ですか?
山 根 どっちなのよ。
荒 井 では、僕も果物で。
山 根 それじゃあ、賭けが成立しないじゃない。野菜にしなさい。
荒 井 ……はい。
山 根 成立〜。

     山根、満足げに笑い、財布から千円を出す。

荒 井 なんで僕だけ……。

     荒井、渋々、千円を出す。

山 根 沢田、答えなさい。

     沢田、ベビースターを食べる。

稲 垣 焦らさないでよ!
沢 田 果物です。
山 根 はい! いただき!

     山根、荒井の千円を奪いとる。

荒 井 ちくしょー!

     各自、平松を無視して好きずきに話し始める。

徳 永 お菓子でお腹いっぱいになるんですか?
沢 田 俺にとっては、これがラーメンなの。
稲 垣 普通にラーメンを頼みなよ。食堂にあるんだからさ。
徳 永 健康に悪いですよ。アサイー飲みます?
沢 田 飲まない。
稲 垣 知識が豊富なのに矛盾してるわよ。昨日はうまい棒しか食べてないし。
沢 田 うまい棒は俺の主食ですから。
稲 垣 栄養失調で骨が折れればいいさ。
山 根 荒井、今夜、飲みに行くわよ。
荒 井 今日はちょっと用事が……。
山 根 何の用事よ?
荒 井 ツタヤで借りたDVDがそろそろ返却なんで観たいなあと思って……。
山 根 延滞すればいいじゃない。
平 松 おい!

     全員、ピタリと話すのを止める。

稲 垣 すみません。平松係長の存在が消し飛んでいました。
平 松 上司をないがしろにするんじゃないよ。寂しいじゃないか。
荒 井 お疲れなら、半休を取ってください。午後からは僕たちただけでやります。
山 根 たまにはゆっくり休んでください。
平 松 疲れてはいない。

     全員、顔を見合わせる。

稲 垣 何があったんですか。私たちでよければ相談に乗ります。
沢 田 係長がいつも言っているじゃないですか。「この仕事は何よりもチームワークが
    大切だ。家族のような絆を築いていこう」って。

     全員、頷く。
     平松、大きく息を吐き、覚悟を決める。

平 松 辞めようかと思っている。

     全員、驚く。

山 根 会社をお辞めになるんですか?

     平松、深く頷く。
     全員、さらに驚く。

稲 垣 急に言われても困ります。理由を聞かせてください。

     平松、稲垣の冷たい態度に引く。

平 松 稲垣君は、いかなるときも冷たいねえ。
稲 垣 そんなことありません。これが私の標準です。
沢 田 本当に辞めるんですか。
平 松 ああ。これも書いてきた。

     平松、懐から辞表を取り出す。
     全員、驚く。

荒 井 うお。リアル辞表だ。生まれて初めて見た。
山 根 決意は固そうですね。
平 松 この会社のやり方には、もう我慢できない。

     全員、意外そうな顔。

稲 垣 意外です。係長は熱血でバリバリと仕事をこなして、たまにそれがウザかった
    ですけど尊敬していました。
平 松 稲垣君の言い方に尊敬は感じられないけどなあ。
沢 田 俺たちも尊敬していましたよ。なあ、みんな?

     全員、頷く。

徳 永 やめないで欲しいです。

     徳永、ウルウルとなる。
     平松、徳永の悲しそうな表情にグッとくる。

山 根 大黒部長と揉めたんですか。
平 松 部長と揉めるのはいつものことだろ。
徳 永 係長、辞めないでください。

     徳永、さらにウルウルとなる。
     平松、さらに徳永の悲しそうな表情にグッとくる。

平 松 徳永君の気持ちは嬉しいが、男が一度決めたことはそう簡単に曲げるわけには
    いかないんだよ。
稲 垣 何が不満なんですか吐き出してください。一応、聞きますので。

     平松、重い口を開く。

平 松 我が社が、結婚詐欺会社だってことに気づいたんだ。

     全員、納得いかない顔。

山 根 結婚詐欺ではないわよ。私たちは真実の愛を売っているんです。
沢 田 そうですよ。係長は、いつも「この仕事に誇りを持て。我々は幸せなカップルを
    量産しているのだ」って、その胸を張ってらっしゃったじゃないですか。
稲 垣 無駄に分厚い胸だけどね。
平 松 では聞くが、沢田。
沢 田 あ、はい。
平 松 お前、先月、何人の人間を騙した?
沢 田 騙したというか、顧客のリクエストにはなるべく誠意を持って答えるようには
    しましたけど……。
平 松 何人だ?
沢 田 ノルマのギリギリの、十五人です。
平 松 心は痛まなかったのか?
沢 田 と言われましても……。

     沢田、困惑した顔。

平 松 荒井はどうだ?
荒 井 えっ?
平 松 えっじゃないだろ。どういう騙し方をしたかを言ってみろ。
荒 井 僕自身は騙したつもりはないんですけど……
平 松 いいから言ってみろ。
荒 井 まあ、お得意様の久保田さんの仕事がメインでしたね。
山 根 歌舞伎町の?
荒 井 そうです。居酒屋やダイニングバーを五店舗も経営している方です。

     全員、久保田さんを知っている。

徳 永 すぐ自分の店の女の子に惚れちゃうおじさんでしょ? お金があるんだから
    堂々と口説けばいいのに。
山 根 それができない人が多いから、この会社の業績が上がるのよ。
荒 井 まあ、いつもの如く、僕と大黒部長がチンピラに扮して店員の女の子に
    バイトの帰り道で絡み、そこに久保田さんが現れて助けるという黄金パターン
    でいきました。
稲 垣 あんた、その小ささでよくチンピラになれるわね。
荒 井 大黒部長がいかついので、僕の大きさなんて関係ないんです。
沢 田 吊り橋効果ってやつですよ。カップルが二人で共通のピンチでドキドキする
    と恋に落ちやすいんです。吊り橋の他にはお化け屋敷のデートとかは効果が
    高いですね。
荒 井 大黒部長のチンピラ役はVシネマの俳優よりも怖いんですよ。だって、
    だって、バイトの女の子にゴルフクラブを持って絡むんですよ。
徳 永 最高の吊り橋ですね。
山 根 で、うまくいったの?
荒 井 はい。久保田さんから成功報酬が振り込まれましたので、交際が始まっている
    はずです。
徳 永 どうせ、すぐに別れちゃうけどね。あのおじさん、女の子とやりたいだけ
    なんだもん。
平 松 そのキャバクラの女の子たちは被害者だ。

     全員、納得いってない顔。

沢 田 そうですかねえ。勝手に運命を感じたのはその子たちの責任ではないですか。
    中には、俺たちがいくらトゥルーロマンスを仕掛けても、まったく反応しない人
    もいますし。
山 根 そうよ。私、先月は大失敗しちゃったの。
荒 井 えっ? 山根さんが? 珍しいなあ。
山 根 ねえ、徳永ちゃん。
徳 永 そうなんです。最強のコンビなのにミスっちゃいました。ほとんどが私の責任
    です。
稲 垣 自分で最強とか言ってるから隙が生まれるのよ。
徳 永 すみません。

     徳永、シュンとなって落ち込む。

山 根 ほら、己を責めないで。
沢 田 (山根に)アラフォーの女性弁護士の案件ですよね。
山 根 そう。係長もよくご存知よ。

     平松、落ち込んでいる徳永を気にする。

平 松 まあ、ミスは誰にでもある。

     徳永、嬉しそうに立ち直る。
 
稲 垣 係長は徳永ちゃんに甘いから。
平 松 いやいや、稲垣君にも甘く接したいのだよ。何の味もないカキ氷にイチゴ
    シロップをかけてあげたいのに、頑なに拒否するからさ。
稲 垣 例えが非常にわかりにくいです。もっと、簡潔にまとめてください。
平 松 ほら、これだもの。
沢 田 女性弁護士さんのクレームが凄まじかったと聞きましたよ。
山 根 (平松に)その度は、お世話になりました。
徳 永 ありがとうございました。

     平松、徳永にお礼を言われて嬉しくて、少し照れる。

平 松 かまわんよ。クレーム処理なら任せておいてくれ。
徳 永 係長、頼もしいです。

     徳永、目をキラキラとさせる。
     平松、さらに照れるが、ハッと我に返る。

平 松 まあ、私は辞めるから今後のクレームは誰かが請け負わなければいけないがね。

     全員、嫌そうな顔。

荒 井 それは困るなあ。
徳 永 絶対に辞めないでください。
山 根 私からもお願いします。これからは、私もクレーム処理を引き受けますので。

     平松、首を横に振る。

平 松 違う。クレームは大歓迎だ。
稲 垣 係長、ドMですか?
平 松 私の性癖は関係ないだろう。仕事として、やりがいがあったと言いたいの、
    稲垣君。

     稲垣、プイッと無視。
     平松、怒りを堪える。

平 松 もう……君だけは本当に……。
沢 田 俺たちの仕事にはクレームが付き物ですからねえ。
山 根 女性弁護士も大変だったわよ。
荒 井 トゥルーロマンスがうまくハマらなかったんですか?

     山根と徳永、頷く。

山 根 女性弁護士が惚れたのが、弁護を担当した殺人の容疑者だったのよ。 
荒 井 殺人? それは、ちょっとハードルが高いなあ。
沢 田 たしか、裁判に負けて実刑判決を受けたんですよね。
稲 垣 弁護に失敗したわけだ。恋なんてしている場合じゃないだろうに。
山 根 そうなのよ。女性弁護士は、かなりの美人なんだけど過去の男運が相当悪かった
    らしくて、こと恋に関しては性格が捻くれちゃってさ。
荒 井 殺人犯を好きになったと? イケメンだったんですか?

     徳永と山根、首を横に振る。
 
徳 永 毛深くて熊みたいな男の人。
山 根 メタボでお腹も出てるし。

     平松、自分のお腹を気にする。

荒 井 女性弁護士は、なんで、そんな男に惚れたんでしょうか?
山 根 だから、捻くれているのよ。
稲 垣 ぽっちゃりした男が好みの女もいるじゃない。私もきんぴらごぼうみたいな
今のアイドルよりも恰幅がいいほうがタイプよ。
     
     平松、嬉しそうに微笑む。

平 松 へえ。意外だなぁ。

     稲垣、平松を睨み付ける。

稲 垣 調子に乗らないでください。恰幅がよすぎる男は門前払いです。
 
     平松、落ち込む。

平 松 すまない。
徳 永 稲垣さんの好きな芸能人は誰ですか?
稲 垣 エリック・クラプトンよ。クリームの頃よりは、急激に太ったここ数年の方が
    素敵だわ。
荒 井 稲垣さん、本当はおいくつですか?
稲 垣 二十八よ。
荒 井 さっきより若くなってませんか?
稲 垣 誕生日がまだなの。数え年で二十九よ。

     荒井、首を傾げる。

沢 田 でも、殺人犯を惚れさせるのは難しいですよね。どんなトゥルーロマンスを
    使ったんですか?
山 根 料理作戦よ。
稲 垣 大抵の男は、胃袋をつかめば落ちるからね。
山 根 その殺人犯の味の好みや出身地、母親の得意料理などを徹底的にリサーチ
    して、女性弁護士に作らせようとしたの。
沢 田 でも、作れなかったんですね。

     山根と徳永、うなずく。

山 根 そうなのよ。とんでもない味オンチだったってわけ。
荒 井 高野さんの出番だ。高野さんの料理の腕はプロ級だからなぁ。
稲 垣 あの女は、それしか取り柄がないけどね。
徳 永 せっかく高野さんがおいしい料理を作ってくれたのに、私が余計な真似で
    台無しにしてしまったんです。
沢 田 余計なマネって?
徳 永 殺人犯の好きな料理がビーフハンバーグやビーフシチューやビーフカレーとか
    で、栄養が偏っていたのでお野菜を足し方が良いのかなと思っちゃって…… 。
沢 田 まさか、アサイーを食したの?
徳 永 そんなわけないじゃないですか。もっと普通のお野菜ですよ。チコリとか
    ロケットとかスコーゾネラとかホースラディッシュとか食用ヒマワリとかです。

     全員、呆れ顔。

沢 田 普通とは程遠いだろ。
稲 垣 ヒマワリを食わしてどうすんのさ。
徳 永 健康にいいんですよ。
荒 井 ヒマワリって栄養あるの?
徳 永 わかりません。でも、明るく元気になりそうじゃないですか。ヒマワリは
    可愛いし。
荒 井 アバウトだなあ。
沢 田 ヒマワリは種を煎って食べるんだよ。種は絞ればヒマワリ油として利用され
    る。ヒマワリ油には不飽和脂肪酸が多く含まれ、植物油としては、パーム油、
    大豆油、ナタネ油に次ぐ生産量です。ちなみに世界で一番ヒマワリを生産して
    いる国はどこだと思う?
稲 垣 知らないわよ。そこまでひまわりに興味ないし。
沢 田 ロシアです。
徳 永 沢田さんて何でも知ってるんですね。尊敬しちゃうなぁ。
 
     平松、嫉妬する。

平 松 まあ、その知識も仕事に活かせなければ宝の持ち腐れだがな。
沢 田 すみません。今月は気合いを入れて取り組みます。
平 松 頑張ってくれたまえ。私がいなくなり迷惑をかけるが、君たちならきっと
    どんなトゥルーロマンスでもクリアできるはずだ。
山 根 だから、やめないでくださいってば。

     平松、ため息をつく。

平 松 もう疲れたんだよ。

     平松、辞表を握り締め立ち上がる。

沢 田 どこに行くんですか?
平 松 辞表を出してくる。

     全員、止めようとする。

沢 田 ちょっと待ってください。
稲 垣 本人の好きにさせてあげたら。
荒 井 そんな冷たい言い方しなくてもいいじゃないですか。
稲 垣 やる気がない人が会社にいてもしょうがないでしょ。
平 松 稲垣君の言う通りだ。私はもうこの会社では働けない。
山 根 せめて大黒課長に相談した方がいいんじゃないですか。
沢 田 俺もそう思います。
 
     平松、憮然とした表情。

平松 あの人とはウマが合わないから。とっとと辞めろと言われるのがオチさ。

     平松、悲しそうな表情で全員を見る。

平 松 それでは、また会う日まで。皆と働けて俺は幸せだった。

     全員、切ない顔。

徳 永 そんなあ。

     平松、退場。

荒 井 係長!
山 根 止めてくるわ。
徳 永 私も行きます。

     山根と徳永、退場。
     残された三人、浮かない顔。
     稲垣だけが、普通の顔でパンを食べる。

稲 垣 年末のクソ忙しい時期だっていうのに、迷惑な話よね。
荒 井 午後から竹内とポスティングのチラシを配りに行かなくちゃいけないのに。
沢 田 あれ、大変なんだよなあ。「運命の出逢いをあなたに」って書かれたチラシを
    配るのは恥ずかしいし。今日はどこを回るんだよ?
荒 井 中目黒近辺です。
沢 田 平松係長があの調子じゃ、残業確定だな。
荒 井 稲垣さんも止めに行かなくていいんですか?
稲 垣 去る者は追わずよ。負け犬に興味はないわ。
沢 田 冷たいなあ。
稲 垣 どんな商売でも誰かを餌食にしてるのよ。
沢 田 餌食……。
稲 垣 だってそうでしょ。巷に溢れる結婚相談所を見なさいな。バカ高い入会金を
    ぶん取ってただ相手を紹介して、はい終わりなんだから無責任にもほどかあるわ。
荒 井 コミュニケーション能力が低いから結婚相談所に行くわけですからね。
稲 垣 それに比べたら、うちは良心的よ。何せ運命の出会いを提供するんだからさ。
沢 田 まあ、そうなんですけどねえ。

     沢田、複雑な表情。
     大黒と竹内、入場。
     二人、話ながら食堂の椅子に座る。

大 黒 あのな、カキフライってのはデカけりゃいいってもんじゃねえんだよ。
竹 内 そうですね。
大 黒 デカ過ぎるカキフライは噛み切らなきゃ口に入らねえだろ?
竹 内 そうですね。
大 黒 噛み切ったら、せっかくの海のジュースが零れちまうじゃねえか。
竹 内 そうですね。
大 黒 俺はカキフライを丸々口に入れて、海のジュースを一滴も逃さず堪能したいん
    だよ。
竹 内 そうですね。
大 黒 お前らもそう思うだろ?

     大黒、残っていた三人を見回すが様子がおかしいことに気がつく。

大 黒 どうした? 暗い顔して? 飼っていたハムスターでも死んだのか?
沢 田 死んでいませんし、ハムスターを飼ってません。
大 黒 本当か? 隠れハムスター野郎は結構多いからなあ。
竹 内 そうですね。
荒 井 大黒課長。隠れハムスター野郎とは何ですか?
大 黒 ハムスターをこっそりと飼う軟弱な男たちのことだよ。
沢 田 別にこっそりと飼っても構わないじゃないですか。
大 黒 ダメだ。堂々と飼ってあげなきゃハムスターが可哀想だろ。なあ?
竹 内 そうですね。

     大黒、稲垣がパンを食べているのを見る。 

大 黒 おっ、稲垣、何食ってんだ?
稲 垣 クロワッサンです。
大 黒 美味そうだな。ソーセージは入ってんのか?
稲 垣 入っていません。
大 黒 何だ、じゃあいらねえや。珍しいクロワッサンンだな。
竹 内 そうですね。
沢 田 ソーセージが入ってるほうが珍しいですよ。
大 黒 しかし、腹減ったな。
荒 井 外で食べてきたばっかりでしょ?
大 黒 おう。カキフライ定食にポテトサラダの大盛りを付けてやったよ。ポテ
    サラはそこそこだったけど、カキフライがなあ。

     大黒、テーブルの上のアサイーに気づく。

大 黒 何だ、こりゃ?
荒 井 アサイースムージです。
大 黒 はあ?
稲 垣 徳永ちゃんの特製の健康ドリンクよ。
大 黒 相変わらず、わけがわかんねえ女だな。で、どこに行ったんだ? 便所か?

     沢田と荒井、顔を見合わせる。
     稲垣は気にせず、パクパクとパンを食べている。

沢 田 稲垣さん、平松係長のことを言わなくてもいいんですか?
稲 垣 私に振らないで。

     大黒と竹内、顔を見合わせる。
 
大 黒 平松がどうした? クレーム処理のこなし過ぎで、また髪の毛が抜けたのか?
     沢田と荒井、話し辛そう。
     稲垣、食べるのをやめて面倒くさそうに説明を始める。

稲 垣 平松係長、会社を辞めるそうです。

     大黒と竹内、驚く。

大 黒 ずいぶんと急な話だな。理由は?
稲 垣 本人から直接聞いてください。
大 黒 その前にワンクッションあったほうがいいだろうが。
荒 井 これ以上人を騙したくないと言っていました。
大 黒 はあ? 今頃何言ってんだ、あいつは。二十年もこの会社にいるんだぞ。
荒 井 僕たちも止めようしたんですけど…… 。
大 黒 平松はどこだ?
荒 井 辞表を出しに行きました。

     大黒と竹内驚く。
     大黒、忌々しそうに舌打ちをする。

大 黒 何を考えてんだよ。おい、荒井、平松を連れ戻して来い。
荒 井 今、山根さんと徳永が説得してますけど。
大 黒 いいから、お前が引っ張ってくるんだよ。抵抗したらボディを殴れ。顔は
    ダメだぞ。
荒 井 えっ?

     荒井、困った顔。

大 黒 早く!
荒 井 はい。

     荒井、渋々と立ち上がり、退場。

大 黒 平松がやめたら俺がクレーム処理になるじゃねえか。
沢 田 僕もやりますよ。
大 黒 お前はダメ。余計に顧客を怒らしちまうよ。

     沢田、心外な表情。

沢 田 どうしてですか?

     大黒、呆れた顔。

大 黒 稲垣、説明してやれ。
稲 垣 理屈っぽいからよ。顧客の揚げ足を取ってウキペディアの知識を得意げに披露
    しそうだもの。

     竹内、笑いをこらえる。
     沢田、ムッとする。

沢 田 なんだよ。竹内もそう思ってるのか?
大 黒 竹内、真実を言ってやれ。

     竹内、困った顔。

大 黒 この会社では真実しか許さん。
稲 垣 どういう意味よ。
沢 田 ほら、遠慮せずに言えって。俺は理屈っぽいか?
竹 内 ……そうですね。
沢 田 お前、それしか言ってないだろ。
稲 垣 いいともじゃないんだからさ。もう少し自分の意思表示をしなさいよ。
竹 内 は、はい。

     高野、入場。ニコニコと機嫌がいい。
     
高 野 皆さん、グッドニュースですよ。
大 黒 どうした? やけに嬉しそうだな。

     高野、焦らすように全員を見る。

高 野 ボビーと房江さんの結婚が決まりました!

     高野、拍手をする。
     全員、喜ぶ。
     稲垣までガッツポーズ。

大 黒 ボビーのプロポーズが成功したんだな?
高 野 はい。今日の午後に婚姻届を出すそうです。
大 黒 いやあ、嬉しいなあ。房江婆さんは大金持ちだから、かなりの結婚報酬が期待
    できるぞ。
沢 田 早かったですね。我々がトゥルーロマンスを仕掛けたのは二ヶ月前でしょ?
大 黒 ボビーに急がせたんだよ。房江婆さんは八十歳を超えてるからいつくたばっち
    まうか、わかんねえしな。
高 野 冬のボーナスですね。何買おうかしら。稲垣さん、一緒にお買い物にいきま
    しょうよ。表参道にでも繰り出しますか。
稲 垣 ちゃんと報酬が振り込まれてからね。最後の最後でひっくり返ることもある
    えるしさ。
高 野 大丈夫です。二人は愛しあってますもの。私たちが提供したトゥルーロマンス
    という芽が花を咲かせたんです。私、お婆ちゃんっ子だから、房江さんの幸せ
    そうな顔が嬉しくて。
大 黒 よくやった。高野がリーダーとして頑張ってくれたおかげだ。

     高野、感動する。

高 野 頑張りました!

     全員、ウキウキと浮かれる。

沢 田 俺は旅行にでも行こうかな。マイレージも溜まってることだし。
竹 内 いいですね。
高 野 旅行があった! ナイスアイデアですよ、沢田さん。

     高野、沢田にボディタッチ。
     沢田、わずかに反応する。

高 野 稲垣さん、一緒に温泉行きましょうよ! 箱根とか伊豆とか熱海とか! 
    思い切って大分の別府温泉に行きますか! お婆ちゃんの田舎が大分で
    昔、連れて行ってもらったんです。素敵な場所ですよ!
稲 垣 女二人で? 味気ないわね。
高 野 女二人だからいいんです。香港もありだなあ。御飯が美味しいんですって!
    死ぬほど飲茶を食べましょう!
竹 内 いいですね!
稲 垣 飲茶で死にたくないわよ。
沢 田 大黒課長は何に使うんですか?
大 黒 新しいゴルフクラブが欲しいけど嫁さんに全部持ってかれちまうからなあ。
    家族旅行でもするか。
沢 田 正直、こんなにあっさりと成功するとは思いませんでしたよ。高円寺の
    インド料理屋で働く貧しい留学生と田園調布に住む大富豪のお婆さんとの恋
    ですからね。年の差、六十歳以上ですよ。

     全員、頷く。

高 野 ロマンチックですよね? 映画化とかになったらどうします? 
    主演は松坂桃李と樹木希林ですね!
大 黒 まさに、トゥルーロマンスだよなあ。
沢 田 松坂桃李がインド人やるの?
高 野 本当だ。

     高野、我が受けして大笑い。
     ベタベタと沢田にボディタッチする。

稲 垣 どうらんを塗ればいいのよ。
大 黒 それじゃあ、ラッツ&スターになるぞ。

     山根と徳永、入場。
     二人とも深刻な表情。

山 根 あ、大黒係長。
大 黒 平松の様子はどうだ?

     高野、全員の顔が曇ったことに気づく。

高 野 平野係長がどうしたんですか?
徳 永 会社を辞めるって言ってるんです。
高 野 えっ?マジ?
山 根 今、部長を探して社内をウロついてるわ。
高 野 辞める理由は何ですか?
大 黒 人を騙すことに耐えられないんだと。
高 野 騙す?
山 根 さっきまで、ここは結婚詐欺会社だって騒いでたの。

     大黒、呆れた顔。

大 黒 社員食堂で話すことじゃねえだろう。

     全員、周りを気にする。

山 根 私たちが説得しても余計に興奮して暴走しそうだから、荒井君に任して戻って
    きたの。
大 黒 賢明な判断だ。さすが、山根だな。

     山根、褒められて嬉しいがクールなまま。

山 根 ありがとうございます。
大 黒 とりあえず、平松が戻ってきたら皆で説得しよう。今、この時期にあいつに
    辞めてもらうのは困る。

     全員、頷く。

稲 垣 念のために、沢田君も係長を止めにいったほうがいいんじゃないの?
大 黒 そうだな。引っ張ってこい。
沢 田 あの巨体を引っ張れますかね。大黒課長が行ったほうがいいのでは……。
大 黒 俺が行くと事態が悪化する。もうそろそろ昼休憩が終わるから、ミーティング
    のふりをして、この食堂でケリをつけるぞ。

     全員、頷く。

高 野 沢田さん、頑張ってください。

     高野、沢田にボディタッチ。
     沢田、反応する。

沢 田 行ってきます。

     澤田、退場。

徳 永 よろしくお願いします。

     山根と徳永、空いている席に座る。
     全員、神妙な顔つき。

大 黒 せっかく、高野がいいニュースを持ってきたのになあ。

     高野、頷く。

山 根 何かあったの?
高 野 インド人のボビーと房江さんが結婚を決めたんです。
徳 永 すごい! 結婚報酬が出るじゃないですか!
山 根 やったじゃない。
高 野 はい!初めて任されたリーダーだったので不安だったんですけど、
    とんとん拍子でうまくいきました。

     高野、嬉しそうな顔。

稲 垣 平松係長の件がなければ、手放しで喜べたのにね。
高 野 はい…… 。

     高野、複雑な表情。
     大黒、テーブルに目をやる。

大 黒 ここでミーティングをするからさっさと食って片付けてくれ。
徳 永 課長と竹内君は食べたんですか?
大 黒 おう。カキフライ定食を食ってきた。いまいちだったけどな。
山 根 サッと食べちゃおう。

     全員、ご飯の残りを軽く食べる。
     山根は、牛丼をガツガツ食べる。

竹 内 山根先輩、また牛丼食べてるんですか?
山 根 肉を食べないと力が出ないのよ。
大 黒 竹内、これを片づけてくれ。

     大黒、新が食べていたうどんのお盆を指す。

竹 内 はい。

     竹内、うどんのお盆を持って退場しようとする。

稲 垣 これもよろしく。

     稲垣、食べ終えたパンの袋をお盆に乗せる。

竹 内 はい。

     竹内、お盆を持って退場。

徳 永 山根さん、食べ終わりました?
山 根 うん。上のお肉だけやっつけたから持っていってちょうだい。
徳 永 ちゃんと野菜も食べないとダメですよ。
山 根 うるさい。平松係長が帰ってくるかもしれないから急いで。
徳 永 はーい。

     徳永、牛丼のお盆を持って退場。

稲 垣 今のうちにお手洗いに行ってきます。平松係長の負け犬っぷりを見るのを
    尿意に邪魔されたくないので。
大 黒 尿意は言わなくてもいいだろう。

     稲垣、退場。

高 野 私も連れションします!

     高野、退場。

大 黒 連れションと言うんじゃない。

     大黒と山根の二人きりになる。

大 黒 なんだ、あいつら。あんなんだから、いつまで立っても彼氏ができず、
    独身なんだよ。

     山根、急に怪しい空気になる。

山 根 大黒課長。
大 黒 何だよ。
山 根 クリスマスの予定を聞かせてもらってよろしいかしら。

     大黒、動揺し始める。

大 黒 急にそんな話をしなくてもいいだろ。
山 根 別にしてもいいじゃないですか。

     山根、大黒の隣に座る。

大 黒 そ、そうだけど。

     大黒、ソワソワと周りを気にする。

山 根 クリスマスは私と会ってくれないの?

     大黒、酷く動揺する。

大 黒 (声をひそめて)会えるわけないだろ。
山 根 そんなに声をひそめなくても大丈夫よ。食堂は混んでないんだから。
大 黒 会社で、そういう駆け引きみたいなことはしない約束だろ。
山 根 奥さんと別れてくれる約束でしょ?

     大黒、ビビりまくる。

大 黒 こらっ。社の人間にバレたらどうすんだ。
山 根 誰にもバレてないわよ。

     徳永と竹内が戻ってくる。

竹 内 片づけてきました。

     大黒、びっくりするが必死で平静を装う。

大 黒 おう。ご苦労。

     竹内、微妙な空気を感じとる。

竹 内 なんだか、きな臭い雰囲気ですけど、どうしたんですか?
大 黒 何を言ってんだ、お前は。馬鹿野郎。

     大黒、笑ってごまかしながら立ち上がる。

山 根 課長、また逃げるんですか?
大 黒 逃げる? 食後の一服をかましてくるだけだ。竹内、平松が来たら喫煙室に
    呼びに来いよ。
竹 内 あ、はい。

     大黒、笑いながら退場。
     徳永と竹内、興味津々。

徳 永 何があったんですか?
山 根 ちょっとね。大事な案件があるのに私一人だけにしようとするから文句を
    言ってやったの。
竹 内 山根先輩はすげえなあ。あんな虎みたいな人によく立ち向かえますね。
徳 永 かっこいいです!
山 根 大黒課長は意外と見かけ倒しなのよ。Mっ気もあるしね。
竹 内 そこまでわかるんですか?
山 根 わかるのよ。
徳 永 憧れるなあ。私も早く山根さんみたいにバリバリ仕事ができるウーマンに
    なりたいです。
山 根 キャリアウーマンね。ウーマンだけだったら、ちょっと変よ。


     徳永と竹内、席に座る。

徳 永 本当に、平松係長やめてしまうんですかね。
山 根 そうならないようにしっかりと説得しなくちゃ。
竹 内 でも、平松係長は社内一の頑固者ですよ。

     三人、困った顔。

山 根 こうなったら、奥の手を使うしかないわね。
徳 永 何かいい説得方法があるんですか?
山 根 ひとつだけ残ってるわ。

     竹内と徳永、喜ぶ。

竹 内 やっぱり山根先輩は頼もしいや。
山 根 あんた達も協力してくれる?
徳 永 もちろんです!
山 根 吐いた唾を飲み込んじゃだめよ。
徳 永 唾?
山 根 徳永ちゃんが平松係長にお願いするの。
徳 永 さっきも「辞めないでください」っていっぱいお願いしたけど聞いてくれ
    ませんでしたよ。
山 根 違うアプローチで攻めるわ。
竹 内 詳細を教えてください。

     竹内と徳永、身を乗り出す。

山 根 徳永ちゃんが「平松係長のことがずっと好きだったんです。だから辞めないで
    ください」ってお願いするの。
竹 内 えっ?

     竹内と徳永、驚く。

徳 永 私、平松係長のこと好きじゃないですよ。人間としては好きですけど、
    男としては、ちょっと……。
竹 内 論外ですよね。あの風貌で四十を超えてもずっと独身だから、正直気持ち
    悪いですよね。
山 根 こらっ。言い過ぎよ。あんた新入社員でしょうが。
竹 内 すいません。客観的な意見です。
徳 永 いきなり、私が告白するのは不自然だと思います。

     山根、大げさに溜め息をつく。

山 根 わかってないわね。平松係長があんたのことを好きなのよ。
徳 永 嘘?

     徳永だけが驚く。
     竹内は知っている顔。

徳 永 竹内君も知ってたの?

     竹内、得意げに頷く。

竹 内 知ってるも何も係長の態度を見ればバレバレじゃないですか。
徳 永 まったく気づかなかった。
山 根 そうでしょうとも。あんたみたいな女が一番モテるのよ。

     徳永、慌てて両手を振る。

徳 永 私、全然、モテませんよ。
山 根 はいはい、そうでしょうとも。
竹 内 山根先輩、素晴らしい作戦ですね。徳永先輩に好きだと言われたら、頑固な
    平松係長と言えどもフニャフニャになりますよ。
山 根 でしょ?

     山根、得意げに微笑む。

徳 永 でも……。
山 根 いいじゃない。ちょっと嘘つくだけなんだからさ。
徳 永 でも……。

     徳永、モジモジする。
     山根、イラつく。

山 根 何よ。ハッキリしなさい。

     徳永、覚悟を決める。

徳 永 私、好きな人がいるんです。

     山根と竹内、衝撃を受ける。

山 根 この会社に?

     徳永、顔を赤らめて頷く。
     山根と竹内、驚く。

山 根 初耳よー!
徳 永 ずっと片思いですから。
竹 内 もしかして、同じ課にいるんですか?

     徳永、顔を赤らめて頷く。
     山根と竹内、さらに驚く。

山 根 誰よ?

     徳永、照れまくる。

徳 永 恥ずかしくて言えないですよ!

     徳永、チラリと竹内を見る。

竹 内 えっ?

     竹内、ドギマギする。

山 根 竹内、耳を塞ぎなさい。
竹 内 僕も聞きたいですよ。
山 根 上司命令よ。早く!
竹 内 わかりましたよ。

     竹内、渋々と両耳を塞ぐ。

山 根 ちゃんと塞いだ?聞こえてない?

     竹内、微動だにしない。
     山根、竹内が聞こえてないか試す。

山 根 竹内! 竹内! 竹内のバカ!

     竹内、微動だにしない。

山 根 竹内、ただでおっぱい触らせてあげるわよ!おっぱい、触りたくないの!
    おっぱいよ!

     竹内、微動だにしない。

山 根 よしっ。絶対に聞こえてないわ。
徳 永 本当かなあ?

     徳永、不安そう。
     山根、早く聞きたくてウズウズしている。

山 根 大丈夫よ。さあ、観念して教えない。うちの課の誰が好きなの?

     徳永、照れながらも告白する。

徳 永 大黒……課長です。

     山根、唖然となる。

山 根 もう一度、いいかしら?
徳 永 大黒課長です。キャッ。

     徳永、恥ずかしくて顔を覆う。
     山根、複雑な表情。

山 根 大黒課長は妻子持ちよ。鬼のように怖い奥さんがいるのよ。
徳 永 だから、片思いなんです。
山 根 やめたほうがいいと思うなあ。絶対に幸せになれないと思うなあ。
徳 永 やっぱり、不倫はいけませんよね。

     山根、悲しみがこもった顔で頷く。

山 根 ボロボロになるわよ。毎晩、泣くことになるわよ。ストレスで生理も狂いま
    くるから毎月ロシアンルーレットをやってるようでハラハラするし。
徳 永 お肌も荒れますかね?
山 根 荒れるどころの話じゃないわよ! 韓国のりみたいになるんだから!
徳 永 それは嫌だ。
山 根 でしょ? 悪いことは言わないから、大黒課長だけはやめときなって。

     徳永、諦めない表情で首を横に振る。

徳 永 私は諦めません。
山 根 おい!人の話を聞いていましたか?
徳 永 だって、いつか奥さんと別れるかもしれないじゃないですか。その時は
    正々堂々と告白します。

     山根、懸命に怒りを堪える。

山 根 なんか、それズルいなあ。釈然としないなあ。
徳 永 なので、嘘をついて平松課長を好きになるなんてできません。
山 根 そこをなんとか!会社のためを思ってさ。平松課長は大した趣味もないし、
    ずっと彼女もいないから貯金もたんまりあるだろうし、絶対浮気もできないし、
    いい物件だと思うなあ。これを機会に本気で付き合ってみるのもありなんじゃ
    ない?
徳 永 (即答)無理です。
山 根 例えばの話よ。あっ、そう言えば!

     山根、わざとらしく思い出す。

山 根 平松係長ってメンタルが弱いんだったわ。
徳 永 あの身体つきで?
山 根 豆腐のようなメンタルよ。このまま会社辞めても再就職は厳しいだろうし、
    孤独死に向かって真っしぐらね。もしかしたら……。

     山根、意味深な表情。

徳 永 何ですか?
山 根 平松係長、東横線じゃない。家が学芸大学だから。
徳 永 はあ。
山 根 東横線のホームってダイブしやすいのよねえ。

     徳永、信じず半笑い。

徳 永 まさか。
山 根 まさかって人ほどあるのよ。平松係長は真面目でしょ?
徳 永 仕事一筋です。
平 松 その一筋を失ったら、あとはさ迷うしかないじゃない。立派なダイブ予備軍よ。
    いいの?東横線が止まっても?ダイヤが乱れてもいいの?

     徳永、納得いかない顔。

徳 永 でも、平松係長のメンタルが弱いところを見たことないし……。
山 根 私は何度も目撃したわよ。竹内と一緒に。
徳 永 新入社員なのに何度も?
山 根 竹内だけじゃない。会社のみんなが知ってるんだから。
徳 永 どうして、私だけ……。
山 根 好きだからよ! 好きな人の前では弱いところを見せたくないのよ! 
    それが男っていう生き物なの! ねえ、竹内?

     竹内、耳を塞いだまま、微動だにしない。

山 根 竹内! おい! 竹内!
徳 永 聞こえてませんよ。

     山根、舌打ちをして立ち上がる。
     竹内の後ろに回り、頭を叩く。

竹 内 痛て! 何ですか?

     山根、竹内の両肩に手を置く。

山 根 平松係長って、メンタル弱いわよね。

     山根、ウインクで合図をする。

竹 内 えっ?

     竹内、自分に気があると勘違いする。

山 根 誰かが平松係長を支えてあげなきゃダメよね?会社を辞めて一人になったら
    マズいわよね。

     山根、何度もウインクをする。

竹 内 そうですね。何をするかわかりませんね。
山 根 ほらね!

     山根、勝ち誇った顔で徳永を見る。
     徳永、まだ半信半疑。

徳 永 竹内君も平松係長のメンタルが弱いところを見たことがあるの?
山 根 あるわよね。

     山根、竹内の肩をグッと握る。

竹 内 はい。この前、会社の屋上で、縁のギリギリに立ってました。
山 根 えっ?

     山根、それは言い過ぎだろという顔。
     徳永は本気で驚く。

徳 永 どれくらいのギリギリ?
竹 内 これぐらい。

     竹内、指を平松に見たてて、テーブルで実演する。
     徳永、さらに驚く。
     山根は嘘の下手さに呆れる。

徳 永 落ちるよ!
竹 内 僕が間一髪で助けましたんで。

     徳永、信じ始める。

徳 永 平松係長、そんなに追い詰められていたんだ……。
山 根 クレーム処理は神経が磨り減るもの。だから、徳永ちゃんが平松係長を
     救ってあげて。

     徳永、腹を括る。

徳 永 やれるだけやってみます。
山 根 よしっ。善は急げ。さっそく行くわよ。

     山根、徳永を立たせる。

徳 永 えっ? どこに?
山 根 ミーティング前に、平松係長に告白するの。会社の裏に呼び出すよ。

     荒井、入場。

山 根 あっ、荒井。平松係長は?
荒 井 今、沢田さんが給湯室で説得しています。給湯室は狭いから戻ってきました。
山 根 徳永ちゃん、気合い入れて!
徳 永 は、はい。

     山根と徳永、退場。

荒 井 (竹内に)どうしたの?
竹 内 徳永さんが平松係長に告白するんです。

     荒井、仰天する。

荒 井 ええっ?
竹 内 平松係長を辞めさせない芝居ですよ。
荒 井 ああ、ビックリした。両思いかと思ったよ。
竹 内 そんなわけないでしょ。徳永ちゃんは他に好きな人がいるんです。
荒 井 えっ? 誰?

     荒井、身を乗り出す。
     竹内、照れ臭そうに身をよじる。

竹 内 それがどうも、僕みたいなんですよ。
荒 井 はあ? 勘違いだろ?

     荒井、眉をひそめる。

竹 内 いやいや、だって、わざわざ耳を塞がせるんですよ。

     竹内、思いっきり勘違いしている。

荒 井 意味がわかんねえよ。
竹 内 まいったなあ。どっちを選べばいいのかなあ。
荒 井 何? もう一人いるの?

     竹内、さらに照れ臭そうな顔。

竹 内 どうやら、山根先輩も僕に惚れてるみたいなんですよねえ。

     荒井、呆れた顔。

荒 井 それはないよ。

     竹内、ムキになる。

竹 内 いやいや、だってウインクですよ。両肩をグッと握ってきましたし。
荒 井 徳永ちゃんはどうか知らないけど、山根さんだけは絶対にない。

     荒井、強い口調で言い切る。
     竹内、ムッとする。

竹 内 どうして、断言できるんですか?
荒 井 だって、山根さん俺と、やってるよ。

     竹内、ぽかんとなる。

竹 内 やってるって、フェイスブックとかじゃないですよね?
荒 井 違うよ、バカ。

     竹内、目を見開いて驚く。

竹 内 肉体関係!
荒 井 声がデカいよ!

     荒井、周りを気にする。
     竹内、身を乗り出す。

竹 内 お二人は付き合ってるんですか?

     荒井、首を傾げる。

荒 井 そういうのじゃないと思う。
 
     竹内、眉をひそめる。

竹 内 では、どういうのですか?
荒 井 たまに二人で飲みに行って、山根さんが「恵比寿のマンションまで送れ」って
    いうから送ったら必ず、「コーヒーを飲んでけ」っていうからお邪魔して朝ま
    でっていうのがいつものパターンかな。
竹 内 コーヒーを飲むんですか?
荒 井 コーヒーが出てきたことはないな。

     竹内、同情の顔。

竹 内 荒井さん、可哀想ですね。
荒 井 ん?
竹 内 都合のいいセックスフレンドじゃないですか。
荒 井 うるさいよ。お前に言われると人の五倍はムカつくよ。

     竹内、納得いかない。

竹 内 でも、おかしいなあ。山根先輩、さっきは意味深なボディタッチをしてきた
    んだけどなあ。
荒 井 あの人のことだから、別の意図があったと思うよ。

     竹内、ガッカリするが、立ち直りも早い。

竹 内 ボディタッチと言えば、高野さんですよね。あの人、沢田さんにだけをやたら
    と触ってませんか?あの二人は付き合ってるんですかね。

     荒井、首を傾げる。

荒 井 聞いたことないけど、沢田さんが高野さんを好きなのは間違いないよな。
    ボディタッチされた瞬間、必死で平静を装ってるもん。

     竹内、力強く頷く。

竹 内 沢田さん、毎回、鼻の穴を膨らませてますよね。プクッって。

     二人、笑う。
     平松と沢田、入場。
     平松、二人しかいないことに呆れる。

平 松 何だ? ほとんど、いないじゃないか?
沢 田 あれ?

     竹内と荒井、笑うのをやめる。

平 松 君たち、なぜ陽気に笑っている? 私が辞めるのがそんなに嬉しいのか?
荒 井 いえ、違います。
竹 内 誤解です。
沢 田 じゃあ、何に笑ってたんだよ、お前ら。
竹 内 えっ……。

     竹内と荒井、本人を目の前にして困る。

沢 田 誤解を解かなきゃ、失礼だろ。
竹 内 荒井さん、説明をお願いします。
荒 井 おい!

     荒井、竹内を睨みつけるが、すぐに笑顔でごまかす。

荒 井 沢田さんの……その……。
沢 田 俺?
荒 井 いや、あの……。
沢 田 俺の何を笑ってたんだよ。

     沢田、荒井を威嚇する。
     気まずい空気。

平 松 そんなに言いにくいことなのか?

     荒井と竹内、困って目を合わせる。
     沢田、二人の態度に腹が立つ。

沢 田 俺、陰で悪口を言う奴が一番嫌いなんだよ。
竹 内 悪口ではないです。ねえ、荒井先輩。

     竹内、咄嗟に嘘をつく。

荒 井 う、うん。
竹 内 沢田さんと高野さんの子供の名前を考えて、笑いあっていました。
沢 田 えっ?

     沢田、動揺する。
     平松、キョトンとする。

竹 内 さっき、高野さんが言ってたんです。今度、入る結婚報酬で沢田さんと
    ディズニーランドに行きたいって。ねえ、荒井先輩。

      荒井、しどろもどろになりながらも嘘に付き合う。

荒 井 高野さん、ミッキーやドナルドが大好きで、エレクトリカルパレードが
    見たいと言ってました。
沢 田 高野が……エレクトリカル?

     沢田、鼻を膨らませながら、喜びを隠す。

平 松 良かったな、沢田。両思いじゃないか。

     沢田、激しく動揺。

沢 田 係長もご存知なんですか? 俺が……高野に好意を寄せていることを。

     平松、優しく微笑み、頷く。

平 松 お前ほど芝居がヘタな奴はいないよ。態度でバレバレだったぞ。
    (竹内と荒井に)なあ?

     二人、引き攣った笑顔で答える。

二 人 はい。

     沢田、照れながらも嬉しそう。

沢 田 参ったなあ。

     平松、自分のことのように嬉しそう。

平 松 そうか、そうか。両思いか。素晴らしいなあ。沢田と高野。お似合いだぞ。
沢 田 ありがとうございます。でも、まだ付き合っているわけでは……。
平 松 男らしく告白してあげなさい。高野は待ち切れなくてお前にボディタッチを
    しているのだから。
沢 田 やっぱり、そうですよね。男から告白しなくてはダメですよね。

     沢田、鼻を伸ばしながらも男らしい顔つき。
     平松、ハッと気づいて、竹内と荒井を見る。

平 松 さては、お前たち!
荒 井 何ですか?
平 松 お前たちが考えた沢田と高野の子供の名前がわかったぞ。だから爆笑して
    いたんだな。

     平松、得意げに推理を披露する。

平 松 沢田、研二だろ!

     二人、引き攣った笑顔で答える。

二 人 はい。
平 松 こりゃ、傑作だ。

     平松、大笑い。
     沢田、嬉しそうに怒る。

沢 田 お前たち、いい加減にしろよ。
二 人 すいません。
竹 内 ところで、平松係長。徳永さんとは会いました?
平 松 会っとらんよ。なぜだ?
竹 内 別件で話があるみたいです。
平 松 そうか、そうか。沢田、研二。

     平松、しつこく大笑い。
     大黒、入場。
     平松、大黒に気づかず大笑い。
     平松以外は大黒に気づく。
     みんなの様子で、平松も気づき、慌てて暗い顔になる。

大 黒 何だ、元気そうだな。
平 松 元気ではないです。
大 黒 まあ、座れ。

     全員、席につく。

大 黒 平松、会社を辞めたいらしいな。
平 松 はい。もう、この会社のやり方にはついていけません。

     重苦しい空気。
     稲垣、高野、入場。
     高野、まだ浮かれている。

高 野 (稲垣に)大阪旅行はどうですか? USJもありますし。

     沢田、高野にドギマギする。
     稲垣、重苦しい空気に気づき、人差し指で口を押える。
     高野、慌てて真面目な顔になる。

大 黒 お前たちも座れ。

     高野と稲垣、空いている席に座る。
     椅子が足りないので、竹内が立つ。
     山根と徳永も戻ってくる。

山 根 あっ。

     山根、重苦しい空気に気づき、顔をしかめる。

山 根 (声をひそめて)徳永ちゃん、この空気に負けちゃダメよ。
徳 永 (声をひそめて)無理ですよ。

     荒井が立ち、山根に席を譲る。
     徳永は、立ったまま。
     大黒、全員を見回す。

大 黒 これで、ウチの課の全員が揃ったな。聞いたと思うが、平松が会社を辞めたい
    と言い出している。もちろん、本人の意思は尊重してやりたいが、平松は
    我が社にとってまだまだ必要な男だ。

     稲垣以外、頷く。
     平松、心苦しい表情。

大 黒 どうか、みんなで説得して欲しい。

     さらに重い空気。

稲 垣 どうせ辞めるんだったら、ウェディングボーナスを貰ってからにすれば
    どうですか?

     平松、ピクリと反応する。

平 松 顧客さんの誰かが結婚を決めたのか?

     高野、ここぞとばかりにアピールする。

高 野 インド人のボビーと房江さんです。

     平松、辛そうな顔。

平 松 また犠牲者が出たか。
大 黒 その言い方は何だ?
平 松 房江さんは八十歳を超えた車椅子の老人ですよ? コツコツと貯めてきた
    貯蓄を奪い取るのですか?
大 黒 コツコツではないだろ。大金持ちの地主なんだから。
平 松 余計にタチが悪いです。

     大黒、怒りを堪えながらも笑顔で接する。

大 黒 それは違うことぐらい、お前ならわかるだろ。房江さんは自らの意思で、
    ボビーと結婚するんだ。

     平松、暗い顔で溜め息をつき、首を横に振る。

高 野 ボビーが現れてからの房江さん、とても幸せそうですよ。

     全員、頷く。

平 松 房江さんの親戚からとんでもないクレームの嵐が押し寄せるだろうな。
大 黒 たしかに、その可能性は高い。親戚たちからすれば、突然現れたインド人の
    若者に遺産の大半を持っていかれるわけだからな。
平 松 インド人ではありません。
大 黒 何?
平 松 ボビーはバングラデシュ人です。

     全員、顔を見合わす。

大 黒 高野、そうなのか?
高 野 すみません。てっきりインド人だと思いこんでいました。
大 黒 どうりで、インド人のわりにはボビーって名前が変だと思ってたんだよな。

     沢田、すかさず高野をフォローする。

沢 田 中野のインド料理店で働いているんだから、誰だって間違うよ。高野ドンマイ。

     高野、唐突なフォローに戸惑う。

高 野 ありがとうございます。

     平松、攻撃の手を緩めない。

平 松 インド料理店でもない。
沢 田 えっ?

     全員、驚く。

平 松 中野のあの店は、ネパール料理店だ。
山 根 どっちでもいいじゃない! カレーとナンがあれば!
平 松 よくない。君たちは、そんないい加減な気持ちで仕事をしていたのかね。

     高野、ガックリと肩を落とす。

高 野 すみません。リーダーの私の責任です。
平 松 本当にリーダー適性試験に受かったのか?

     大黒がフォローする。

大 黒 筆記は受かったが、実技はまだだな。
山 根 実技なんてあるの? 私のときはなかったけど。
大 黒 ああ。今年から採用される。
山 根 トゥルーロマンスの実技って何をやるのよ?
大 黒 俺に聞くな。部長に聞け。

     沢田、高野が落ち込んでいるのを見て、反撃に出る。

沢 田 高野だけの責任ではありません。細かい指導を怠った俺のミスです。
高 野 沢田さん。

     高野、沢田にボディタッチ。
     沢田、ますます張り切る。

沢 田 ボビーの案件で平松係長が退職を決意したのならば、その責任はすべて俺に
    あります。

     沢田、格好よく席を立つ。

沢 田 どうもすみませんでした!

     沢田、深々と頭を下げる。
     全員、驚く。

稲 垣 今日はやけに高野の肩を持つわね。
山 根 男らしいけど、ちょっと怖いわ。
平 松 いや、許すことはできない。私は高野を責めているのではなく、自分自身を
    責めている。なぜ、目の前で一人の老人が結婚詐欺にあっているのに、見て
    観ぬふりをしたのだと。

     大黒、うんざりした顔。

大 黒 結婚詐欺ではない。我が社は真実の愛を売っているんだ。一人でも多くの幸せ
    な笑顔が見たくて、俺たちは身を粉にして働いているんだろうが。
    社員自らがターゲットと結婚すれば、それは結婚詐欺となる。だが、あくまでも
    ターゲットを落とすのは顧客だ。我々は顧客が落としやすいよう手を貸すだけ
    だ。法律的には何の問題もない。

     全員、頷く。

平 松 私もこの二十年間そう思い続けてきました。しかし、その笑顔の陰には深く
    傷き、絶望を味わっている人間もいる。クレーム処理に来る人とたちは口を
    揃えて言います。
   「やっぱり、愛は金では買えなかった」と。
山 根 私は買えると思うわ。
大 黒 おう。言ってやれ、山根。

     全員、山根を見る。

山 根 私たちが、運命の出会いを提供しなければ結ばれなかったカップルが
    ほとんどよ。たしかに、平松係長の思いもよくわかるの。でもね、お金で
    トゥルーロマンスを買うのも、モテるために素敵な服や車を買ったり、
    わざわざ高いお金を払って料理教室に通うのも同じだと思うの。

     平松、ムキになる。

平 松 同じではない。
山 根 (全員に)同じよね。

     全員、戸惑いながら頷く。

平 松 では、みんなに訊ねたいが、ボビーは房江さんのことを本当に愛してると
    思うか? 八十歳の資産家のお婆さんだぞ。もし、財産が目的なら、我が社
    は結婚詐欺に手を貸したことになる。

     高野、落ち込んでいる。
     沢田、そんな高野を見てフォローする。

沢 田 愛があれば歳の差なんて関係ないと思います。ロミオとジュリエットじゃない
    けれど、障害があればあるほど燃えるんですよ。

     徳永、勢いよく手を上げる。

徳 永 その通りだと思います。

     徳永、大黒をじっと見つめる。
     大黒、ちょっぴり怖い。

大 黒 なぜ、俺を睨みつける?
徳 永 睨んでません。
大 黒 睨んでるじゃないか。
山 根 徳永!

     山根、慌てて徳永の頭を持ち、徳永の好き好きビームを平松向ける。
     平松、ちょっぴり怖い。

平 松 今度は私?

     徳永、視線を大黒に向けようとするが、山根に頭を持たれて修正される。

大 黒 何をやっとるんだ、お前らは?
稲 垣 パントマイムの練習じゃないんだから。

     平松、気を取り直して全員に質問する。

平 松 他のみんなはどう思う? もし、房江さんが大富豪ではなくてもボビーは
    結婚したと思うか?

     全員、微妙な表情。

平 松 荒井はどう思う?
荒 井 僕はどちらかと言えば年下の子がタイプなので、ボビーの気持ちは理解し
    にくいです。

     山根、ムッとする。

山 根 あんた、ロリコンだったの? へえー。
荒 井 いや、ロリコンというわけでは……。
山 根 最低ね。

     山根、荒井を睨みつける。

大 黒 そんなに荒井の好みを責めなくてもいいだろ。
平 松 竹内はどうだ? お前がボビーだとして、何の財産もない八十歳の婆さんと
    結婚するか?
竹 内 しないです。
沢 田 おい、即答するなよ。
竹 内 客観的な意見です。だって、あり得ないじゃないですか。

     竹内のせいで気まずい雰囲気。

大 黒 平松、この会社を辞めてどうするつもりだ?
平 松 警察に行って自首します。

     全員の顔色が変わる。

稲 垣 この会社を潰す気なんですか?
平 松 ああ、そうだ。こんな人を不幸にする会社はなくなったほうが世のためだ。

     全員、動揺する。

沢 田 俺たちまで路頭に迷うじゃないですか!
平 松 数々の人を騙してきた罰だ。受け入れるしかないだろう。

     大黒、鼻で笑う。

平 松 何がおかしいんですか?
大 黒 みんな、安心しろ。我が社は法律的には何の問題も犯していない。よって、
    誰も逮捕されることはない。トゥルーロマンス株式会社が五十年以上も続いて
    いることが何よりの証拠だ。
    先代の社長が、ジョン・レノンとオノ・ヨーコを結婚させたときも世間は何も
    言わなかった。むしろ、歓迎されたと聞いている。

     平松以外、頷く。

平 松 でも、沢尻えりかとハイパーメディアクリエイターが結婚したときは危なかった
    ですよ。
大 黒 たしかに、あのときはヤバかったが問題はない。何しろ、凄腕の弁護団が
    我々にはついているからな。

     平松以外、少し安心する。

稲 垣 (平松に)警察に行くだけ無駄だと思いますよ。
平 松 警察が駄目ならマスコミに暴露する。ワイドショーでおもしろおかしく
    取り上げてくれるでしょうね。

     全員、顔色が変わる。

大 黒 やめろ。株価に影響するだろうが。
平 松 この会社をぶっ潰すのが私の使命です。
竹 内 困りますよ。せっかく、田舎の両親が「六本木にある立派な会社に就職できて
    良かったね」と喜んでくれているのに。つい最近も段ボールいっぱいのみかん
    を送ってくれたんですよ。
稲 垣 私だって困るわ。三人の息子の養育費を稼がなきゃいけないのに。

     全員、驚く。

荒 井 稲垣さん、結婚していたんですか?
稲 垣 バツイチよ。
荒 井 息子さんたちの年齢は?
稲 垣 大学生二人に社会人よ。
荒 井 稲垣さん、本当はおいくつなんです?
稲 垣 (少し間を空けて)二十九よ。
荒 井 絶対に違うでしょ!
大 黒 俺だって家のローンがまだ残っている。
山 根 徳永ちゃん、出番よ。平松係長に大事な話があるんでしょ?
徳 永 えっ……でも……。

     徳永、戸惑う。

平 松 何だ? この際、言いたいことは遠慮せずに言いたまえ。
山 根 ほらっ。頑張って。

     山根、強引に徳永の背中を押す。
     徳永、嘘をつく覚悟を決める。

徳 永 (棒読みで)平松係長のことがずっと好きだったんです。だから
    辞めないでください。

     全員、仰天する(嘘を知っている人間はリアクションを考えること)。
     平松係長が一番驚いている。

稲 垣 愛の告白のわりには、まったく感情がこもってないわね。
山 根 徳永ちゃんは緊張してるのよ。ねえ?
徳 永 あ、はい。

     徳永、チラチラと大黒を気にする。

大 黒 なぜ、俺をチラチラと見る?

     平松、フラフラと立ち上がる。

平 松 徳永君。悪い冗談はやめてくれ。
山 根 冗談なんかじゃないわよ。徳永ちゃんが可哀想じゃない。ねえ?
徳 永 えっ?

     山根、徳永の背中を叩く。
     徳永、渋々と答える。

徳 永 (棒読みで)私は、平松係長を、心の底から、愛しています。

     全員、徳永の棒読みっぷりに驚く。
     平松、嬉しいが素直に喜べない。

平 松 ……こんな私のどこに惚れたんだ?
徳 永 わかりません。
平 松 えっ?
徳 永 何となくです。
荒 井 アバウトだなあ。

     大黒、ここはチャンスだと感じる。

大 黒 平松。お前の気持ちはどうなんだ?
平 松 どうとは?
大 黒 とぼけるな。徳永ちゃんのことをどう思ってるんだよ。

     平松、恥ずかしいが腹を括り、徳永を見る。

平 松 一目見たその日から、夜も眠れないくらい好きでした。

     徳永、思わず顔を逸らす。

大 黒 なぜ、顔を逸らす?
山 根 恥ずかしいんですよ。徳永!

     山根、徳永の頭を持って、平松に向かせる。

大 黒 平松、会社を辞めるということは、徳永を失うということになるぞ。
    それでもいいのか? ん?

     平松、葛藤の表情。

大 黒 お前のわがままで、徳永を不幸にするのか?

     平松、さらに葛藤の表情。
     稲垣、鼻で笑う。

稲 垣 大黒課長、こんな意気地のない人に言っても仕方がありませんよ。
平 松 何だと?
稲 垣 だって、徳永ちゃんが新入社員のころから好きだったのに、今まで告白できな
    かったんですよね?

     平松、痛いところを突かれて顔を歪ませる。

平 松 その通りだ。私は臆病者だ。男としての自分に自信が持てなくて、徳永君を
    ずっと遠くで見ているだけだった。
稲 垣 見ているだけでは手に入りませんよ。お店の前に飾ってあるハンバーグや
    スパゲティのサンプルを眺めているだけで空腹が満たされますか?

     平松、首を横に振る。
     沢田も首を横に振っている。

平 松 満たされない。ペコペコのままだ。
稲 垣 女はね、いつも待っているんです。徳永ちゃんだって、平松係長のセクハラ
    一歩手前の熱い視線には気づいていたはずです。でも、女の方から好きだと
    いうわけにはいかないんです。なんだか、負けた気持ちになるから。

     沢田、覚悟を決めて立ち上がる。
     全員、驚く。

稲 垣 何よ、沢田。まだ説教の途中なんだけど。
沢 田 俺も告白していいですか。

     全員、呆気に取られる。
     沢田、高野を見る。

沢 田 高野。
高 野 はい?

     高野、仰天する。

沢 田 勇気がなくてごめん。ふられるのが怖くて踏み出せなかった。

     全員、顔を見合わせて身を乗り出す。

沢 田 お前のことが好きなんだ。付き合ってくれないか。

     全員、高野の返事を待つ。
     高野、コクリと頷く。
     沢田ガッツポーズ。
     みんな、喜ぶ。
     高野、頷いたのではなく、そのまま深く腰を曲げる。
     全員、沈黙。

荒 井 このポーズの意図がわからないんですけど。
稲 垣 高野、イエスかノーのどっちなのさ。
高 野 ゴメンなさい。

     全員、驚く。
     沢田、大ショック。

沢 田 つまり、俺とは付き合えないということか。

     高野、気まずそうに上体を起こす。

大 黒 高野、説明を求められているぞ。
高 野 沢田さんをそういう風に思ったことは一度もありません。て、言うか
    私、彼氏がいますし。
山 根 高野、彼氏がいるの? 初耳よ! どんな人よ。
高 野 飲食関係です。
荒 井 じゃあ、沢田さんへのあの必要以上のボディタッチは何だったんですか?
高 野 ボディタッチ?

     高野、キョトンとする。

竹 内 いやいや、いつも沢田さんだけをベタベタ触っているじゃないですか。
 
     高野、身に覚えのない顔。

高 野 無意識だったわ。細いから掴みやすかったのかしら。
稲 垣 おい、沢田は手すりではないぞ。

     沢田、酷く傷ついた表情。

沢 田 何だよ、それ……。めちゃくちゃ、触ってたじゃないか。

     平松、沢田に近づき、肩を抱く。

平 松 見てみろ。これが傷ついた人間だ。我々は、こんな顔の人間を生み出してき
    たんだぞ。
沢 田 離してください。

     沢田、平松を振り払う。

沢 田 平松係長はいいじゃないですか。徳永ちゃんと両思いなんだから。
    幸せいっぱいの人に抱きしめられたくない。
稲 垣 平松係長はまだ付き合ってくれって言ってないわよ。

     山根、慌てる。

山 根 (徳永に)断らないわよね。

     徳永、複雑な表情で答える。

徳 永 わかりません。
荒 井 そこもアバウトにいっちゃうの?

     平松、山根と徳永の様子ですべてを悟る。

平 松 なるほど、そういうわけか。

     山根、必死で誤摩化そうとする。

山 根 何がです?
平 松 徳永君、本当は私のこと好きでもなんでないのだろう? 私を引き止める
    ために芝居をしているだけなのだろう?

     山根、笑ってごまかす。

山 根 ホホホ、そんな周りくどいことを社内イチの天然ボケの徳永がするわけ
    ないじゃないですか。
平 松 山根、もういい。首謀者が君だということもわかっている。

     山根、ギクリとして笑うのをやめる。
     山根の策略を知らなかった人間、驚きの表情。
     知っていた人間は気まずそうにする。
     平松、大きく息を吐き、両手を広げる。

平 松 さあ、徳永。ハッキリとふってくれ。その方が、私もさっぱりとするよ。
沢 田 係長……。

     沢田、下唇を噛み締め、泣きそう。
     徳永、覚悟を決め、大黒を見る。

大 黒 私は、大黒課長が大好きです。
 
     山根以外、仰天する。
     竹内、ショックを受ける。

大 黒 お、俺?

     大黒、戸惑うがモテて嬉しい。
     山根、嫉妬の炎を燃やす。

山 根 何、鼻の下を伸ばしてるんですか?嬉しいんですか?
大 黒 嬉しいわけないだろ。私には妻と子供もいるんだぞ。

     平松、怒りの形相で大黒を睨みつけ、ワナワナと震える。

平 松 許せん……。
荒 井 平松係長、全然、さっぱりとしてませんよ。

     徳永、空気を読めずに告白を続ける。

徳 永 大黒課長。奥さんと別れたら、私と付き合ってください。
大 黒 いや、それは……。

     大黒、チラチラと山根を気にする。
     山根は腕を組んで怒りの形相。

稲 垣 別れたなら、お互い独身同士だから何の問題もないわけだ。大黒課長、
    明確な解答をお願いします。

     山根、腕を組んだまま、グイッと大黒に迫る。

山 根 その解答、私もぜひとも聞きたいですね。

     大黒、困り果てた顔。

竹 内 さすが、山根先輩。女子社員の味方だ。

     平松、まだ怒っている。

平 松 大黒課長、徳永のことをどう思ってるんですか?

     大黒、しどろもどろで答える。

大 黒 どうもこうも……まだ別れたわけじゃないから。
山 根 いつ別れるんですか?
大 黒 そんなのわかるわけないだろ。
山 根 今すぐ別れてください。

     大黒、テンパる。

大 黒 落ち着け、山根。
荒 井 山根先輩、凄い迫力だ。
竹 内 後輩思いだよなあ。

     全員、大黒の答えを待つ。

大 黒 そのうち、別れるよ。

     山根、ブチ切れる。

山 根 そのうち、そのうちって、どれだけ無責任なんですか? 徳永はずっと
    待ってるんですよ! 可哀想だとは思わないんですか?
大 黒 おい、社員食堂だぞ、ここは。
山 根 今日という今日は逃がしません。はっきりと答えてくれないのなら、
    私もこの会社を辞めます。

     全員、驚く。
     徳永、感動する。

徳 永 山根さん、私のためにそこまでしてくれるんですか?

     山根、平松の隣に立つ。

山 根 平松係長、同盟を組みましょう。私、出版社に友達がいるんで、会社を
    辞めたら暴露本を執筆します。大黒課長を破滅に追い込みましょう。
平 松 う、うん。

     平松、山根の剣幕に引いている。
     沢田、手を上げる。

沢 田 僕にも手伝わせてください。

     沢田、平松係長の横に立つ。

荒 井 沢田さんも辞めるんですか?
沢 田 ああ。哀れな房江さんを救うためにね。

     沢田、高野を睨みつける。
     高野、ムッとする。

高 野 それって私にふられた腹いせですか?
沢 田 さあね。

     沢田、ソッポを向く。

竹 内 うわあ。復讐だ。
稲 垣 沢田、ケツの穴が小さ過ぎるよ! 女の腐ったみたいな野郎だね!
沢 田 何とでも言ってください。

     平松、味方になってくれた沢田をかばう。

平 松 稲垣はどっちの味方なんだ? 私か大黒課長か?
稲 垣 愚問です。

     稲垣、ツンとして、大黒の横に立つ。

高 野 私も大黒課長を応援します。

     高野、沢田を睨みつけ、稲垣の横に立つ。

山 根 徳永はどっちを選ぶの?

     徳永、葛藤する。

徳 永 そんなあ、困ります。大黒課長は大好きだし、山根先輩はとても尊敬
    してるし……。

     竹内と荒井も困る。

大 黒 荒井と竹内はどっちなんだ?

     荒井、山根と目が合う。

山 根 荒井、こっちに来なさい。
大 黒 荒井、わかってるな? 向こうに行くということは会社を辞めるという
    ことになるぞ。

山 根 荒井! 私を裏切るの!

     荒井、葛藤する。

大 黒 荒井! 何をそんなに迷っているんだ! 山根に弱味でも握られているのか?
山 根 荒井!どれだけ、コーヒーを飲ませて上げたと思ってるのよ!

     全員、「コーヒー?」という顔。

大 黒 荒井! コーヒーがそんなに好きなのか!いくらでも飲ましてやるから、
    こっちに来い!
山 根 荒井!もう二度とコーヒーを飲ませないわよ!いいの!
稲 垣 ドトールでやりなさいよ!

     荒井、山根の方へと歩く。

大 黒 荒井!
山 根 それでこそ荒井よ。

     山根勝ち誇った顔。
     荒井、山根の前でピタリと立ち止まる。

荒 井 山根さん。僕はあなたのペットじゃない。

     荒井、くるりと踵を返し、大黒の横に立つ。
     大黒、喜ぶ。

大 黒 ようこそ。チーム大黒へ。
高 野 山根さんと何かあったの?
荒 井 ……大したことではないんですけどね。
竹 内 大したことだと思いますけどね。

     竹内、含み笑いをする。

荒 井 おい!

     荒井、竹内を睨みつける。

竹 内 わかってますよ。
大 黒 竹内、笑ってる場合か。お前はどっちにつくんだ?
竹 内 念のために確認をしてもいいですか?

     竹内、山根を見る。

竹 内 山根先輩、僕のことが好きですか?
山 根 はあ?
竹 内 結構です。

     竹内、大黒の横につく。

山 根 意味がわかんないわよ!
稲 垣 お互い様よ。
竹 内 荒井先輩の言った通りでしたね。
荒 井 だろ?

     徳永、一人残される。

沢 田 あとは徳永ちゃんだけだぞ。

     徳永、困惑する。

徳 永 とりあえずは、中立の立場でかまいませんか?
大 黒 よかろう。どうせ、こっちが優勢には変わらないからな。

     大黒、勝ち誇った顔。

平 松 ぬぬぬ……。
平 松 歯軋りをして悔しがる。
山 根 そんな強気でいいんですか? 週刊誌に記事が出ますよ。この会社にも
    芸能記者がわんさか押し寄せるでしょうね。
沢 田 竹内。田舎のご両親はどう思うだろうな。もう、みかんを送ってこなくなるぞ。
竹 内 嫌だ。
大 黒 竹内、みかんは諦めろ。
竹 内 嫌だ!
稲 垣 スーパーで買いなさいよ! ハナマサでいくらでも買えるでしょうが!

     高野の携帯電話の音。
     高野、画面表示を見て顔色を変える。

大 黒 顧客か?
高 野 ボビーです。おかしいわ。今ごろは区役所に行っているはずなのに。

     平松、ニヤリと笑う。

平 松 来たな。土壇場になってのクレームかもな。

     大黒チーム、動揺する。
     平松チーム、余裕の顔。

大 黒 高野、電話に出ろ。
高 野 は、はい。

     高野、営業トーンで電話に出る。

高 野 お電話ありがとうございます。こちらトゥルーロマンス株式会社、
    でございます。
    ボビー様、この度はおめでとうございます。はい、はい。
大 黒 ボビーは日本語が喋れるのか?
平 松 ペラペラです。通訳を目指して勉強している苦学生ですからね。
高 野 はい?

     高野、仰天の顔。

高 野 あの……それは、一体、どういった……。

     高野の様子がおかしい。
     全員、顔を見合わせる。

高 野 えっ? えっ? えっー!
大 黒 おい、どうした?
平 松 高野、電話を変わろうか?
高 野 ちょっと待ってください、ボビー様! あっ。

     一方的に電話を切られる。
     高野、呆然とした顔。
     大黒と平松、高野に近づく。

大 黒 何があった?
平 松 説明しなさい。
高 野 房江さんが誘拐されました。

     全員、唖然となる。

沢 田 誘拐って……誰に?
高 野 ボビーです。
大 黒 はあ?
平 松 はあ?

     全員、さらに驚く。

大 黒 二人は結婚するんだろ? 婚約届を出すはずだろ?

     高野、まだ呆然としている。

高 野 嘘だったそうです。
大 黒 何が?
高 野 房江さん、資産家がゼロだそうです。老人ホームから逃げ出してきた身寄りの
    ないお婆さんが、大金持ちになりすましていただけなんですって。
    車椅子も嘘で、興奮したボビーが「走って逃げようとしたよ!」って怒鳴って
    ました。

     全員、口をぽかんと開けて顔を見合わせる。

竹 内 房江さんがボビーを騙してたんですか?
稲 垣 ちょっと待って。それで、どうしてボビーが房江さんを誘拐するのさ。
竹 内 財産目当てだったのに、アテが外れたからじゃないですかね。

     高野、顔面蒼白で頷く。

高 野 ボビーは、「房江さん、死ぬの嫌だったら、一億円払え」って言ってました。

     大黒、憤慨する。

大 黒 何で我が社が支払わなきゃならんのだ!
高 野 どうしましょう!これも私の責任ですか?

     高野、泣きそうな顔で無意識に沢田にボディタッチ。

荒 井 高野さん! ボディタッチ!
高 野 ああっ!
沢 田 これっ!これっ!

     高野、沢田から手を離す。

高 野 だって、掴みやすいんだもん!

     平松、ブチ切れる。

平 松 だから、言ったじゃないか! こういう取り返しのつかない事態が起こるのが
    怖かったのだよ!
竹 内 いやいや、さすがにここまでは予測できなかったでしょ。
稲 垣 ノストラダムスじゃないんだから。

     平松、憤慨する。

平 松 何だと?
山 根 待って、みんな落ちついて! そもそも、房江さんはどうして、お金もない
    ボビーを狙ったのよ。
徳 永 きっと、カレーが好きなんだ。
荒 井 そんなにアバウトじゃないと思うよ。
徳 永 きっと老人ホームのご飯が不味くてカレーをお腹いっぱい食べたかったんだ。
稲 垣 徳永ちゃんは少し黙っておこうか。余計に混乱するわ。
平 松 一刻も早く、警察に電話しましょう。

     平松、自分の携帯電話を出そうとする。

大 黒 慌てるな。状況を把握するのが先だ。
平 松 何を言ってるんですか! 悠長に構えている場合ではないでしょ! 
    房江さんは誘拐されているのですよ。殺されたらどうします?
    責任を取れますか?

     大黒、呆れ顔で平松を睨む。

大 黒 警察に通報したことがバレたら、それこそ殺されるだろうが。お前こそ、
    責任を取れるのか。

     平松、言いくるめられて悔しそうな顔。

平 松 ぐぬぬ……。

     山根、大黒に反撃。

山 根 でも、どうやって状況を把握するのよ。私たちは素人なのよ?
大 黒 高野、ボビーは身代金の受け渡しをどうすると言っていた?
高 野 十五分後に電話をするから、それまでに用意しろと……。

     全員、絶望の表情。

山 根 十五分で一億円? むちゃくちゃよ! 私たちは魔法使いじゃないのよ!
大 黒 いや、俺たちは魔法使いだろ。これまで無数の真実の愛を生み出してきたんだ。

     徳永、目を潤ませる。

徳 永 大黒課長、素敵です。

     平松、嫉妬の嵐。

平 松 一人だけカッコつけないでください。
荒 井 平松係長、今は誘拐に集中しましょう。
稲 垣 どれだけ心が狭いんですか。図体はトドみたいなくせに。

     平松、ムッとする。

平 松 トドとは何だ、トドとは?
沢 田 アシカの仲間です。体長は、オス平均二八二センチ、メス平均二二八センチ。
    体重は、
平 松 ウキペディアはもういい!
沢 田 すみません、つい。
大 黒 俺たちで力を合わせて房江さんを救い出すぞ。
徳 永 はい!

     徳永だけ、張り切っている。
     全員、渋い表情。

徳 永 どうしたんですか?みなさん?
稲 垣 無理なものは無理よ。どうやって一億円の大金を用意するのさ。

     全員、絶望の顔。

大 黒 一億円は用意しない。

     全員で大黒を見る。

高 野 では、何で房江さんを救うんですか?
大 黒 トゥルーロマンスだ。

     大黒と稲垣以外、声を揃えて返す。

全 員 トゥルーロマンス?
稲 垣 声を揃えないで。気持ち悪いわ。
山 根 笑わせないでよ。自分たちの恋愛もまともにできないのに、何が
    トゥルーロマンスよ。

     全員、複雑な顔。
     大黒、めげずに続ける。

大 黒 もし、ボビーが本当に房江さんを愛すれば誘拐事件は解決する。
平 松 たった十五分でトゥルーロマンスを仕掛けるんですか。
稲 垣 正しくは、あと十三分よ。
平 松 不可能だ。
大 黒 トゥルーロマンスに不可能はない。

     徳永、またもや目を潤ませる。

徳 永 私もそう思います。トゥルーロマンスは騙されていると気づかないうちに、
    愛が芽生えるんです。
山 根 でも、ボビーと房江さんがどこにいるかさえわからないのよ?
沢 田 電話でしかコンタクトを取れないボビーと房江さんをどうやって愛させるか……。
竹 内 ハードルが高過ぎますよ。

     大黒、深刻な表情だが諦めない。

大 黒 ボビーと房江の情報が欲しい。高野、頼む。
高 野 はい。

     高野、中央に出る。
     それに合わせて、全員、席につく。
     高野、大黒、平松は立つ。

大 黒 ボビーの依頼を担当したのは誰だ?

     高野、稲垣、荒井、竹内が手を挙げる。

大 黒 平松は担当しなかったのか。
平 松 資料で確認していただけです。

     大黒、頷く。

大 黒 高野、ボビーとはどういう男だ?
高 野 インド人の優しい青年です。
平 松 バングラデシュ。

     高野、慌てて言い直す。

高 野 バングラデシュ人の優しい青年です。
大 黒 なぜ、優しいと思った?
高 野 私は中野に住む常連客という設定でインド料理店に通っていたんですが、
平 松 ネパール!しっかりしろ、高野!
大 黒 平松、カリカリするな。今はボビーが何人かは関係ない。
平 松 しかし、正しい情報がないと、
大 黒 相手は誘拐犯だ。バングラデシュ人というのも嘘かもしれん。

     高野、気を取り直して言い直す。

高 野 ネパール料理店に通っていたのですが、いつもナンを一枚サービスして
    くれるんです。
沢 田 ナンのおかわり自由の店も多いんだから参考にならないぞ。

     沢田、ふられたことをまだ根に持っている。

高 野 すみません。
山 根 ボビーの優しさは芝居だったってわけね。
徳 永 優しい人が誘拐なんてしないですもんね。
竹 内 いや、優しかったですよ。僕と荒井さんは電力会社の人間に扮して、
    ボビーの店の前にある電柱に登って張り込みをしていたんですけど、
   「おつかれさまです」って言ってマンゴーラッシーを持ってきてくれました。

     荒井、思い出して頷く。

荒 井 美味しかったよな。外だから寒かったけど。
大 黒 それも自分を善人に見せるための芝居だろう。ボビーは依頼者なんだから、
    お前らがトゥルーロマンスの人間だと知っているしな。
山 根 八十歳のお婆さんを狙っていたから、ピュアに見せようと必死だったのね。
稲 垣 そうなってくると、二十歳の留学生というのも怪しいわね。インド系の人は
    年齢不詳だもの。
荒 井 稲垣さんが言わないでください。

     大黒、平松を睨む。

大 黒 平松、資料を見てボビーの怪しさに気づかなかったのかよ。

     平松、ムッとする。

平 松 部下たちの報告を信頼してましたので。
大 黒 投げっぱなしは信頼とは言わんだろうが。
平 松 投げっぱなしは、大黒課長の得意技でしょうが。クレーム処理をいつも私に
    押し付けて!

     大黒、カッとなり、立ち上がる。

大 黒 あげ足を取るなよ、このハゲチャビンが!

     平松、キレて立ち上がる。

平 松 ちょっと!ハゲは言いですよ! 実際にハゲてますからね! 認めますよ!
    でもチャビンって何ですか! お茶を入れる瓶のことですか!

     口喧嘩が始まり、全員、オロオロする。

大 黒 知らないよ、バーカ!

     全員、顔が引き攣る。

平 松 バカだと?高卒のあんたに言われたくないよ!

     全員、さらに顔が引き攣る。
     大黒、鬼の形相。

大 黒 その高卒野郎に出世競争に負けたのは、どこのハゲチャビンでしたっけ。
平 松 貴様! チャビンって言うな!

     平松、大黒に掴みかかる。

大 黒 何だよ、やるのかよ!

     大黒、平松を掴み返す。
     全員、慌てて二人を止めようとする。

平 松 表に出ろ! 六本木通りで決闘だ!
沢 田 車に轢かれますよ!
大 黒 死ねー!
平 松 殺してやる!

     大黒と平松、互いのほっぺたを両手でつねりあう。

稲 垣 ほっぺたで死なないわよ!
竹 内 子供の喧嘩じゃないんですから!
徳 永 大黒課長! 負けないで! もう少し最後まで走り抜けて! どんなに
    離れてても! 心はそばにいます!
荒 井 徳永ちゃん! それ、ZARDの歌だよ!

     山根、どさくさに紛れて大黒を後ろからシバく。

山 根 奥さんといつ別れるのよ! 本当は別れる気ないんでしょ!

     山根、大黒の髪の毛を後ろから引っ張る。

山 根 嘘つきー!
大 黒 痛い! 痛い!

     高野、キレてテーブルを叩く。

高 野 いい加減にしてください!

     全員、静まる。

稲 垣 高野がキレた。

     竹内、一人でウケる。

竹 内 クララが立ったみたいですね。

     高野、竹内のアタマを叩く。

竹 内 痛!
高 野 タイムリミットはあと五分ですよ!

     全員、我に返る。

沢 田 大黒課長どうしますか?
大 黒 お、おう……。

     大黒課長、テンパって答えられない。

山 根 平松係長、どうしましょう?
平 松 う、うん……。

     平松係長、同じくテンパって答えられない。
     高野、決意した顔。

高 野 身代金を運びましょう。

     全員、驚いて高野を見る。

大 黒 しかし、その身代金が用意できないだろ。
高 野 中身は何だっていいじゃないですか。新聞紙とか雑誌とか。

     荒井、ひらめく。

荒 井 倉庫に大量のチラシが余ってますよ。
竹 内 ポスティングのやつですね! 腐るほどありますよ! 僕、こっそりと燃や
    してやろうかと思ってましたもん。
平 松 そのチラシを何に入れていくのだ?手頃なバッグはあるのか?

     山根、ひらめく。

山 根 大黒課長のセルシオのトランクにゴルフバッグが積んであるわ。
稲 垣 どうして、課長の車にそんなに詳しいの?

     大黒、動揺するが、山根は余裕の態度。

山 根 よく自慢してらっしゃるから。

     沢田、首を捻る。

沢 田 聞いたことないけどなあ。
大 黒 男に自慢してどうする。自慢は女にするものだ。

     平松、鼻で笑う。

平 松 では、その自慢のゴルフバッグとやらを使わせてください。
大 黒 わかった。クラブは抜いてくれよ。
高 野 チャンスは二回です。あともう少しでかかってくるボビーからの電話。
    それと、身代金を受け渡すとき。
稲 垣 本当に受け渡しちゃダメよね。中身はウチの会社の胡散臭いチラシなんだから。
徳 永 バレたら、身代金を運んだ人まで殺されちゃいますよ。
大 黒 一瞬の勝負になるな。
山 根 誰が運ぶの?

     全員、一斉に竹内を見る。

竹 内 いやいや、おかしいでしょ!
荒 井 荷物運びは新入社員の仕事だぞ。
竹 内 普通の荷物じゃないですよ!
高 野 身代金を運ぶ人間は最後に決めませんか。まずは電話でのトゥルーロマンスを
    考えましょう。
沢 田 二十歳の男が八十歳のお婆さんに惚れる方法? そんなのあるか?
竹 内 ないですよ。催眠術ぐらいしか思いつきません。
大 黒 理屈で考えても仕方あるまい。本能に訴えかけろ。
荒 井 もしかして、吊り橋効果ですか?

     大黒、頷く。

大 黒 半世紀以上の歳の差を埋めるには、中途半端な吊り橋ではダメだぞ。
    とてつもなく、危険な吊り橋だ。
稲 垣 八十歳のお婆ちゃんなんだから心臓麻痺を起こすわよ。
平 松 高野、房江さんの心臓は?
高 野 問題ありません。いつもカレーをおかわりし、タンドリーチキンも
    ガツガツと頬張ってました。
平 松 よしっ。耐えられるな。
高 野 吊り橋にもよると思いますが。
大 黒 沢田、インド人の怖いものって何だ?
沢 田 ボビーはバングラデシュ人ですよ。
大 黒 どっちでもいいよ! 隣なんだから、ほぼインド人だろうが。
沢 田 でも、埼玉県民と千葉県民は憎しみあってます。
大 黒 知らないよ。早くインド人の怖がるものを教えろ。

     沢田、困る。

沢 田 それは、人それぞれだとは思いますが……たこ焼きが死ぬほど恐ろしい
    大阪人もいるでしょうし。
大 黒 知らないよ!
稲 垣 たとえにいちいち、地域性を出さないで!
沢 田 インド人の怖いものですか……。

     沢田、さらに困った顔。

平 松 今こそ、人間ウキペディアの出番だろうが!

     沢田、豆知識が出てこない。
     荒井、沢田を励まし始める。

荒 井 ウキペディア、ウキペディア。

     竹内も荒井に合わせる。

竹と荒 ウキペディア! ウキペディア!

     全員、沢田を励ます。

全 員 ウキペディア!ウキペディア!
沢 田 集中できないですよ!

     沢田、叫んだ拍子に豆知識を思い出す。

沢 田 あっ!
平 松 ウキペディアを思い出したのか?
沢 田 インド人は日本人のピースサインが怖いそうです。
平 松 ピース? これか?

     平松、ピースサインをする。

沢 田 はい、それです。インドでは「大がしたい」ってサインなんですって。
平 松 大?
徳 永 ウンコですか?

     全員、徳永の下ネタに驚く。

稲 垣 ちょっと、徳永ちゃん。
徳 永 ウンコですよね。
稲 垣 ウンコだけれど、徳永ちゃんには下ネタは似合わないから!
徳 永 ウンコは下ネタじゃないですよ! 健康にいいんですよ!
荒 井 下ネタまでアバウトだよ。
大 黒 なるほど。じゃあ、インド人から見ればピースしている日本人は怖いってことか。
竹 内 笑顔なのに、大がしたい。たしかに不気味だ。
山 根 プリクラなんて密室だからウンコまみれになっちゃうわね。
荒 井 山根さんの下ネタは違和感ないなあ。

     山根、カチンとくる。

山 根 何よ!それ!

     稲垣、山根の肩に手を置く。

稲 垣 お似合いよ。
山 根 やめてよ!私、上司よ!

     山根、稲垣の手を振り払う。

稲 垣 イライラすると便秘になるわよ。
大 黒 落ちつけ山根。高野、ピース作戦でいくぞ!
高 野 えっ?どうするんですか?
大 黒 俺たちが笑顔でピースサインをしている写メールをボビーに送りつけてやるんだ。
高 野 いきなりですか?
大 黒 そうだ。先制パンチだ。
高 野 意味不明じゃないですか。
大 黒 だから、怖いんだよ。急げ! 写真を取るぞ!
高 野 は、はい。

     全員、戸惑いながらも並ぶ。
     高野、平松に自分の携帯電話を渡す。

高 野 平松係長、シャッターをお願いします。
平 松 私が?
稲 垣 この中で一番盗撮がうまそうですから。
平 松 失敬な!
高 野 稲垣さんも外れてください。
稲 垣 どうして?
高 野 だって、笑顔ができないでしょ。

     稲垣、カチンとくる。

稲 垣 できるわよ!失敬な!
高 野 じゃあ、笑顔でピースサインをしてください。

     稲垣、笑顔でピースサインをするが、目が笑っていない。

荒 井 不貞腐れてるんですか?
稲 垣 とびきりのスマイルよ!

     平松、バカにして笑う。

平 松 ハハハ! 稲垣、お前もこっちに来い。

     稲垣、「こっちに来い」という台詞に胸キュンするが、悟られないように
     必死で押し殺す。

稲 垣 はいはい。行けばいいんでしょ、行けば。

     稲垣、面倒臭そうに平松の横に並ぶ。
     しかし、内面では嬉しい。

平 松 では、写真を取るぞ。満面の笑みでピースサインだ。

     全員、笑顔でピースサインをする。

稲 垣 メガネを取ったほうがよくないですか? 光がレンズに反射してより
    ブサイクになってるわ。
大 黒 ブサイクは余計だぞ、稲垣。
平 松 たしかに、反射してるな。みんな、外してくれ。

     全員、メガネを外してスーツのポケットに入れる。

平 松 取るぞー!

     全員、笑顔とピースサイン。

稲 垣 ボーナスがたんまりと振り込まれたときの顔をしてー。

     全員、満面の笑み。

稲 垣 徳永ちゃん、アサイーを持って。そのほうが不気味だから。

     徳永、アサイー片手にピースサイン。

平 松 はい、チーズ!

     平松、シャッターを押す。

平 松 よしっ。バッチリだ。
大 黒 高野、ボビーに送りつけろ。
高 野 はい!

     高野、平松から携帯電話を受け取り、急いで写メを送る。

高 野 送信、完了しました!
大 黒 ご苦労。これで奴はどう出るかだな。

     高野、携帯電話が鳴る。

高 野 うわあ。

     高野、携帯電話を落としそうになる。
     全員、驚く。

荒 井 早えええ!
竹 内 めちゃくちゃ、ビビってますよ!

     全員、あたふたする。

高 野 ど、どうしましょう?
山 根 高野、早く出て!
高 野 は、はい。

     高野、怯えながらも電話に出る。

高 野 お、お電話ありがとうございます。トゥルーロマンス株式会社、
    高野でございます。はい、はい。

     高野、ボビーの要求を聞く。
稲 垣 どんなときもバカ丁寧なのね。
大 黒 それでこそ、社会人だ。
平 松 一度ついた習性は滅多なことでは取れやしない。
山 根 ボビーの奴、ビビってる?

     高野、素早く携帯電話を押さえて答える。

高 野 声が震えてます。

     高野、すぐに電話に戻る。
     全員、ガッツポーズ。

高 野 はい。はい。

     沢田、ひときわ、喜ぶ。

沢 田 ウキペディアの勝利だ!
高野 えっ!

     高野、顔面蒼白になる。

平 松 おいでなすった!ボビーの無理難題だ!

     全員、高野に注目する。

高 野 わ、わかりました。そのように致します。

     高野、暗い顔で電話を切る。

大 黒 ボビーの要求は?
高 野 今すぐ中野のネパール料理店に身代金を持って来いと……。
沢 田 誰が行きますか?

     全員、一斉に竹内を見る。

竹 内 いやいやいや!勘弁してくださいよ!
荒 井 大丈夫。お前なら、たぶんやれる。
竹 内 荒井さん、アバウトです!
徳 永 竹内君。みんなのために死ぬのってカッコいいよ。
竹 内 勝手に殺さないでください!
高 野 竹内はダメよ。
竹 内 えっ? やった!
稲 垣 どうしてさ? せっかくの生贄なのに。
高 野 ボビーが、写真に写っている人間は身代金を運ぶなと言ったんです。

     全員、顔を見合わせる。

大 黒 しまった。裏目に出た。
山 根 つまり、この中で身代金を運ぶ権利があるのは……。

     全員、平松と稲垣を見る。

沢 田 平松係長と。
徳 永 稲垣さん?
大 黒 時間がない。ジャンケンで決めるか。

     平松、腹を括って、ずいっと前に出る。

平 松 いえっ、私が一人で行きます。大事な部下の稲垣を危険な目に合わせるわけに
    はいきません。

     稲垣、胸がキュンキュン。
     しかし、素直になれない。

稲 垣 何、その頭でヒーローを気どってるのさ。私、一人でも行けるわよ。

     平松、男前に怒鳴る。

平 松 女は黙ってろ!
稲 垣 女性差別です。はい、訴えます。
大 黒 部下だと? 平松、お前は会社を辞めるんじゃないのか?

     平松、男前な表情。

平 松 もし、トゥルーロマンスで人の命を救うことができるのなら、私はこの
    仕事を続けてみたいと思います。
大 黒 そうか。

     平松、男前に微笑む。

平 松 それに、こんな危なっかしい奴らに会社を任せておけませんよ。

     全員、微笑む。

平 松 大黒課長。援護射撃をお願いします。

     大黒、力強く頷く。

大 黒 お前の命は俺が預かる。絶対に死なせやしない。

     平松、大黒の男気に感動する。

平 松 課長。
大 黒 係長。

     平松と大黒、抱き合う。
     全員、感動して拍手。

山 根 美しくないけど美しいわあ。

     稲垣、感動のシーンに水を差す。

稲 垣 平松係長、早く行ってもらえますか? 人質が待っていますので。
平 松 ああ、わかった。

     平松、感動の消化不良のまま、大黒から離れる。

高 野 あの……稲垣さんも運んでもらえますか? 身代金。

     稲垣、キョトンとする。

稲 垣 なぜじゃ? なぜゆえ、わらわが運ぶのじゃ?
沢 田 稲垣さん、言葉遣いが姫になってます。
荒 井 本当はおいくつなんですか!
高 野 稲垣さん、ボビーの要求なんです。
稲 垣 ボビーとは誰じゃ?
竹 内 ダメだ。現実逃避してるよ。
平 松 高野、どういうことだ?
高 野 男女二人のペアで身代金を運べとのことです。

     全員、顔を合わせる。

山 根 ボビーの狙いは何?

     大黒、渋い顔で推理を展開する。

大 黒 もしものときの保険だろう。なにせ、人質は房江さんだから、いつポックリ
    逝くかわからない。
徳 永 稲垣さんが人質になっちゃうんですか?

     全員、稲垣を見る。

大 黒 稲垣、無理しなくてもいいぞ。警察に連絡をしよう。

     全員、稲垣の答えを待つ。

稲 垣 警察に連絡をすれば、房江さんが殺されるかもしれないんですよね。

     大黒、辛そうな表情。

大 黒 その可能性は高い。

     全員、辛そうな表情。

稲 垣 大黒課長。トゥルーロマンスで私と平松係長を守ってくれますか?
大 黒 約束する。

     全員、頷く。

高 野 大黒課長、時間がありません。
沢 田 トゥルーロマンスはどうするんですか?

     大黒、男前の顔。

大 黒 この食堂で考える。二人が車で中野に着くまでが勝負だ。それまでに、
    最高のトゥルーロマンスを絞り出すぞ。

     平松と稲垣以外、返事をする。

全 員 はい。

     全員、力強く頷く。

大 黒 平松、稲垣! 中野に着いたら必ず電話しろ。
平と稲 はい!

     大黒、車のキーをスーツのポケットから取り出し、平松に渡す。

大 黒 俺の車を使え。ゴルフバッグはトランクだ。
高 野 では、平松係長と稲垣さん、手をつないでくたさい。
稲 垣 はあ? 嫌よ! 何よ、それ?
高 野 ボビーの指令なんです。身代金を運ぶ男女のペアは、互いが逃げないように
    手錠でつなげって。でも、都合よく手錠なんかないから手をつないで
    ごまかすしか、
山 根 あるわよ。

     山根、すかさず、スーツのポケットから手錠を出す。

沢 田 なんで、持ってるんですか!
竹 内 都合が良過ぎますよ!
山 根 たまに使うからよ。仕事でね。

     山根、大黒と荒井をチラリと見る。
     大黒と荒井、動揺する。

大 黒 仕事でな。
荒 井 仕事ですよね。
大 黒 ん?

     大黒、荒井を「まさか、お前もか?」と見る。
     山根、手錠を持って平松と稲垣の元へいく。

山 根 二人とも手を出して。

     平松と稲垣、手を出す。
     山根、二人の手を手錠でつなごうとする。
     徳永、テーブルのアサイースムージーを平松に渡そうとする。

徳 永 平松係長、お守り代わりにアサイーを持って行ってください。
平 松 ありがとう。でも、邪魔だよ。

     平松、アサイースムージーを徳永に返す。

徳 永 健康にいいのに。

     徳永、引っ込む。
     荒井、慰める。

荒 井 アバウトが通用しなかったね。

     山根、手錠をつなぎ終わる。

山 根 できた。これで、二人は離れないわ。
 
     平松と稲垣、頷く。

平 松 稲垣、お前は俺が守るからな。

     稲垣、平松係長の言葉にズギュンときたが、懸命に隠す。

稲 垣 なるべく離れて守ってくださいね。汗臭いんで。
平 松 うるさい。行くぞ!

     平松、強引に稲垣の手を掴んで退場しようとする。
     稲垣、堪らなく嬉しいが表現できない。

稲 垣 ちょっと、離してください!レイプする気ですか!
平 松 するわけないだろ!

     平松と稲垣、退場。
     全員、深刻な顔。
     高野と大黒だけ、表情が緩む。

高 野 やれやれ。本当、素直じゃないんだから、稲垣さんは。
大 黒 思ったよりも手間どったな。
高 野 まさか、平松係長が会社を辞めるなんて言い出すと思ってなかったので
    手こずりました。
大 黒 不測の事態に対応するのもトゥルーロマンスだぞ。
高 野 はい。勉強になりました。

     二人のやりとりに、全員、キョトンとなる。

山 根 何の話をしてるのよ? ボビーの誘拐は?
高 野 もう大丈夫です。
竹 内 何ですか、このドンデン返し的な空気は?

     山根、ハッと気づく。

山 根 まさか、あんたたち身内にトゥルーロマンスを仕掛けたの?
高 野 はい。試験なんで。
山 根 試験?
大 黒 リーダー適性試験だよ。
山 根 もしかして、さっき言ってた実技試験?
大 黒 そうだ。

     全員、あんぐりと口を開ける。

高 野 ターゲットは稲垣さんにさせてもらいました。ずっと片思いしていたので。
沢 田 誰に?
高 野 平松係長ですよ。バレバレでしたよね?

     全員、首を横に振る。

竹 内 いつもボロクソに罵ってるじゃないですか。
徳 永 私も稲垣さんは平松係長のこと大嫌いかと思ってました。
大 黒 稲垣は社内イチの天邪鬼だ。ああいう態度しか取れんのだよ。
荒 井 わかりにくいよ!
沢 田 平松係長も試験のことを知ってるんですか?

     大黒、首を横に振る。

大 黒 いいや。ある意味、今回はあいつもターゲットだ。ずっと独身で毎晩、晩飯は
    オリジン弁当か東京チカラめしだからな。
高 野 あの二人、お似合いですよね?

     大黒、嬉しそうに頷く。

大 黒 強烈な吊り橋効果の真っ最中だ。必ず、恋に落ちるさ。

     全員、まだ唖然としたまま。

山 根 て、ことは……房江さんは何者なの?
高 野 祖母です。

     全員、驚く。

徳 永 高野さんのお婆ちゃん?
高 野 そう。元気でしょ?孫の昇進のために人肌脱ぐって張り切っちゃって。
山 根 ボビーは?
高 野 彼氏です。

     全員、仰天する。

沢 田 バングラデシュ人の?
高 野 アメリカ人なんです。ただ、色が黒いだけで。
徳 永 だから、ボビー?
荒 井 アメリカ人があんなに美味いカレーを作れますか?
高 野 あのカレーは私が作ったの。
荒 井 ナンも?
高 野 焼いたわよ。
竹 内 高野さん、料理が得意ですもんね。ご馳走様でした。
高 野 どういたしまして。山根さん、手錠ありがとうございました。
    まさか本当に持ってるなんて、凄い偶然ですよね。
山 根 ほぼ、毎日持ち歩いてるから。仕事でね。

     山根、大黒と荒井をチラリと見る。
     大黒と荒井、動揺する。

大 黒 仕事でな。
荒 井 仕事ですよね。
大 黒 んんん?

     大黒、荒井を「やっぱり、お前もか?」と見る。
     全員、力が抜ける。

山 根 もーう、何よ、それー。
徳 永 信じられなーい。
荒 井 ありえないっすよ。

     全員、ぐったりとして椅子に座る。
     大黒と高野は立っている。

竹 内 まんまと騙されちゃいましたね。
沢 田 アメリカ人……。
大 黒 色々と勉強になったろ。これがトゥルーロマンスだ。

     大黒、時計を見たあと、メガネをかける。

大 黒 よしっ。仕事に戻るぞ。

     全員、だらけきった顔で返事。

全 員 はーい。

     ♪音楽。
     全員、メガネをかけて立ち上がり、ぶつくさと文句を言いながら退場。
     音楽が大きくなり、ゆっくりと暗転。
     終幕。

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