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胡乱ナ者



「写真なんかいったいなんの役に立つってんだッ!!!」



ぼくは毒づく。

ぼくは奇妙な幻想小説が好きだ。
けれど、幻想をもたらす写真の奇妙さが嫌いだ。

病気なんですか!?
更年期障害かなんなのか知らないけれど、この得体の知れない「不安」にはもううんざりだ。

ぼくが昔居座った、「ハイデガーおじさんの小難しい世界観を垣間見る会」を思い出す。
ぼくはその本を読んだことがない、ってな完全に場違いなぼくの発言がみんなの視線を独り占めしたってもんさ。

けれど、ぼくのブヨった脳髄にこだまする「不安」。
この「不安」の正体はなんだろう?
ぼくがダスマンだからなの?


ぼくはどうしようもなく肝っ玉の小さなチンケなサルだ。
そうして「闇」にビビる人間ってやつは正体不明なものの正体を突き止めたがるもんだから、この「不安」の正体は「彼」だと決めつけた。
「彼」はぼくの神さまで、ものすごく注意深く扱う必要のある「壊れ者」だった。

その昔、「不安」はいつも「彼」に関するところから吹き出てきては、感染するかのように思えた。
彼が落ち着かないと、ぼくも落ち着かなかった。
彼が不安そうだと、ぼくも不安になった。
そう、彼は昼も夜も何かに怯えていたから。

そんな彼との不安漂う甘い日々は消え失せ、今や不安なんか微塵もないであろう見通しの良い(暇)世界となった。

ところがどうだ?

「不安」の野郎は今もここにいやがる。
ぼくにはわかる、こいつは「死」だ。
見通しが良い(暇)からこそ、こいつが目につくってもんだ。


ダラダラ無駄に長いこと生きたうえに、浅ましくも蜘蛛の糸につかまるぼくは、飽くことなく「不安」を抱え込んでいる。

なんだってこんなにも「不安」になるのか?

自分が感じることが自分で解らないというこの阿呆らしさ。

例の漢方をがぶ飲みしてみる。

怯えた理由はいくつか思い当たるね、「雪が積もった」とか、「転職を目論んだ」とか、そうよ、チンケなサルはこんなちっちゃいことでもビビっちゃうのよ。

それにね、「やっぱり彼がいなかった」ってね。


彼が、いなかったんだよ。


ハイテク現代社会において、個人が所有する写真の数は増すばかり。
こんなになんでも写真に撮ったって、見やしないじゃないか?
けれど、恐ろしや、写真ってやつははいちど撮ったが最後、捨てられやしない、奴らは増殖する、まるでとどまるところを知らないウイルスみたいに、ドンドンドンドンドンドンドンドン。。。

この写真という名の「ウイルス」は人を全くダメにする。
人を過去という「幻想」に取り込んで離さない。
麻薬のようなもんだ、一度味わったらやめられない。
そうして、膨大な「甘い過去」に窒息することになる。

そう、そいつらはいつだって「甘い」のよ、わざわざ「苦さ」を写真に撮る余裕と勇気のある人なんているかい?
そう、これが奇妙なところだ。
写真は「真実」を語るようで、こうして「部分」しか見せないことで「真実」を隠蔽している。
気味の悪い事にこの「ウイルス」は「幸福」しか見せない。


容量が満タンだってさ。
そう、容量が満タンになると、写真を整理せざるをえない。
そうして、「過去世界へのイケナイ旅」が始まるってもんよ。
見てごらん、このマヌケなサルを。
一日中、地蔵のように座り込んで泣いてやがる。
これがどれほど滑稽かわかるかい?

ぼくは以前から「思い出」という胡散臭いものを毛嫌いしていた。
奴らは「客引き」みたいに甘い言葉で巧みに手招きしやがる。
こっちゃ〜こ〜い、あ〜まいぞ〜、ってね。
その手にゃ乗らねーさ。
ぼくは「思い出」のくだらなさを熟知してるんでね!
過去の自分になんかもはや興味ねーんだ、やつはもういないんだから。

そう思ってた。



ああ、神さま、ぼくの愛しい神さま。
この甘ったるい世界は君で満タンだ。
ぼくはすっかり老いてしまった。
「思い出」に溺れるのは「老い」の証拠だ。
心が老化しているんだ。
ぼくは何千枚もの君にすっかり溺れちまったよ。


幻想世界の中で、君は美しく生きている。
幻想世界の中で、君は愉しそうにぼくを見ている。


けれど写真の世界は、まやかしだ。
触れることも、嗅ぐことも、味わうこともできない。

ここに、この現実に、「不安」を感じるのは、ここは幻想ではないから。
幻想世界のピンク色の桃源郷とは違い、ここは灰色で安全じゃない世界だから。
ここにはつねに「死」が臭う。

「死」の臭いが、「不安」を生んでる。

チンケなサルは今日も死に怯えている。
神さま、君も死に怯えたかい?
不安だったかい?


彼は今、完全に安全な世界にいる。