もやを抜けると

 靄を抜けると、そこには沢山のガイジンさんがいました。幽霊のような人もいれば、妖怪のような人もいました。石も森も太陽も、そこには様々な人々がいました。目が二つとは限らず、口が一つとは限りません。男のような人も、女のような人も、子どものような人も、老人のような人もいました。陶然としてこの世界を見渡していると、近くで赤ちゃんの鳴き声がしました。右を見ると、そこにはまだ生まれたばかりの小さな赤ちゃんがいて、その赤ちゃんと私は目が合ったのです。あの澄んだ灰色の目から見る視界は、私の知っているものでした。それから、あの小さな身体から発される、あの大きな、人を引きつけてやまないあの鳴き声は、私がかつて発した声に違いないのです。

 私と赤ちゃんはやがて家族になりました。そしてやがて赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんになった私は、やがて四足で歩けるようになりました。そうして、前へ進むたびに見える世界は色を変えていきます。なんと不思議なことでしょう。何か私によく似た形をした黒色が、白い壁の上を歩いていくのです。それはどんどんと大きくなって、私は逃げようとするのですが、ぴったりと付いてきて、ますます大きくなります。ふと大きな黒色は見えなくなって、目の前の光る外に向かって私は歩き続けます。家のドアは大きく開かれていたからです。
 はじめは眩しくて何も見えなかったのですが、段々と世界が輪郭を帯びていきます。そこには沢山の土人がいました。ちびくろもいれば、巨人もいました。妖精も鬼も、犬も豚も、川も雨も虫けらも、そこには様々な人がいました。肌が肌色とは限らず、性器が一つとは限りません。男のような人も、女のような人も、子どものような人も、老人のような人もいました。陶然としてこの世界を見渡していると、近くで赤ちゃんの鳴き声がしました。左を見ると、そこには同じような年頃の赤ちゃんがいて、私と目が合ったのです。同じように四足で歩いていて、こちらを見ています。そこには私がいました。それは黒い瞳です。黒い瞳に私が映りこんでいたのです。黒い瞳からは大粒の涙(ほんとうに大粒の)が流れ出てきました。それは私の足を浸し、段々とかさを増していきました。流れ着いてきたピンク色の小さな山に登ると、そこから大きな赤ちゃんが見えました。どうやらこの小さな山は赤ちゃんのおしゃぶりのようなのです。その身体は私の何倍あるのでしょう。むずかしい計算はわかりません。とにかく大きな赤ちゃんが鳴いているのです。

 私と赤ちゃんはやがて家族になりました。そしてやがて赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんになった私は、やがてもぞもぞと移動を始めます。以前の私はとても小さかったから、世界が大きく見えましたが、今の私には世界はとても小さく見えました。一歩はとても大きく、怪獣のような人も、神のような人も、目に映らないくらいでした。それでさびしくなったのか、私は大きな声で鳴きました。誰かに気づいて欲しかったのでしょう。あまりに大きい私は、巨人のような人にも、塵のような人にも気づかれないくらいだったのです。地面や空気が気づかれないようにです。私が鳴くと、風が吹き、雨が降りました。地震が起こり、津波が起きました。悪魔のような人や、天使のような人、空のような人が津波に飲み込まれていきました。

 やがて大人になりました。そして赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんの上には様々な人がいました。たくさんのガイジンさんがいました。怪獣のような人もいれば、神のような人もいました。幽霊のような人もいれば、天使のような人もいました。石も森も太陽も、そこには様々な人々がいました。目が二つとは限らず、口が一つとは限りません。男のような人も、女のような人も、子どものような人も、老人のような人もいました。陶然としてこの世界を見渡していると、近くで赤ちゃんの鳴き声がしました。そこにはまだ生まれたばかりの小さな赤ちゃんがいて、その赤ちゃんと私は目が合ったのです。あの澄んだ灰色の目から見る視界は、私の知っているものでした。それから、あの小さな身体から発される、あの大きな、人を引きつけてやまないあの鳴き声は、私がかつて発した声に違いないのです。

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