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物語 やさしさの森

黒い黒い森でした。


樹が多すぎて、昼でもお日さまの日がとどかない、まっくらな森の中心でした。
ひんやりと冷たい土の上、ひっそりと小さな家がありました。


家には男の子が一人きりで住んでいました。小さなベッドでいつも寝ていました。男の子は病気なのです。
胸の病気はいつまでも男の子を苦しめて、家に閉じ込めて、人との関わりを遮りました。
男の子はもう何年も人に会っていません。家族からも見放され、ひとりぼっち、黒い森の中心です。

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男の子には友だちがいませんでした。たった一人で朝起きて、ご飯を食べて、薬を飲んで、夜寝ます。いつも一人きりなので友だちなどできようもありませんでした。
けれど生まれつきか、素直で優しい子でしたので、寂しさの中でもそっと健気な気持を忘れはしなかったのです。


それは人を好きになりたい気持。


男の子は人を好きになりたいのです。けれど人に会うことのない男の子は、気持をいつも宙ぶらりんにしているだけでした。
もしいま誰かがきて、お見舞いにきてくれたら、どんなにか嬉しいでしょうね。
いたわりの声をかけてくれて、きれいな花をもってきてくれたら、それはどんなに男の子を幸せにしてくれることでしょう。


男の子はいつもそんなことを考えて、きっといつかぼくにもすてきな友だちができるのだろう、すばらしい友だちをつくるんだ、と空想していました。


「そしてぼくはその子をすごく好きになるんだ。いつもいっしょにいられるような、いるだけでなにもかも楽しく感じられるような、たくさんの好きをその子と見つけるんだ」


男の子は人を好きになりたいがあまり、空想の友だちを何人もつくりました。
やわらかな髪の子や、元気で明るい子、けらけらとよく笑う子、ふちょっちょで力持ちの子、ものしずかだけれどいつもにこにこの子。


空想の子らと男の子は遊びます。ねえ、今日はなにをして遊ぼうか? かくれんぼ? 手つなぎ鬼? 雨がふってきたね、ばんごはんはシチューにしようか、それともみんなで鍋をつっつこうか。


空想の子らはみんな親切で優しいのですが、一人きりの家は静けさが強すぎるので、いつも全てかき消されてしまいます。
そんなとき男の子は布団を頭までかぶります。ひとりぼっちの家に気づかないように、寂しさが痛くないように、布団をかぶって目の前を真っ黒にさせます。泣けない気持をなぐさめるように、自分で自分の頭をなでなでするように、布団にくるまるのです。


「ああ、友だちが欲しいな。人を好きになりたいな」


黒い森に訪問客がやってきました。
草に潰された道をかき分け、暗闇を乗り越え、小さな家までたどり着きました。


ドアをノックする音に男の子はびっくりしました。だってそんなこと、この家ではありえなかったのです。生まれてから8年間、聞いたことのない音だったのです。


「どなたですか?」
「開けてください。わたしはあなたの友だちです」
「え、ぼくの友だちだって?!」

ドアを開けるとそこには、男の人がいました。年のころはだいぶ離れている青年が、優しげな瞳でおじぎをしました。


「はじめまして、わたしの友だち。お見舞いにきました。病気だと聞いて、心配のあまり黒い森をかき分けやってきたのです」


青年は驚いている男の子にお見舞いの花束を見せました。

「これは途中で摘んだ花です。あなたの病気は胸の病気だと聞いて、匂いのきつくない、花粉の少ない花を選んだのです。気に入ってくれるといいのですが」
「すごくきれいだ。ありがとう、ぼくのために摘んできてくれたんだね!」

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男の子は友だちを家に招待しました。招き入れて、椅子をだしてやり、コーヒーのためにお湯を沸かしながら、

(やった、ぼくに友だちができた! やった!)

と喜びました。


「ここまでくるのに、だいぶかかったでしょう? 寒くない? 今、お風呂用意するね」
「だいじょうぶですよ、あなたの入れてくれたコーヒーで、体の芯まで温まりました。それより、病気なのですから寝ていなさい」
「でもぼく、きみになにかしてやりたいんだ。ちょっとまっててよ、お風呂入れてくるから」「いいから寝ていなさい。それがわたしにとってなによりですよ」


それでもお風呂を用意しようとする男の子を抱え、友だちはベッドに寝かしつけました。男の子は少し咳をしました。ちょっとはしゃぎすぎたようです。



友だちはベッドの横に椅子とテーブルをもってきて、その上に料理を並べました。男の子がベッドに寝たままでも食べられるように、です。七面鳥を焼いたのと、きれいなケーキがありました。白いケーキに赤のイチゴがおみごとです。


「うわあ、すごいね! ごちそうだ」
「今日はクリスマスですからね。特別に用意してきたのです」
「そっか。今日はクリスマスなんだ」

黒い森は季節からとり残されてしまっているので、そんなことすっかり忘れていました。本当は男の子は、クリスマスとはどういう日かすら忘れてしまっていたのです。まるで古い伝説のように、知ってはいるのだけれど、それが何なのか、どういう意味なのかまでは分からないのです。


「クリスマスって何の日だっけ? 確か誰かがプレゼントをくれる日だよね。えーと、誰だったっけな」
「サンタクロース」
「そう、サンタクロース。赤い服のおじいさんがプレゼントくれるんだった」
「世界中の子どもたちの寝顔に、そっとプレゼントを届ける日。それがクリスマスのサンタクロースです」
「そっか。それじゃあきみはサンタさんのプレゼントかもしれないね。だってぼくが一番欲しかったのは友だちだから」
「違いますよ。サンタクロースはただの伝説。本当は親が子にプレゼントをやっているのです」
「それじゃあ親なしのぼくには誰もプレゼントくれないね」
「…」


友だちは七面鳥を切り分け、皿に盛り付けました。男の子はそれをおいしくいただいて、

「本当はサンタさんはいるのかもしれない」

と呟きました。


「だって今日君がきてくれたからね。友だちができたんだ。だからこれってサンタさんのプレゼントだよ」
「そうかもしれませんね」
「きっとそうだよ。サンタクロースは作り話だけれど、みんなが信じているうちに、本当の物語になったんじゃないかなあ。君に会えて、そんな気になってきたよ」
「それは人の想いの力です。人の想いがいつしか形付けられる、そんなことは本当にあるのです。作り話とかそうじゃないとかに関わらず、信じていたいことは信じていいのですね。だからサンタクロースなど本当はいない、と誰もが分かっていても、皆がクリスマスにサンタクロースを夢見るのでしょう。あなたはそんなことをいっているのですね」
「わかっているね、さすがはぼくの友だち!」

ごちそうをたくさん食べて、ふたりはしばし暖炉のはぜる優しい音を聞き入っていました。


「ねえ、ぼくさ、願い事があるんだ。お願い聞いてくれるかな?」
「いいですよ。なんなりとどうぞ」

男の子ははにかんで、恥ずかしがり、照れながら笑いました。

「あのね、ぼく、ずうっと一人でいたの。この森の奥の一軒家で一人で暮らしてたんだ。だから人に会ったことがなくて、友だちもいなくて、それで、人を好きになったことないんだ。ずうっとね、人を好きになれたらいいなあ、そしたらどんなに嬉しいだろうなあって思っていたんだ。だって人は人を好きになりたいものだからね! だけどぼく、人を好きになることができなくて、いつも好きになりたかったの。それで、お願いっていうのはね…」
「はい」
「君のこと好きになってもいいかな?」
「もちろんですよ! わたしだってあなたのことが好きになりたいのです。友だちなのですから当然ですよ、わたしたちは好き合いましょう!」
「ありがとう!」

こうして男の子は友だちのことを好きになりました。するとどうでしょう、人を好きになることの喜びがじんわりと広がって、たまらなく嬉しくなってきました。

「やった、やったね」

いつのまにか男の子は泣いていました。喜びの涙です。嬉しくて泣くというのは変なことですが、確かに男の子は嬉しすぎて泣いているのでした。今まで人を好きになることができなかった男の子は、初めて人を好きになって、どんなにか嬉しかったことでしょう。あまりに嬉しくて泣く男の子に、友だちも少し涙がうつって、お互いに「今日はなんと素晴らしい日なのだろう!」とクリスマスに感謝しました。

「あのね、もう一つお願いいいかな?」
「どうぞ」
「さわってもいいかい?」

なあんだ、そんなこと! 友だちは優しく頷きました。男の子は顔を真っ赤にさせ、嬉しそうに、恥ずかしそうに手を伸ばしました。始めて人を好きになったばかりの男の子は臆病で、そっと服の袖をつかむのが精一杯でした。そんな照れ屋を友だちはわかってやり、小さな手をゆっくり握ってやったのです。

「ああ、友だちだ。ぼくに友だちができた」

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広い手から伝わる体温が、しあわせをとくとくと汲みださせます。ふたりは気づきません。黒の森がいまや鮮やかに、美しい緑で飾られたことに。森の中心は夜の明かりに浮び、静かに優しく見守られています。夜空は広がる黒に銀の輝きが、そこから祝福のように小雪が降ってきました。

世界はクリスマスです。人の想いが形になる、優しさがより優しく表れだす冬の話。この日に男の子は始めて人を好きになって、そんな想いは、静かに世界を包んだことでしょう。世界のあちこちでそんな優しさが形作られ、心に愛を、口には微笑みをもたらすのです。人を想うという素晴らしいかたちをこの夜に。

年の暮れのこの夜に、世界は優しさでいっぱいです。


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