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美シイ者




「好きな人にもっと好きって言ってもらいたい!」



乙女は興奮気味に言ったさ。
なるほど、それが乙女心ってやつなのだね。
まあ誰もぼくには要望しないさ。
しかしながらぼくにはその「好きな人」ってのがよくわからない。
人が好きじゃないのだ。


先日、「恋というのは一種の性欲じゃないかね?」
と言って皆を固まらせてしまったことが反省させられる。
ぼくにはわからない、人間の男女間のこの崇拝にも似た「恋」と言うもの正体が。
誰でも「恋」をするのだろう、けれども、それはぼくが在る上でなんの役にも立ちそうになかった。
ぼくは昔も今も子孫繁栄を望んでいないから繁殖活動は無駄なのだ。

そもそも性欲というものは、人間様においてはひどく歪められてしまい、もはやその目的は「繁殖」ではないことが多い、そう、目的は「快楽」なのだ。
「快楽」を「愛」や「恋」と呼び、何か神聖なもののように崇めることの違和感がいつからぼくに宿ったのか定かではないけど。

世間には「愛」だとか「恋」だとかがキラッキラに溢れている。
この二つは似ているようでまるで違うのだと思う。
脳内麻薬でもって「快」を感じることは同じなれど。
「恋」と言うのはトキメキという「欲」なのかもしれない、素敵なあの人に私を見てほしい、私に触れてほしい、私を受け入れてほしい、私のものにしたい、「私」「私」なのだ。
この「好きで好きでたまらない」の興奮状態の時、快楽物質が脳内にジャブジャブでジャンキー状態となるだろう、ゆえにトキメキはクセになるのだ。

「恋できないひとは友達止まり、結婚はできない」

乙女たちはそう言って瞬きする。

「繁殖」を目的とするのなら、これは正当といえる。
「性欲」を掻き立てられない者とつがいになるのは憚られるだろう。
けれど、友達にもなれないような者とこの先ずっと共に暮らせるのかい?
「死がふたりを分つまで」


「おまえのタイプってどんなひと?」

タイプ?
皆はこれにどう答えるろう?
目が大きいとか細いとか、背が高いとか痩せてるとか、年上だとか年下だとか、ギャルだとかキャワユイ系だとか?

見た目がそんなに重要なのだろうか?
そう、見た目で繁殖に重要なことがわかる。
キレイな肌や髪は若く健康、くびれた腰はまだ子を宿してません、だ。

けれど見た目だけを好きになった者と「長すぎる人生の辛さ」をも共にできるのか?
人間様においての見た目というのは大いに「詐欺的要素」を含んでいるとぼくは疑っている。「モテるために(交尾のため)」そうしてることがあるからだ。そのために飾り、振る舞う場合、目的が変わった時にどう変化するのかが怖い。
恋する女はキレイに見える、メス的ホルモンが脳内に撒かれ、メス的フェロモンを周囲に放出しオスを誘う。けれど、オスを手に入れてしまったらどう変わるだろう?
もはやキラッキラじゃなくなった相手とそれでも一緒にいたいと思うのはなんだろう?
ぼくは、この「暇だらけの長すぎる人生」において、「共に」喜んだり苦しんだりできる者がいい。ブスだってふたりで笑い合えるならいいじゃないか。


ぼくは誰よりも「美しい者」が好きなのかもしれない。
ぼくがあの美しいケモノの虜になって何年経つのだろう。
ぼくはぞっこんだった。
彼らのことをもっと知りたくてたくさんの本を読んだ。
彼らに近づきたかった、ぼくが彼らではなくニンゲンであることが残念でならなかった。

そしてある日、ぼくはポウくんに出会った。
その時のポウくんは思春期の男の子らしく、ヒョロリと情けなくおどおどしていた。けれど、彼の両親を見たぼくは彼が「美しい者」であることを確信してた。

彼は「美しい者」だった。
視覚的なニンゲンらしくぼくは彼の美しさに「恋」した。
でもね、「恋」だけでは共には暮らせないことを骨の髄まで知ることになる。

彼は「美しい者」だった。
ニンゲンとは別の環世界に生きるこの美しく賢い生き物がニンゲンというせこい生物と暮らすのにどれだけ無理があるだろう。
人間様にとって価値あるものは彼にとってなんの価値もないことが多すぎるのだ。
キレイな服、キレイな靴、キレイな家、キレイな部屋、キレイな庭、キレイな家具。これら全て彼らにとっては遊びやストレス解消の「破壊対象」でしかない、「キレイ」に価値はないのだ。
彼と共に暮らすことに「オシャレ(ニンゲンにモテるための法)」などなんの意味があるだろう?
彼はぼくがブサイクだろうが、風呂に入っていまいが、服に穴が空いていようが、歯にクソがついてようが、靴から親指がはみ出してようが、屁をここうがまるで意に介さないのだ。
むしろ汗臭く鹿肉の臭いを漂わせ土にまみれた方が好かれるくらいだ。

「あなたにとって大切な人はどういう存在ですか?」

そう問われた時、ポウくんを思った。
彼はぼくのなんだろう?
ぼくは彼を守ってやりたいと思ったし、彼が愛おしくて仕方なかった、彼を思うとトキメイたし、ぼくのことを好いて欲しかったし、彼を自分だけのものにしたかった。
そんな彼はぼくの何者だったろう?

ペット?子供?恋人?友人?

「ペット」という意味はよくわからないけど、「ペット」と慰み者とするにはあまりにも入れ込みすぎた。しかしながら、人間を第一に考える世間からすれば悲しいかな所詮「ペット(物)」なのだね。

ぼくにとって彼ほど心を捧げる対象はもうない。
ニンゲンなど、所詮代わりはいくらでもいる(なんせ8,000,000,000人もいるのだ、あの美しいマウンテンゴリラなんてたった1,000頭ほどしかいないのにね)、と思ってしまう。

ぼくはポウくんに「恋」していた。
美しく、儚く、幼気な彼に。
けれど、その時の彼にはなんの表情もなく、ぼくを見ることもなかった。
ぼくは彼のお世話をする自分に酔っていただけなんだろう。

「恋」というのは、身勝手で感情的だ。
勝手に好いて、勝手に盛り上がっている。
相手の反応や相手がどう思うかを考える余裕があまりないように思う。
どうだろう?違うのだろうか?

「愛」というと、何やらグッと重みが増したように感ずるのは脳内麻薬の種類が違うからかい?
「愛」というものは人間様以外の動物にも見られるように思う。
オオカミたちが群れにおいて互いを見やるときの顔がいつも頭に浮かぶ。
相手を慮る気持ち、相手を敬う気持ち、相手を尊重する気持ち、相手と共に在ることが何よりも嬉しいといったものをぼくは愛だと感じた。
性欲もほんとうに子どもが欲しいと望むならそれは「愛」なのだろう。
すると、「恋」と呼ばれるものの興奮は彼らの「狩」に似ているように思う。

幼稚な中年だったぼくはポウくんに対してどうだったろう。
ポウくんと出会った時からの日記を読むと、非常に自分勝手に理想を押し付けているような気がした、彼のことを知りもしないくせにだ。
彼を「育てる」ことと、彼を「自分の都合の良いように変える」ことを混同しているように思う。
彼のことを好いているようで、そんな自分が好きなような気がして恥ずかしくなる。
そんなぼくの自分勝手な行動を彼がどう思ったのかわからないけど、かわいそうに彼は里親を選べなかったし、他に行く場所がなかった。

恋する気持ちはどのように素敵なのだろうか?
自分がひとりで楽しめるところだろうか?
ときめいたり、苦しんだり、独りよがりな自分に酔うのがたまらないのか?

ぼくがポウくんを「愛」したのは彼がぼくと遊び始めてからかもしれない。
彼はぼくという存在を認め、身体も感情もぶつけてきた。
甘えてくることもあれば、怒ることもあった。
感情のぶつけ合いが生まれた。
もちろん感情というのは良いものばかりじゃない、嫌なこともすごく多い。
何度も「ポウくんなんかいなくなればいいのに!」って言ったりもした。
けれど、彼の姿が見えない今、ぼくは何か重要な、ぼくの唯一の何かがなくなってしまった。
彼と感情の交換ができなくなったことの喪失感がぼくを圧倒的に「暇」にした。


ポウくんはぼくという浅はかなニンゲンを彼らの側に導いてくれた。
ぼくが在るのに彼が必要だった。
ぼくはぼく自身やぼくの持ち物が土やウンコにまみれたり噛みちぎられても、庭が塹壕だらけになっても、床や壁が爪痕だらけになっても憤慨したりしないし、それで彼を嫌になることなんてもちろんなかった。
そんなことは全く大したことじゃないんだ、彼がそばにいてくれさえすれば。


ぼくは考えてしまうのだ、誰かを「好き」という時、それは何を「欲して」いるのかを。

ぼくには「親友」であり「教師」たる者が必要だ、性欲や承認欲の対象である「恋人」ではなくだ。
親友や先生は見た目だけで選べやしない。

「美しさ」とはなんだろう?

生物として優れた者。
自分の目で世界を見やる者。
そんな無垢な強さを、強くも儚い者を「美しい」とぼくは思った。
カエルもイモリもヤモリもガもカマキリもタカもゴリラもオオカミも。
そしてポウくんも。

誰かを好きになるというのは、生き物にとって悲しいことだ。
互いの感情が行き来すればするほど、それは太くなってしまう。
そんな動脈のようなものをとつぜん分断されてしまっては命に関わる。

君に「恋」だけしていれば、こんなことにはならなかったのだ。
自分勝手に君を振り回して自己満足だけしていれば繋がりが太くなることもなかったのだ。
君がぼくを君の世界に入れてくれたがゆえ、ぼくは今、君のいない空虚な世界で血をダラダラ垂らし続けるのだ。

君はぼくに「スキスキ!!!」なんて言わなかった。
ぼくは寂しいなあ、と思ったものさ。
けれど、君はぼくを見ていた。
君に近づくぼくを見て、君はお腹を出しながらコイコイってどでかいお手手で招くんだ、そんな君がたまらなく愛しいんだよ。
ぼくを見てくれてありがとう。
ぼくに触ってもらいたいと思ってくれてありがとう。
ぼくのくだらない号令をきいてくれてありがとう。
ぼくに鼻面を押し付けてくれてありがとう。


ぼくはもっと君に好かれるニンゲンになりたいよ。