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火照り

先日、友人と高円寺の小杉湯を初めて訪れた。噂に違わぬ素晴らしい銭湯であった。全体のバランスが整っているのだ。あつ湯に、薬湯、小杉湯名物のミルク風呂、そして水風呂。これ以上でもないし、これ以下でもない。この浴槽たちの間を、空き具合の様子を伺いながら、転々と湯巡りをする。すると、元から湯の温度が高めだからなのか、はたまた地下水を使用した水風呂のおかげなのか。いつの間にやら、今まで経験したことがないくらいに、身体が芯からじっくりと温まっていく。特にあつ湯から水風呂への流れは最高に気持ちが良い。あつ湯という助走のおかげで、水風呂がびりびりと全身に沁み渡り、思わず声が漏れる。流石、交互浴の聖地たる所以はある。カラン前で座って、ゆっくりと身体を休める時間も心地良い。時々、壁画の富士山を仰いだりして、頭を空っぽに、ただただ無に還る。

一見すればどこにでもあるように見えて、実はここにしかない空間。一度訪れれば誰もが自然とその魔法に掛かる。僕たちが訪れた日も、多くのお客さんで賑わっていたけれど、あくまでも町の銭湯に過ぎない小杉湯が、こんなにまでもたくさんの人々を魅了するその理由が分かった気がした。

小杉湯は尊い。

風呂上がりに、高円寺の街をぶらぶらと歩いた。その時に、新鮮に感じたことがある。風呂上がりに街を歩くことが、こんなに気持ち良いものだとは。今更何を言い出すのかと思われるかもしれないが、僕は普段主に車で移動することが多い。温泉や銭湯へ行こうとも、風呂上りには空調の効いた車内へとすぐに引っ込んでしまう。外気に触れるのはせいぜい、施設と駐車場間のほんのわずかな距離でしかない。

この日は、中央線と総武線を乗り継いで高円寺へと来た。ほかほかと火照った身体のまま、冬の街を歩くのは実に愉快であった。それこそ、風呂上りに近所のコンビニへとふらりと出掛けているかのような感覚。あるいは、温泉地の温泉街を浴衣のまま歩いているような、ほんの少しの非日常感が心地良かった。それを高円寺でこうして体感しているというのは、何となく不思議な気分になる。恐らく、僕の中で都心に出掛けて銭湯に入るという行為にまだ上手く馴染めないからなのだろうけど。

僕たちはそのまま高円寺の街でビールを飲んで、くだらない話に花を咲かせた。ぽかぽかとした火照りは、空になったビールジョッキと共に、いつの間にか酔いの中に吸い込まれて消えていった。

都心の銭湯って、なかなか悪くない。