おや趣味、よい夢を。
趣味に興じている最中に死にたい。
これは僕の強い願望である。
ほんの少し前まで、僕の趣味なんてたかが知れていた。
誰よりも非凡や異端を望んだはずの僕が、いつの間にか絵に描いたような普通になっていて心底がっかりした。こんなテンプレモブ人間の人生にはテコ入れをすべきである。
明日死ぬかもしれない僕らだ。
なるだけ後悔はしたくない。
僕は今、最期を飾るに相応しい趣味探しの旅をしている。とは言え、最近は趣味の幅を広げることが生きがいになってきているので、生きるも死ぬもスタンスはほぼ同じだな、と気づき始めてもいる。
閑話休題。
傍から見た僕は、深夜アニメを観ていそうであり、ネット掲示板に悪口を書き込んでいそうであり、爆弾を作っていそう、らしい。
とりあえず上記の偏見を述べた人々とは法廷で争うとして、要約すると僕のイメージはインドアであることがわかる。
僕は一刻も早くその生ぬるい期待を裏切りたくなった。
キャニオニングをした。キャンプを始めた。競馬で夢を見た。釣りに出かけた。隙あらば旅行をした。深夜にクラブにも行った。
僕は遊園地よりも逆張りの方が楽しいと感じる人種だ。覚えておいてほしい。
そして、去年から登山を始めた。
最初は「登山靴買っちゃったし、使わなきゃ損だよな…」という使命感に駆られる部分もあったが、いざ登り始めると足が進む進む。歩くだけでなんでこんなに楽しいんだろう。山頂で食べるおにぎりも、帰りに汗を流すために寄った温泉も元々の趣味である旅行に通ずるものがあった。
ああ、なんだ。趣味は全部繋がっていくのだ。新しい土地に趣味という家を建てるのではなく、現状の家を増築していく感覚が正しいのだ。(趣味というベン図を輪飾りみたいに連ねてA∧B、B∧C…と広げていく感じ)
次に、新しい友達が欲しくなった。なぜなら既存の友達とは歴が長すぎて、正直何をしても楽しいからである。そこにスリルと新鮮味がない。
実家のような安心感より、一人暮らしのような不安感が欲しい。
そもそもそんな友達がいるなんて幸せなことで、感謝すべきなのは百も承知なんだけれど、デメリットもある。知識が偏り、笑いのツボがずれて、流行を追わなくなる。
どう考えても生き恥である。
中高一貫校だった上に、同じ大学に入って同じメンツで連れションをするなんて人として停滞だ、と受験を選んだ高3の僕が見たら悲しむだろう。
だから僕は思い立った。
カフェで働いている知り合いがいる。
そいつはカフェを繁盛させるために、毎週ランダムに知り合いを集めては飲み会を開くという下賤な行為を繰り返していた。すべては売上貢献のため。こわい。マネーバキュームちゃんだ。
これだけ聞くと合コンと勘違いされそうだが、この飲み会には所謂ワンチャンの発想がない。色事は二の次で、みんな純粋に誰かと話がしたくて集まっている。言わば寂しい奴らの寄り合い所だ。僕は宗教が絡んでいないことを再三確認してから、たまにここへ顔を出すことにした。
ただ残念なことに、ここは大して居心地が良くない。全員土の中で生きてきたのか?と疑うくらい陰気だ。
どうしてこんなに話が弾まないのか。
どうして誰も羽目を外さないのか。
もしかしてこのカフェのNPCか?
ってなわけで二時間程度の飲み会で意気投合する人はなかなか現れないのであった。形だけ盛り上がって、グループラインは「ありがとうございました~また飲みましょ~」で終わる。二度と連絡は取らない。
きっと大人になればなるほど、友達の条件が厳しくなるのではないか。プライドとかこだわりとかその類の、生きてきた分だけつく心の贅肉が邪魔をする。
そこで僕は考えを改めた。友達が欲しいというのは高望みだった。これはゲームである。与えられた二時間でどれだけその場を盛り上げられるか、飲み会代3,000円分お喋りができるかどうかを試すゲーム。見方を変えるとどうだ、なんだか楽しくなってきたじゃないか。
しかし、ここでまた一つ障壁にぶつかる。
僕みたいな実況者・配信者は「自分は会話が得意だ」と勘違いしがちだ。残念ながら、僕らは独り言が多いだけのちょっと変な奴に過ぎない。ご多分に漏れず僕もそのタイプだったので最初は現実とのギャップに打ちひしがれた。多くの一般人が無意識にできていることが、全く身についていなかったのだ。
『自己紹介から話題を探す』とか
『相槌だけじゃなく時に短めにレシーブをする』とか
『質問Aをしてきた人には質問Aをお返しする』
…みたいな暗黙のルールにいちいち骨を折った。全てわざわざ書くまでもない基本の『き』だけど。
幾度かの複雑骨折を経て、最近は少しだけ人間に近づけたと思っている。
散歩をするのが趣味の人。
ゾンビ映画だけが好きな人。
SUUMOで間取りを調べるのが生きがいの人。
どんなに自分とかけ離れた話でもよくよく聞けば結構興味深かったりする。心の中に『なんやねんそれ』が生まれる。
続いて、自分のターンではできるだけ具体例を挙げながら話した。その方が真実味がある気がしたからだ。でも一気に喋るとただのニコ生になってしまうので、さりげなく小出しにしていく。しゃらくさく言えばインプットとアウトプットのピストンである。うるせえ~。
つまり何が言いたいかと言うと、会話さえも趣味にしてしまえば、こっちのもんなのであった。よかった、これで高確率で趣味で死ねるぞ。
来るべき日の為に、真剣に趣味で生きている。
ドアツードアで3年くらいかかったけど、そこそこ上手にアウトドアに擬態できたんじゃなかろうか。
僕が趣味で死ぬ時、一体何をしているのだろう。
死ぬほど楽しみだ、おや趣味。
2023年3月23日 自室にて、さけチー食べたい、春。
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