数字はいつも無条件に私を褒めてくれるって話

 こんばんは。ここ数か月で買った漫画がたくさんあって、いい加減紙袋で放置しておくには家の面積が足りなくなってきたので追加で本棚を買いました。銀魂、鬼灯の冷徹、SKET DANCE、BREACH、それらのスピンオフ合わせて250冊くらいでしょうか。並べ終わって眺めたら、ここは本屋かと思いました。つい「集英社(少年ジャンプ)」「講談社(モーニング)」という札を作りそうになりました。

 はのとです。初めまして。

  冒頭で頭の悪い話をしておいてなんですが、今日は私がとってもおりこうさんだというお話をします。ですから読んでくださっているみなさんは、すごいね~えらいね~と唱えながら最後まで生き抜いてください。


 いよいよ新学期ですね、大学生は。つまり、恒例の成績発表があったというわけです。ずいぶん前ですけど。私と言えばですね、学業優良で奨学金を貰えちゃうくらいおりこうさんで通っているわけですが、

 あ、おりこうさんで通っているって言うのは、我が家でって話ですが。奨学金みたいなデリケートな話、友人にはできませんからね。


 大学生になると、たぶん多くの大学でGPAと呼ばれる謎のシステムがあるじゃないですか。高校までの評定と何が違うんだと思いますが、まあ評定よりGPAの方が断然かっこいいのでこの際それはどうでも良いとしましょう。

 でね、高校生のときは、自分の偏差値より10くらい低い偏差値の高校で生きていたので、よい成績をとるのは難しいことではなかったです。よい成績くらいなら普通にとれます。すごいよい成績をとるのは、結構難しいことでした。かなり頑張りました。

 だけどね、大学はそうもいきません。自分の実力以上の大学にノリと運だけで合格してしまったわけですから、もう必死の毎日です。どのくらい必死かというと、授業の半分くらいがネイティブスピーカーのオールイングリッシュで、私が聞き取れた英語は全体の2割くらいだった、というくらいです。ん?必死の説明になってない?だからつまりですね、

 100分くらいの授業中で、80分は何を言っているか分からないまま過ぎていく環境の中で、どうにか食らいつかなくてはならないくらい必死でした。聞かれた質問には、分からないながらに何か言葉を返し、出された課題には、それがなんの課題か分からないながらに何かしらの方法で埋め、先生のジョークらしきものでクラスが笑ったら、何を言ったのかも何が面白いのかも分からないながらに大笑いしていました。

 健気ですね。いたいけですかね。可愛いですね。それは違うか。

 とにかく、毎日生きているだけで偉いくらいの環境を必死に生き抜いたわけです。だけど、私には在学中にやりたいことがありました。留学です。留学するために大学に進んだと言っても過言ではないくらい。だから必死で英語について行ったし、必死で先生とコミュニケーションとろうとしたし、必死でいい成績をとる努力をしました。

 成績がよければ、貸与ではなく給付の奨学金が貰えるからです。

 貸与の奨学金は、高校のときに成績で通った一種奨学金をすでに借りていました。学生支援機構のやつね。一番オーソドックスなやつ。でも、それってやっぱ返さなきゃいけない借金だし、どうせなら欲しい。貰えるもんは欲しい。

 そのために頑張りました。留学ってあほみたいにお金かかるのよ。まじで。だからね、両親にそんな負担かけられないので。

 そうして必死に頑張って、私は実技以外でなんとか意欲と気合を見せ、ある程度の成績を手に入れました。それが、1年生の前期の成績です。実技重視の授業は芳しくなかった。でも、実技の失態を筆記で取り戻せるような授業は、最高のランクの評価を貰えました。そういうところで稼がないと。

 今でもはっきり覚えているんですけど、周りのおりこうさんなクラスメートが、単語テストの勉強まじでしてないとか言って本当に低い点数とってる中でね、私は一週間かけてその週の勉強してくるわけです。見たこともないような単語をね、毎週必死になって覚えるの。で、満点とる。毎回ね。

 でも、勉強しないおりこうさんなクラスメートは、そのペラペラな英語で私と同じ評価を貰っていきます。悔しいですね。私にはないものだから。悔しい。でも、同じ評価でもね、私は一生懸命頑張った結果得た評価なんです。だから、悔しいけど、ペラペラと同じ評価を誇りに思うことにします。

 そんな感じで、一度よい成績をとってしまったものですから、私の努力の芽は、やる気の芽は簡単に花開いた訳です。前期よりきつい授業きついスケジュールの中で、私は一切の妥協をせずに駆け抜けました。辛くて忙しくて苦しくて、病み腐りそうになりました。半分堕ちてました。

 でも、一緒に頑張ってくれる素敵なおりこうさんの友人がいたから、褒めてくれる家族がいたから、最後まで頑張れました。

 そうして得られた、学年通算GPA3.4。すっごくいいとは言えないけど、私の置かれた環境にしては十分大健闘だと思います。頑張りました。端折るけど、結果奨学金はもらえました。留学したい、っていう明確な理由があったのもよかったんだと思います。

 そして二年生。なんかこの間の成績の話がしたかったのに、結局過去の話でこんなに書いてしまった。だから二年生は端折る。前期は、一週間に20個の授業をとるという暴挙に出てだけどGPAは3.5とかでした。よかった。

 そんでさらに上がった二年生後期。3.7でした。本当におりこうさん過ぎる。オンラインでなんとかって症状で精神状態がゴミになりながら、毎日泣きながら必死に耐えた一年間でした。

 もうね、私の大学のGPAはマックスで4だし、これ以上上はないよと。二年生のうちに興味のある授業はだいたいとってしまったし、あとは卒業に必要な単位を稼ぐために興味のない分野の授業もとらなきゃいけないよ、という三年生前期。

 二年生まではさ、好きな授業を楽しく受けていたから、成績も比較的とりやすかった。だから、本当の闘いはこっからだったんです。逃げていた苦手分野を押さえなきゃいけないから。

 あ、余談ですが、二年生の成績のおかげで、二年連続給付奨学金はもらえました。おりこうさんでした。

 三年生は、大学も一年ぶりに少しずつ再開して、生活を戻しつつあった時期でしたね。大学に通うことはこんなにも難しいことなのかと。心からそう感じました。いやそもそもね、片道二時間は遠い。

 なんやかんやあり、成績開示の日が来ました。一日そわそわしていた。だって、私は三年生になって初めて、単位落としたかもしれないとわずかながら感じていたのです。苦手分野の授業2つで。その都度の課題の評価が提示されないし、先生厳しいし、記述課題の模範解答とかと私の全然違うし。

 そわそわして、時間が来ました。ドキドキしながらページを開くと。そこには信じられない数字が並んでいました。3.9。え、え、、、え?、、、え??????????

 だってさ、え、だって、マックス4だよ!?それで3.9って、どう頑張っても全然意味わかんない!意味わかんないよ!私どうしちゃったの!?先生たちみんな天邪鬼だったって話??そういうこと?もう~~照れずに日頃褒めてくれたっていいのに~~~!!

 なんてあほ丸出しのことを考えていましたよ。はい。白状します。私、この成績見ながら酒が飲めると本気で思いました。この成績見ながら飲む酒は美味いだろうと、本気で思いました。どうしようもないあほですね。

 だって、とった11の授業の中で、1つを除いて全部が最高評価だったんですよ。残りの1つも、あと一歩で最高評価でした。そんな成績、高校のときだってとったことない。だって、体育と家庭科はずっと2だったから。


 私ね、自分で自分のこと褒めるの苦手なんです。自分のこと可愛いとか平気で人前で言えますけど、心からそう思わないです。キャラだから言えるけど、実際は全然自信ありません。外見も中身も能力も、何もかもね。

 でも、人一倍褒められたい気持ちは強い。強いのに、褒めてって言えない。だからね、例えばこの成績だって、インスタとかで「成績よかった!」って一言載せるだけでいいじゃないですか。そうすれば、誰かしらが反応して褒めてくれるかもしれない。

 だけど私はそれができない。「お前褒めてほしくてこんなこと言ってんだろ」って、誰のかも分からない声が聞こえるんです。とんだひねくれもので困ります。

 だから、こういう褒めてほしいときに素直に伝えられないんです。


 でもね、そんな私を唯一、無条件で褒めてくれるものがあります。それは、数字です。まさに、成績。

 高校二年生のとき、一年間ずっとテストでクラス一位でした。一という数字が、一年間私を褒めてくれました。また褒められたくて、私は何度でもその一を取りに行きました。

 そして大学生になり、私はGPAの数字に褒めてもらえるようになりました。初めて褒められた一年生の春から私は、次も褒められたい、という気持ちだけでここまで成績を伸ばし続けられているのです。単純というか、頭が悪いというか、なんというか。

 数字は、無条件に私のことを褒めてくれる。数字から聞こえてくる。拍手喝采が。大声援が。まあそれはさすがに嘘ですけど。


 褒められたいから、私はたぶん次も、今期も頑張る。毎学期毎学期全く学ばないで死にそうになりますが、それでも、それが分かっていても頑張ります。気合と根性でなんとかします。

 そんなおりこうさんですが、明日は朝一で弟の高速練習に付き合います。ほんと、おりこうさんで困りますね。

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