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コーポレート人材?おかん?になるまでの話…会社に入ってから25年めまで 知財関係のこと

15年目から20年目までの間に起きた知財関係での経験が20年目以降の私を作るきっかけになりました。
不競法、侵害関係など国内外問わず、次から次に知財の事件が発生し、その担当は兼務とはいえ、知財担当の私の元にやってきます。
一番面白い事件としては、本社が販売する地域に関連会社の商品が販売されるので差し止めてほしい、商標権侵害で訴えろと言われたことでしょうか(笑)。
もちろん、身内を訴えるバカげた話はないですよと説明し、お引き取り願いましたが。
当時のメモ帳には侵害調査、侵害された相談、侵害をした相談、不使用取消、使用証拠集めのための図書館通いへの日程などがみっちり書き込まれていました。
当時、弁理士の先生と「侵害した話?された話?どっち??」とお互いに頭がごちゃごちゃになりながら打ち合わせしていたものです。

知財の事件は弁理士の先生にいろいろと相談しながら対処していましたが、
そもそも
・出願していれば
・調査していれば
・知識があれば
と、そもそもの対策ができていないことが当社の問題点だと気付いた・・・というと聞こえは良いですが、当時の私は事件が重なりすぎて疲弊してました。
日常業務で手がいっぱいのところに、知財事件は突発的にやってくるんですから、そりゃしんどい(笑)
ラクに仕事をしたいという思いが私を動かしました。
私に足りないものは知識と情報と経験というのはわかりきっていたので
まずは知識づくりということで、知財検定の3級、2級を取得。
身内が身内を訴えることになる原因をさぐるべく商標関係の1級も受験しましたが、英語が弱くて不合格が続き・・・ちょっと休憩をしてます。

情報収集は会員になっていた団体での無料勉強会があり、無料はとにかく参加し、懇親会には絶対参加しで、他社の情報を集めることに一生懸命になっていました。
井の中の蛙と気づいた以上、本じゃない、実践部分での情報を教えてもらうためなりふりかまわず無料セミナーに参加してました。

この頃悩まされていたのは、会社のハウスマークの商標権関係。
特に海外の子会社での使用状況が自由すぎて・・・。使用実績に足るべき証拠にならないのが現状でした。
出願しても拒絶されるし、提出した使用証拠は認められなかったり、使用証拠そのものがなかったり、でも登録しなければならないということもあり、
海外商標関係の無料勉強会やセミナー後に懇親会がある場合は自腹を切ってでも参加していました。
自分だけが知っていては意味がないことも、身内が身内を訴えることで学びましたので、知財に対しては簡単な興味をひいてもらうレベルから会社全体への発信とマネージャークラスへの発信を行うようにしました。

何か話題があれば、それにかこつけて、関連した社内情報とともに記事を書く・・・そうすることで社内で「商標」「特許」を意識する社員も増え、相談や調査依頼が増えてくるようになりました。予定では仕事を減らすための勉強でしたが、減るどころか増える一方・・・おかしい・・・けど、「・・・していれば」という場面は減ったように思います。

過去の事件で、弁理士さんも弁護士さんも、こちらの背景事情と望む「あるべき姿」を最初に伝えることが大事と学びましたので、背景の資料づくりと「あるべき姿」の聞き取りは丁寧に行っています。
最初の資料でほぼ方向性が決めて、無駄な出費もなく、解決まで早くできるようになったのは、過去の事件のおかげです。

商標に関しては悩みが付きないので、特許庁の外郭団体に相談に行き、ブランド管理というものを教えてもらって、更に新たにとしてハウスマークのマニュアル作成のプロジェクトを、役員さんをけしかけて立ち上げさせました。マニュアルづくりはこのあとのnoteで書きたいと思います。

知識や情報を集めましたが、経営と知財を結びつけることができる立場にいないこともありますが、戦略として落とし込めていないので、そこが自分としては力不足のところです。

契約関係は、NDA関係の契約書の確認だけだったのが、自社のホームぺージの知財チェックをすることになりました。そこで新たな世界、広告審査という世界を後々に開くことになります。

このころに係長になり、ちょっとだけ社内で動きやすくはなってきました。

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