犬町(ウラジオ日記30)

プーシキン通りを進む。結構長い。でも知らない道は長く感じるものだ。戻るときにはいくらか短く感じるはず。時々バスが横を通り過ぎる。もしかしたら駅からバスに乗って出られたかもしれないと頭をよぎるが今更戻る気もしないので考えないことにする。ウラジオストクが街ならここは町だろう。少し田舎めいていて、家と家の間に隙間が広い。まっすぐ進むと大通りにぶつかる。そのあたりからは市街なのだろう。家の隙間が狭くなる。ガイドブックの地図に従い大通りを左に曲がる。

ガイドブックを持って出かけることを恥ずかしいと思っている。そんなの見て歩いていたらカモにされそうだし、あんまり知りすぎてもつまらない。でもウラジオストクの情報があまりに少ないものだから、思わず買ってしまった。結果的には結構見ているし、お世話になっている。

犬がついてくる。近づいてくるぼさぼさの犬は野犬というよりは野良犬だ。人なつこいそいつはとてもかわいい。頭をわしゃわしゃと撫でてやると、うれしそうに激しく尾を振る。かわいい。じゃあねと言って離れるとしばらくついてきてから、立ち止まって名残惜しそうにこっちを見ている。ただ餌が欲しいだけかもしれない。でもお腹が空いているのはこちらも同じだ。

その後も犬を何匹か見た。猫は見かけない。ウラジオストクは猫、ウスリースクは犬。犬派、猫派で住み分けていたりしたら面白い。

お腹も空いたし、手も洗いたいが、一向に飯屋が見当たらない。適当に歩いていたら、広い道に出る。とても雰囲気がいい。ヨーロッパだ。ウラジオストク以上にヨーロッパを感じる。その後見つけた食堂でゆっくり地図を見てみたら、そこは旧市街らしい。古い町並みが残っているのだ。ウスリースクはウラジオストクより歴史の古い町だ。旧市街として残されているのもあって、ある時代に迷い込んできたような錯覚を持つ。道が広いのも、馬車がすれ違うためかもしれない。空が広く、青い空にきれいな町並みが映える。今だとこの字は「ばえる」と読まれるのだろうか。ちなみに「ばえ」を探すのにもウラジオストクはおすすめだ。スポットだらけである。

ウスリースクにはやたらと小バエが多い。別にゴミが放置されているようでもないのに、気づくとシャツに何匹かくっ着いている。ここで行き倒れたら、すぐに分解されそうだ。かわいい野良犬ならいいが、虫にまで着いてこられたくはない。旧市街でも飯屋を見つけられずにまた彷徨っていると食堂を見つける。やっぱり食堂で当たりに出会えない。あまりおいしくなかった。運がないのだろうか。

その後も町を歩き回ったが、この食堂の他には二軒の寿司屋しか見つけられなかった。何でこんなに飯屋ないのに寿司屋だけあんのよ。興味が沸かなかったから入らなかったけれど、需要があるということなのだろうか。

荷物が重いからスーパーのロッカーに預けたい。スーパーの看板は見かけたが、肝心のスーパーに中々出会わない。またふらふら彷徨っていると、道の端で犬が倒れている。野良犬ではない。黒い首輪をつけた犬が、目を閉じている。身動きひとつしないから死んでいるのだと思う。飼い主はどこへ?見つかる方が悲しいか、見つからない方が悲しいか。トルコ渡り鳥という映画で愛犬が轢かれて死んでしまうのを思い出す。かなしい夜のシーンだった。今、日に曝されているこの犬も轢かれたのだろうか。案の定、小バエがたかってきていて、分解がはじまっている。

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