書を捨てよ、町へ出よう(ウラジオ日記34)
ガイドブックを見ると、地図の中で観光地は密集している。後は車で行くような遠いところ。もう見るところもないかとちょっとだけ旧市街に寄ってから、駅に戻る。電車があるかわからなかったけれど、もしなかったらタクシーに乗ろう。途中のかわいい野良犬はどこかに行ってしまって会えなかった、残念。
駅の時刻表はわかりにくい。ウラジオストク行きも、空港行きもないように見えた。駅員に聞いてみると、16:30に来ると言う。そんな時間に来る電車はどこにも載っていない。でも言うのだからあるのだろう。空港に行っても結構時間あるから、ウラジオストクに一旦戻ろうと思った。
電車まで二時間ほどあったので、線路の上の歩道橋を渡って駅の反対側に行ってみる。ガイドブックの地図の枠外。下りて小さな道を抜けると、市場がある。小さいけれど、さっき見た市場より生々しい。もっと生活に根ざした、少し暗い市場。その向こうには団地があって、間を大きな配管が駆け巡っている。
ウラジオストクでも、市街と反対の方に歩いたことがある。すぐに道の舗装がなくなって、歩くたびに土煙が舞うような坂をのぼると大通りに出る。それからしばらく進んでいたら、大きな建物が見えた。横に巨大な団地。窓が均一に並び、壁のような団地が幾棟も並んでいる。日本のような小さい島では感じられない規模の団地はテンションが上がる。こういう団地の中に風俗店も入っているらしい。ロシアでは合法ではないから、ひっそりと目立たないように。噂では床屋型の風俗というのがロシアには多いと聞く。髪を切ってから、ベッドに行くらしい。不思議だ。ウラジオストクで見かけたロシア人はそのほとんどが短髪だった。風俗通いの所為という人もいるのだろうか。
配管の横に公園があって子どもが遊んでいる。左に進んでいくと学校があって、大通りを渡るとバーがある。右に進んでいくと広場の中に機関車が置かれていて、それは昔走っていたSLらしい。スーパーもある。さっきよりもあっけなく、スーパーを見つける。大通りを渡ると、奥まったところに門みたいなのがあって、抜けると大きな公園がある。遊具は並んでいないけれど、綺麗な広場がそこに広がっている。小さな教会もある。とてもひっそりとした。
バッグの奥にしまったガイドブックを思い出す。金曜21時にジャズライブがあると書かれていたから行った、ウラジオストクのレストランには日本人しかいない。海外に来てまで日本語は聞きたくない。老舗のレストランの味は大したことない、値が張るだけ。いつになっても始まらないライブを気にしつつ、しかし問い合わせるでもなく雑談をする日本人たち。後輩の育て方について語る上司。そこにいない後輩を名指しで批判する。そうですねと大きな声で共感を示す部下。こんなとこまで来てする話か。かかっている曲を自慢げにこれはモーツァルトだねと語る青年。日本語だから耳に入りすぎる。みんなうわべの会話。ほんとうに話したいことなんて誰も話していない。だからガイドブックに従うとよくないのだと、さっさと店を出た。それを思い出す。
ガイドブックに載っていない場所は魅力的だ。旅する人は歩く。ぶらっと曲がった路地に知らない景色を見つける。それは航海士が海図に載っていない島を見つける時や、天文学者が星図に載っていない星を見つける時に似ている。地図も海図ももうすべて埋められていて、新しく見つかるものはない。衛星がすべて知っている。情報はあふれていて、知ろうと思えば何かを見つけられる。それでもふらふらと歩く足が知らない何かと出会わせたりする。フロンティアはまだいくらでもある。と大層なことを思う。人間はいつまでも無知なのだから。