変でおかしくて普通じゃなくて心が綺麗なy へ

変でおかしくて普通じゃなくて心が綺麗なy へ

 久しぶり。もう大学二年生も終わりだけど、授業と単位の調子はどうですか?なんでも頑張るyだから、やり過ぎてパンクしないか心配です。

 yとは同じ部活で、でも一年の間はほとんど交流なかったよね。私が部活に行ってなかったのが原因で。だから私はyのこと全然知らなくて、いつもaの隣にいる子、っていう認識だった。

 二年になって、私たちは同じクラスになった。少し遠いその席に、私は今年度から部活にきちんと出る旨を伝えに行った。そのときyは、驚くでもなく、蔑むでもなく、ただ普通に「分かった」と笑ってくれた。yの笑顔は、張り巡らされていた緊張の糸を一本切った。

 一緒に部室に向かって、そこから私の第二の高校生活が始まった。初めは気まずくて上手く会話に混ざれなかったけど、yとはクラスでも話すことが増えていたから、そこから自然に溶け込めるようになった。yの屈託のない笑顔が、みんなの不信感や警戒心を解いてくれたんだと思うな。ありがとう。

 クラスでは、他に知り合いがいないyと、知り合いはいてもすごく仲いい人はいない私と、その周りにいた数人で仲良くなった。一人は昨年度私と同じクラスだった毒舌の権化みたいな子、二人はその子と同じ部活の子、一人はその二人の内の一人の友だち、最後の一人は、私が勝手に連れてきたクールで背が低い子。

 そこが安定してからは、yのクラスに対する不安も少しずつなくなっていったね。初めの頃は、部室に行くなり弱音ばっかりだったもんね。
 そしたらyは私に言った。「はのとのおかげだよ、ありがとう。」

 まだみんなとの距離を縮めている最中で、yは先陣切って私にそう告げた。まだ溶け込めてない私に、またもyは屈託のない笑顔で言った。ありがとう。優しい響きだった。

 顧問の先生が産休に入られるとき、あのビデオレターの準備期間が、一番忙しくて一番楽しかったな。
 部活でもないのに、授業の間の休み時間を使ってアイディアを出して、時には授業中に考えたりして、それを二人で部活に持って行った。ペアを作るときは何かと私とyになっていたし、yが相手なら遠慮なくふざけられた。
 あのとき全力を出した空前絶後は、きっと一生忘れない。

 yは本当に頭がおかしくて、とにかくどこを探しても平凡なところはなかった。発想もおかしくて、特に動きなんて傑作だった。説明しながら動くその手は、一体何を表現していたのだろう。今考えても、やっぱり答えは見つからない。

 クラスが同じだったから、席替えでいつも席が近かったから、yとの思い出は本当に沢山ある。部活以外の場所にも沢山。クラスでは、英語が得意な私が英語を教えて、化学が得意なyが化学を教えて、時には一緒に頭をひねって。そんなごたごたな授業中だって思い出の一つだよ。

 特に現代文の時間なんて本当に面白かった。私とyの一番の共通点は、国語が苦手なこと。どんなに頑張っても、三年の最後の模試まで偏差値40の壁が超えられなかった。他と20も開いてたよね。足引っ張り過ぎなんだわ、現代文。

 指名されたyが自信満々に答えたそれは、他の人からしたら単なるボケだた。それを、yは副顧問の現代文の先生に必死に説明する。言葉だけでなく、身振り手振りを使って。
 それ以来、もう私の中で伝説だよ。

 そして三年の春。最後の大会が終わって、私たちの部活動生活にも幕が下りた。大会出場歴のない私は、何か成し遂げられたのかな。なんのための二年間だったのかな。みんなあんなに頑張ってたのに、どうして全員で突破できなかったんだろう。いろんな思いと共に、涙は流れた。

 「はのと~~~泣かないの~~~!!!はのとのおかげでみんな頑張れたんだよ!ありがとう」

 どうしてyは、こんなときまで屈託のない笑顔を浮かべているの?一番悔しいのは当事者のyなのに。どうして私の頭をなでるの?

 答えなんて分かっていた。yは優しい。それだけのことだった。人の気持ちに寄り添える子。自分より他人を優先できる子。
 そんな素敵な子に出会え出会えたことが、私が二年間、部活に専念した意味だったんだよ。ありがとう。

 卒業しても、同じ夢を目指している同士で話が出来て嬉しいよ。大変なことも多いけど、yが遠くで頑張っていると思うと、私も頑張れる。諦めたくない夢だから。

 今すぐには出来ないけど、もう少ししたらみんなで飲みに行こう。高校生だった私たちがみんなでお酒なんて、エモエモだよね。yとは二人でも飲みたいけど、とりあえず今は我慢して、勉強頑張ります。

 体に気を付けて、心にも気を付けて、いつもおかしなところは忘れず、一生懸命生きてください。私も、一生懸命生きるから、どこかで会おうね。


2021年2月23日 はのと

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