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読書モードが制御不能

10年以上前に一年間だけ働いていた会社の飲み会の席で、ほろ酔い気分の支社長が突然「俺は面接でお茶に手をつけた人は絶対に採用しないと決めている。」と言うので「なんだ、その暴君ぶりは!」と驚いた。面接を受けた際にお茶を出されたことは覚えているけれど、手をつけたかどうかまでは覚えていない。面接官のひとりがこの支社長で、採用されてそこにそうして座っていたということはわたしは出されたお茶に手をつけなかったのだろう。面接でお茶を出されることが珍しいなとは思ったけれど、まさかトラップだったとは。理由も聞いたような気がするけれど覚えていない。とても解せない非常にくだらない理由だったと思う。

面接に限らず訪問先でお茶を出された場合、手をつけるともつけないとも決めてはいない。「どうぞ」と促されたタイミングで手をつけることもあるし、終始手をつけるタイミングがないままその場を後にすることもある。来客にお茶を出す立場となると、出したお茶が手つかずのまま残されているよりは飲み干されているほうが嬉しい気もするけれど、そのあたりは人それぞれなので、どちらにしてもあまり気にしないことにしている。

お茶出し係として、グラスや湯呑みでお茶を出すのと、ペットボトルのお茶を出すのと、どちらがいいかと聞かれたら、ペットボトルに決まっている。

「お茶、どうぞ。」の195mlのペットボトルの気負わないデザインとかわいらしいサイズ感が好きだ。夏は冷やして、冬は常温で。グラスや湯呑みでお茶を出すのに比べるとコストは上がるけれど、下げた器を洗う手間暇や異物混入のリスクなどを考慮すると、圧倒的に「お茶、どうぞ。」の195mlに分がある。他人の手料理が食べられないという人がいるように、他人が淹れたお茶が飲めないという人がいるかもしれないし。長時間に及ぶことが予想される会議などに際しては、195mlでは足るはずもないのでもちろん大きめサイズのペットボトルを準備するし、途中でコーヒーを提供することも厭わないので、どうか普段のお茶出しは「お茶、どうぞ。」の195mlでやらせてください、というのがお茶出し係の偽らざる本音である。

話が脱線してしまったけれど、面接で不採用になった理由など考えても仕方がないということである。「出されたお茶に手をつけたら即不採用」という偏ったマイルールを持つ面接官がいるくらいなのだ、逆に「出されたお茶にいっさい手をつけなかったから不採用」という面接官もいるかもしれないし、「なんとなく影があった。前の会社で男性関係でもめて今回地元から出てきたんじゃないかしら。この歳で地元を離れるなんて普通じゃないわ。こういう子はトラブルを起こしやすいからやめておきましょう。」なんていうまったく勝手なたくましすぎる妄想で不採用を決める女社長もいたりするのだから(恐ろしいことに実話なのです)。お祈りメールが届いたら、不採用になった理由を考えたりしていないで、この会社とは縁がなかったんだ、次!と切り替えて羽ばたくのが吉である。

数年前の転職活動でSPI検査の非言語分野を受講している時に、やたら練習問題が多いなと思って気がついたら、とうの昔に本編が始まっていて、そしてもうすぐ終わろうとしていた、ということがあった。油断しかしていなかった。ただでさえ苦手なSPI検査の非言語分野で、あろうことか練習問題だと勘違いして本気を出さないまま大半を終えてしまった。これはさすがに不採用になっても仕方がないなと思った。こんなうっかり者は、仕事でもやらかすに違いないもの。結果ですか?もう忘れました。

ひとつ前の記事を書いた後、急に「強読書モード」が発動して『姑獲鳥うぶめの夏』を読み終えた。前半を一ヶ月半かけて超スローペースで読んだ後、後半を数時間で読み切る。追い込み方がすごい。読み終わりの目安を9月末もしくは10月初旬と見込んでいたのに8月中に読み終えた。クリスマスまで2週間かけてゆっくり食べ進めようと思って買ったシュトレンが美味しすぎて2日で食べきってしまった人みたいだ。ちがうか。

次のいつやってくるかわからない強読書モードに備えて、京極堂シリーズの第2弾『魍魎もうりょうはこ』を買っておこうと思ったら文庫本で1,650円。ひぃ。これはいよいよ中古を検討せねばなるまい。しばらくはいつの間にかたまってしまった積読本を崩していこうと思う。ごきげんよう。

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